猫を呼び戻すべきか否か・・・
こんにちわ。ミーゴローです。
世間ではいわゆる盆だと思います。
この盆というのは毎度明確な日にちというのがよく分からないのですが、死んだ人が戻ってくるのだそうです。
別に戻って欲しい人はいませんが、猫にはいます。
燈花会(とうかえ)
奈良の燈花会(とうかえ)なのですが、ろうそくを奈良町や奈良公園のいたるところに置くイベントなのです。
なんでこんな暑い時期にやるのでしょうかね。風情があっていいのですが、これをやられると観光客の車が増えるので個人的にはあまり好きではありません。
それも昨日で終わったようなのでやれやれだと思ったら、今日15日は大文字送り火だそうです。
京都が有名ですが、奈良でもやるのです。
今日も車には要注意です。
猫を呼び戻すべきか
盆とは直接関係無いと思いますが、ずっと前に記事に書いたクローン猫の話です。
猫というのは、一般のイメージとは異なり非常に律義なところがあります。
これは猫を飼っている人なら分かることなのですが、猫は一説に人間を自分と同じ種族と認識しているそうです。
猫と人間との関係は古代エジプト文明においてすでにみられるように非常に古いものです。
また、猫のミイラの存在が示すように、その関係も飼い主と家畜というものではなくてまったくの家族、伴侶だったと思います。
だからですね。もし、私がはなこやみぃごろーに帰ってこいと呼ぶと彼らは本当に帰ってこようとすると思うのです。
クローン猫が生前の猫といえるかどうかに関しては、以前の記事に書きましたように言えるという結論に達しています。
補足いたします。
ゲノムDNAを複数の卵細胞に注入して代理母の猫に出産してもらった場合がややこしいことになるのです。
つまり、生前の猫が複数に増えてしまうのです。
これを論理的に解説します。
この場合は一卵性双生児と同じ状況となりそれぞれが別の個体ということになります。
クローン猫を得ようとするのであれば、一つの卵細胞にのみゲノムDNAを注入することが前提となります。
同じことではないかと思われるでしょうが、前の記事でも書きましたが、アイデンティティというのは情報の伝達である。
とうことなのです。つまり、我々現在生きている人間においてですら、過去数十年前の自分と今の自分を繋げているものは記憶とDNAという情報のみである。という事実があるのです。
個体を形作る体は、それを構成する物質自体は常に交代されており数十年単位で観た場合、全て入れ替わってしまっていて、体自体は全く同じ形、同じDNAであったとしても物質自体は別物であるという事実があるわけです。
これらの事実は個体を成立させるためには、時間と空間という規定が必要になるということを意味します。
つまり、同一時間に複数の同一個体は存在し得ない。
ということです。逆にいえば、時間を分ければ同一DNAの保有体は個体の連続体ともいえてしまうわけです。
よって、クローン猫は生前の猫の続きであると言っても物質上においては正しいことになります。(記憶に関してはいまだ未知の部分が有ります。)
これらは、これらはあくまで物質上のことであり、いまだに自然科学においても超自然的な霊というものが存在しているのではないかという希望的観測にも繋がるわけです。
だとすると、猫の帰還は有りうると考えることもできます。しかも、クローン猫でなくても可能かもということです。
猫の帰還
はなこのゲノムDNAは保存できなかったのですが、必ずしもクローン猫としてでなくても猫は帰ってこようとすると思うのです。
猫は呼べば帰ろうとするだろうと思うのです。
この辺り、猫のいる人なら分かると思います。
はなこの2代目みぃごろーは、もしかしたら、はなこの生まれ変わりではないかと本当に感じることがありました。
ずっと以前、家の庭で雉の毛の仔猫が怪我をして死んでいたことがありました。
イタチか何かに噛まれたような傷がありました。
それで、はなこの墓のとなりに埋葬したのです。
はなこは白猫でした。
そのあとしばらくして大学である日突然、雉白の仔猫が現れました。
このブログのアバターの猫です。顔の半分が雉でいかにも合体したぞ、といわんばかりです。
顔がはなこに似ているのです。
結局、家の子になりました。もしかしたら、はなこが帰ってきたのかもしれません。
猫はかつての伴侶のもとに帰ろうとするようです。もし、呼んだなら帰ろうとするでしょう。
みぃごろーのゲノムDNAは保存しています。
クローン猫が可能なのです。
ある意味、シュレーディンガーの猫状態といえます。
みぃごろーは死んでいるとも生きているとも言える状態なのです。
しかしここで、私は躊躇せざるを得ない問題に直面しています。
ご存知の方も多いと思いますが、ねこの腎不全での苦しみ様は耐えられないのです。
もし、この世に帰って来てしまったならおそらくもう一度あの苦しみが待っていることになるのです。
きょうもこのブログをお読みくださり、ありがとうございました。
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