クローン猫の2
こんにちわ。ミーゴローです。
モトGPのアルゼンチン決勝表彰式ですが、どうするのかなと観ていたのですが、マルケスとロッシは終始互いに無視していました。放送では分かりにくかったのですが、マルケスに対するブーイングが多かったのだろうと思います。シャンパンファイトはお互いをさけていました。ロレンソははやばやと転倒リタイヤしてしまったのでこの場にはいませんでしたが、3人揃うとどうなることでしょう。ある意味、3位にペドロサがいてくれてほっとした面もあります。
間をおかず、今週末はアメリカです。あらゆる意味でシーズン開幕から目が離せません。
クローンはオリジナルと同じ?
さて、昨日書いたクローン猫なのですが、猫の性質上複数ひきの妊娠となるため受精卵は複数着床させる必要があるとのことです。受精卵全てにオリジナルのゲノムDNAを注入したとしたら複数ひきでクローン猫が誕生することになります。
これは、人の場合の一卵性双生児ということになります。人の場合は双子は全く個々の人格を持った二人ということになりますから、この理屈でいけば、クローン猫はそれぞれ新しい個体ということになります。
しかしながら、これでは失った猫を取り戻したい飼い主の心情には到底受け容れ難い事実ということになります。
従って、一卵性双生児状態は必然的に排除し、一つの受精卵のみにゲノムDNAを注入し、出産後にDNA検査でクローン猫を識別することにします。
さて、こうして生まれたクローン猫はオリジナルの猫の生き返りと言ってよいのでしょうか。
まったく同じDNAを持っているにも関わらず、外見上、雉白の毛が三毛になったり、性格も変わったりすることがあるとのことで環境要因というものが個体の特質に与える影響は非常に大きいことがうかがわれます。
しかし、クローン猫の飼い主のインタビューなどを聞いてみると、生前の癖が出ていたりしていてオリジナルの面影は強いようです。
映画「フィフスエリメンツ」のヒロインや「エイリアン」シリーズのリプリーのようにDNAが記憶情報も保持しうるのであれば完璧なのですが、この辺りは希望的なものです。作家アーサー・C・クラークは記憶を保持するという見解を持っているようで、自分のゲノムDNAを宇宙に送り出して知的生命体による再生の可能性を書いています。
一方、多額のお金を使ってクローン猫を作るくらいなら、多くの身寄りのない猫を引き取る方が良いという意見もあり、それはもっともなのですが、猫はそれぞれ個別の猫であり、飼い主にとってのかけがえのない一匹の猫なのです。それを生き返らせたいという飼い主の心情は察して余りあるものといえます。身寄りのない猫はべつの猫としてひきとればいいのです。
ミーゴローの結論をいいます。クローン猫はオリジナルの猫と同一であるといってよい。とおもいます。
当然条件つきではあります。
30年前の自分と現在の自分
デカルトの言葉として有名な「我思う、ゆえに我あり」という一節があります。
心、すなわち自我とは一体どこから生じるのでしょう。単に脳であるとする理性的解釈が一般であり、現在は統合情報理論により脳の神経細胞の反応の集合が意識であるというものが主流になっているようです。つまり、自我とは神経細胞の微細な電気信号の集合である、ということです。
アメリカドラマ「エクスタント」にはフューマニックアンドロイドという人工生命体が登場します。このアンドロイドはICチップによる自我を持っています。また映画「AI」でもアンドロイドが登場し自我を有しています。これらのアンドロイドと人間の違いは、自我のありどころであるところの神経回路が人工か有機体かという違いであって実は基本的には同じであるといえます。つまり、人間も場合もバイナリーの微弱電気信号のネットワークによるものだからです。
さて、アンドロイドの個体が経年劣化し、丸ごと再生しようとする場合。データを新しいボディに移動すれば作業は完了します。
人間の場合はどうでしょうか。
人間の体は60兆個の細胞から成り立っています。人間の体細胞の寿命は最短で一日、最長で数百年ともいわれ、諸説があります。
腸粘膜などは代謝が非常に早く、反対に心筋細胞や脳の神経細胞は非常に長いとされています。
特に、脳の神経細胞の寿命は一説には400年などともいわれ人の寿命を越えています。それゆえ我々はある種のアイデンティティを得て安心するわけです。
つまり、心の有りどころである脳は、生まれてから死ぬまで変わらない。だから、我々は生まれてから今まで自分自身でいられるのだ。
というようなものなのですが、本当にそうなのでしょうか。
有機体である神経細胞・「脳」が、人体エネルギー代謝量の20%も消費しているということは、それだけ強い酸化による影響を受けているはずです。400年も無傷であるはずがありません。おそらく、細胞単位では変わらないようにみえても、細胞内では修復が繰り返されているはずです。つまり、一定期間後には脳の神経細胞を構成する物質は完全に入れ替わっているということです。
具体的にいえば、生まれたときの自分、小学校時代の自分と現在の自分は、脳を含めて体を構成している物質の大半(或いは全て)が入れ替わった存在である。
ということです。考えてみて下さい。どうして我々は毎日たくさんの食物を摂取しなくてはならないのか。それは、常に体を作りなおしているからなのです。
たった一年分の食物だけでも、実際に広場においてみたならその量の膨大さに驚くはずです。これだけの物質が単に呼吸のみで消費されるはずがなく、同時に同化がなされているわけです。
30年前の自分と現在の自分を繋ぐもの、アイデンティティの根拠、有りどころは何なのか。
それは、記憶とDNAという「情報」のみである。ということになります。
つまり、我々人間もアンドロイドと同じなのです。情報をロードしているだけなのです。
心とは自我とはある意味幻のようなものであるといえるわけです。或いは、心、自我とは時空間における「場」にやどるものだといってもよいでしょう。
一個体の存在は綿々とした情報の伝達であるとするなら、クローン猫も個体の連続であるといえると考えます。つまり、情報の伝達体であるという意味においては生き返りといえなくもないということです。
そっけなく、無感情に書いてしまうとこのような結論になるのですが。長くなりますので、この続きは別の機会にします。
今日もこのブログをお読みくださり、ありがとうございました。
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