絶交という選択・幼なじみ
こんばんわ。瞳です。
一昨日の奈良「春日若宮おんまつり」の記事は、長すぎて多分、誰も読まなかったと思います。
あまりにも、専門的、というか独自の世界の話。あれでもだいぶかなり、というかほとんどの内容を割愛してます。
で、今日は、軽い話。このところ心に引っかかっている些細なこと。
幼なじみの話。
かなり以前の記事にも書いたのですが、こいつにメール出しても、メールは全て完全スルー。
2年前の年賀状で、当時、わたしが近所のカルト教団DQN団塊ジジイ連中に執拗な仕打ちを受けていて、自○未遂したことさらりと書いたら、心配の手紙が来まして、メールで2回ほど詳しい近況やらその他のやりとりしたわけです。
ついでに、このブログのURLも教えました。
で、その後、何度かメールしたわけですが、これがまた、正月の2回以降は全部、全くのスルー。
(ああ、結局、その程度の間柄だったわけだ。)と、そろそろ潮時だろうと人間関係のリセット・削除して縁を切ろうと思いました。
で、縁を切ったわけですが。・・・・・
何と、去年、またまた年賀状が来ました。呑気に「お元気ですか。」とか書いてある。
わたし、呆れてしまってしばし呆然。
(こいつ、一体何考えてるんだろう。)
で、お返しの年賀状は出さないで、完全無視。(お前はもう、わたしの人生にはいないんだよ。)
大体、わたし、こいつが今、何をしていてどうなっているのか全く知らない。こいつは自分の事は何一つ話さない。というより話したがらない。
一度、「仕事で君の家の近くによく来てますよ。」とか年賀状に書いてあった年もあるので、多分、運送業でもやっているんだろう。程度。
まあ、そういうわけで、年次の挨拶を打ち切って、いわゆる絶縁、絶交(喧嘩ではなくて、人間関係のリセット・削除)をしたわけですが。
・・・にもかかわらず、何とまあ、懲りないというか、信じられないことに、この12月に喪中欠礼を送って来まして、また「お元気ですか。どうしてますか。」とか呑気に書いてある。
わたし、誤解の無いように言いますが、決して怒りを感じたり、怒ってはいません。
ただ、こいつの神経、全く理解不能。
まあ、昔から、信じられない程、何かと無神経なんですが。
もしかして、若年性認知症かなんかで、わたしの事分からないとか、すでに何かの重病で、奥さんとか娘さんが代わりに年賀状・喪中欠礼を送っているのかとかいろいろ心配になってきます。(わたしの知り合いの絵の先生。今まさにその状態。)
或いは、単にハゲてしまって会いたくないとか。ならいいんだけれど。
「おい!心配してんだぞ。なんとか言え。」
これもまた、最近のミステリーのひとつ。