ひどい正月ですね。羽田事故の原因。

瞳の鬱(うつ)日記

 おはようございます。

 早速ですが、羽田の事故。C滑走路34Rでの着陸アプローチですね。タッチダウンまでほぼ、問題は無かった様子。

 クリアードトゥランド(着陸許可)の後に、ゴーアラウンド(着陸中止・着陸復行)のコール(宣言)は、管制塔、パイロット双方とも無かったと見えます。

 タッチダウンして、リバースかける寸前辺りでドカンと衝突、爆発したみたいに見えます。

 ラインアップ(滑走路上にいる状態)していた海上保安機が全く見えなかった様子。

 まあ、夜間であの距離では見えませんね。わたし、シミュレーターで何度か滑走路上待機中の航空機に衝突しました。見えないんですよ。旅客機は特に。

 ホールドショート(滑走路手前で待機)の指示がちゃんと伝わっていたのか。

 管制塔のミスか、海上保安機のパイロットのミス。或いは双方のミス。だと思います。

 

 「マッハの恐怖」

 『マッハの恐怖』柳田邦男著という古いハードカバーの本が家にありまして、ごついのと傷みが酷いので、長い間読まなかったのですが、何年か前に読みました。

 この本は『柳田邦男による航空事故の原因を究明したノンフィクション作品である。第3回(1972年)大宅壮一ノンフィクション賞を受賞 …「当時NHK社会部の遊軍記者であった柳田は、1966年に連続して発生した航空機事故である「全日空羽田沖墜落事故」(2月4日)・「カナダ太平洋航空機墜落事故」(3月4日)・「英国海外航空機空中分解事故」(3月5日)を取材し、後にこれらの事故を追ったノンフィクションとして1971年にフジ出版社より出版された。」』ウィキペディアより

 内容は、想像以上。これ本当、と思うほどの衝撃でした。

 羽田空港ってけっこう、怖い歴史があるんですね。

 羽田沖の東京湾でB727がエンジン脱落を起こして乗客は機内で瞬間炎に晒され、しかも、そのまましばらくコントロール不能で飛行が続き、恐怖のどん底の末に東京湾に墜落した事故です。

 さらに、その僅か一月後にベテランパイロットが着陸を失敗する事故がありました。夜間の着陸アプローチにおいて、自分の操縦職人芸を過信して低くしすぎて滑走路手前で墜落。

 しかも、翌日にその残骸が残っている横を離陸した航空機が、飛行コースをわざと外して、飛行予定に無い乗客サービスの富士山見物の遊覧飛行を敢行。富士山の火口付近を周回飛行。

 結果、富士山に接近しすぎて富士山の強烈な上昇気流で機体が空中分解。目撃者によると、破断した機体から人が数人放り出される様子が目撃されたそうです。

 富士山は怖いんですよ。富士山を背景にした飛行機は絵になるのだけれど、決して近付いてはいけない危険な山なんです。

 飛行機事故はなぜか集中して続くんですよね。

 今回の事故も、災害救援のために殉職した方々のご冥福を祈りつつ、はやく原因が特定されることを願います。

 

 

 

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