ああ、やっぱり新学期任用無いな

瞳の鬱(うつ)日記

 こんばんわ。おはようございます。瞳です。

 気がつけば、もう3月27日です。そういえば忘れていましたが、教師任用の話は来ていません。

 もう、二年以上前の大阪府八尾市で中学で受けたパワハラ事件。この公務災害の申請からもすでに1年以上が経過。いまだに何の音沙汰も無し。

 まあ、こんなもんなんでしょう。教育界というのは。教育界に限らず、どこの組織でも大体声を上げた女性は、まあ、こういった運命なんでしょう。完全に干されます。多分、わたし干されてるんでしょう。

 別にいいよ。マスコミにばれたら結構な事件でしたからね。(ですからね。現在進行形でした。)いずれ、ただでは済まないと思いますがね。

 不祥事おこす男性って、(男性社会)ってニュースでみると、(何でこんなに間抜けなんだろう。)って思うんですけど、当人たちって大事になってから気づくんでしょうね。

 さてと、話変わってこのところ書いている時代劇の話。

 「子連れ狼」の動画観てるんですけど、著作権の問題ですぐに削除されるんですけど、面白いです。

 で、ラスト付近の話が今アップされているんですが、一刀の相棒、刀の同田貫(どうたぬき)が折れる話。

 コメント欄みてると、当然年配の方々が大半なんだろうけど、刀の事、とか意外に知らないのね。刀に詳しい方が解説の返答をしてるんですが。それも、少し間違えているのが多い。

 話自体は、いよいよ柳生烈堂と拝一刀との一騎打ちに近付いている辺りです。

 草といわれる柳生忍軍の一族に総攻撃を受けるわけですが、研ぎ師の柳生の草が一刀の刀を研ぐわけです。敢えて、「烈堂様からのご用命にて参りました。」と挨拶して、一刀の同田貫を河原で研ぎます。

 一刀は、烈堂の武士の心を信じて、刀をその研ぎ師に託したわけです。

 でも、当然、細工が成されるわけです。

 刀の芯、(芯金・しんがね)に傷をつけて刀が折れる細工をしたんですけど、「外から観ても分からぬ傷であった。」と解説が入ります。

 まあ、かなりフィクションで、実際には出来ない事なんですが、無理に解釈するなら、錆を取ると言って、鏨で刀身を打つシーンで、心金に傷をつけて、皮金(かわがね・刀の外側の鋼の部分。)を、鏨でならして鍛え目になじませた。ということなんだろうけど。

 刀の研ぎに詳しい方ならご存じのように、刀の鉄って刃(波紋)の外側は意外に柔らかくて、深い錆取りとかで、鏨で錆を取って、その後できた穴とか小さな凹みを周りの鉄をたがねで寄せていって面一(へいめん)にならすんですね。場合によっては、埋金(うめがね)といって、柔らかめの鉄を象眼のように、常温で埋め込んで表面をならしてなじませます。不思議なことに、ほとんど見た目わかりませんし、刀身内部も錆びません。

 上手の研ぎ師がやると、そういった処置の跡は分かりません。でも、一刀なら見抜くだろうけど、柳生の名人だから神業で見抜けなかったんだろうな。というところですか。

 刀の機械疲労というか、金属疲労で、刀が折れるという話は結構時代劇、時代小説に出てきますよね。勝新太郎の「座頭市」でも、仕込み杖の刀身が限界に来ているから(刀匠が音で調べているのが興味深い。)、変えた方がいい。と、知り合いの親しい刀匠に助けてもらう話とかもあったし。小説「のきばしら・運命の剣」(PHP文庫・PHP研究所出版・小説家7人のリレー著作)で、備前の刀工がこの刀を打ち上げてから、数代の持ち主、時代を経て、昭和に主人公でもある名刀「のきばしら」が居合いの名人によって、最後の人助けをした後、進駐軍の命令による鋼鉄を切る試し切りで、試し切りは成功したけれど、ついに折れてしまう話など。この話では、主人公の知り合いの技術者が「長年の修羅場をくぐり抜けてきたこの刀も、もう寿命が来ている。」と警告するシーンも興味深かったです。

 だからですね。コメント欄にあるような「刃切れ」(はぎれ・刃部分が刃先に直角の割れが入る。)をつけたわけではないですね。

 また、この「刃切れ」は焼き入れの時に出来てしまうことがあるんですが、値打ちが下がるというより、失敗作の扱いになります。また、この「刃切れ」から折れるということも、実は少ない。

 烈堂の最後の言葉

 なんですが、烈堂が満身創痍で力尽きた一刀をついに打った後、一刀の一子・大五郎に討たれるシーン。ここでの、有名な台詞「わが孫よ・・・・」というセリフなんですが、おじさま達、分かんないのかな。

 「一刀親子との長年の死闘の末に、敵同士を乗り越えて、同じ武士として心が繋がった末の言葉だった。」

 という方が多いのだけれど、

 この長い長編の最後の最後に仕掛けられていた、どんでん返し。大どんでん返し。

 『柳生一族の襲撃で、拝家は皆殺しにされるが、一刀の妻、拝薊(おがみ あざみ)の機転により大五郎は助かった。』

 ドラマ版では、出産後でした。

 いかに巧みに隠したとしても、果たして、柳生一族がこれを見逃すでしょうか。

 (大五郎は襲撃のとき、烈堂の孫と入れ替えられていた。)

 という、裏の真実・大どんでん返し(一刀は烈堂の孫を我が子と信じて戦い続けてきた。)があったのではないか。などと、わたしは思います。

 コメント欄によると、拝薊(おがみ あざみ)は、烈堂の側室の子であったのではないか。ともありまして、襲撃時、へその緒がまだ繋がっていたという話もあるようで(原作?)。それはそれで、襲撃時に柳生が見逃す訳もなく。少し無理がある。

 まあ、今日も、話がちぐはぐな内容でした。昔のテレビって面白かったんですね。

 

 

 

  

 

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