大学教授という人種について

 瞳の鬱(うつ)日記です。こんばんわ。おはようございます。瞳です。

 今、午前4時なんですが、今日は金曜日です。

 母校の不祥事で鬱状態深刻なんですが、金曜日というのは、不思議とアクセスが多いので、何か書きます。

 ここに来られる読者の方々は、おそらく「こもり人(引きこもり)」というより社会人の方が多いのかな。

 大学教授という人種

 わたしの場合、二つの大学に在学していて、いろいろな先生を観てきました。

 奈良県立大学では、偏差値が高いのもあるのでしょうが、非常に学問的、人間的に優れた先生に恵まれたと感じます。

 一方、卒業、大学院修了まで過ごした、国立奈良教育大学なんですが、非常にある意味特殊でした。

 わたしの入学・在学当時は現在と違い偏差値は61から62だったと思います。ちなみに京大法学部は65でした。

 教授陣はさぞかし優秀な先生揃いだろうと、思われるかもしれません。

 しかし、実際は変人が多かったです。

 具体的には、過去記事「教師はやはり世間知らず」どころではありません。

 道路のセンターラインの意味を知らない家政科の教授

 この先生、男性の40代くらいの先生。教授です。あるとき話をしたときのことですが、何気無しに出てきた話。道路のセンターラインの意味を知らない。これ、運転が酷いという意味ではなくて、文字通り、知らないのです。免許が無く、運転経験も無いのでしょうが、センターラインの意味を知らないのです。つまり、二車線道路なら、真ん中のセンターラインで、車等の行き違いが行われるわけですが、この先生、飛行機の滑走路のように、センターライン上、道路のど真ん中を車が通るものだと信じていました。

 これだと、当然正面衝突になるわけですが、それが分からない。らしい。

 これ、本当の話です。わたし、唖然としました。一体どうやって、今までこの実社会で生きて生活してきたのか。バスやタクシーにも乗るだろうに。単にすれ違いのときだけセンターラインからズレるとか思っていたようです。

 しかも、この先生と一緒に研究活動で他の教授数人と奈良県南部の飛鳥地方に近鉄の単線区間に出かけたときのこと。特急通過時の線路の継ぎ目のガタンガタンという大きな音にびっくりして、「ああ、この線路継ぎ目があるわ。」とか言ってました。(あなたそんなこと、今までの人生で知らなかったの?)

 確かに、今現在は、ロングレールといって継ぎ目の無いレールが主流です(一定区間ごとに衝撃の無い継ぎ目がある。)。従来の夏場などでの線路の伸び縮みを、継ぎ目で吸収するという方式はもはやローカル線に限られます。

 政治(学内政治・派閥争いなど)を知らない・世間を知らない教授

 別の60代の教授先生、何か野心がありまして、おそらく学長の椅子を狙っていたんだろうと思います。東京の某有名国立大学、といえばまあ、分かってしまいますが、これまた世間を知らない。小娘のわたしから観てもです。

 すでに、国立大学の教授になっているのだから、もう出世も十分。もうこれ以上狙わなくてもいいだろうと思うんですが、まだまだ野心がおわりだったようで、わたしを、あっちこっち使い走りとかさせて、こき使ったり、自分でもいろいろやってました。

 が、やることなすこと的外れ。大体、学生の小娘のわたし使って何しようっていうの。

 要は、自分の派閥勢力造ろうとしているらしいのですが、やることなすことがとんちんかんで的外れ。

 守衛のおっさん連中とか、付属図書館の館長とか、言ったら悪いけど、雇われ身分の何の影響力も持たない人たち相手にせっせとこび売っている。守衛のおっさん連中の誘いで趣味でも無い釣りに出かけて何日も浪費している。

 そのくせ、年がら年中「わたしは忙しいから。」とかおっしゃって、大事な講義やら、その他の大学の公務もすっぽかす始末。

 この「わたしは忙しいから。」という台詞。この教授、相手誰かまわず必ず言うので、端で見ていて呆れていたんですよ。一般社会人として、もの凄い失礼な台詞だということ分かっていない。

 さらに大事な入学試験の監督のときも、この「わたしは忙しいから。」と、何と試験途中で抜け出してしまって、わたし驚き飛び越して呆れました。

 大学の要職のポスト狙うんなら、影響力のある教授と接触して自分の勢力を造るとかいうような基本中の基本が分からない。

 それどころか、対立、喧嘩ばかりしている。

 これ、わたしが実際に観てきた本当の話です。こんなのほんの一部。もっと信じられないこといっぱいあります。

 どうやって、国立大学の教授になったのか。また、どういう人がなるのか。

 これ、東大等、旧帝大以外にも筑波大学出身が強いとかいわれていますが、これ事実です。

 でも、決定的なのは、わたしの観てきた教授を観ると、決定的なルートがあります。

 つまり「人脈という名のコネ」

 これが決定的。研究業績なんて二の次。というか、ほとんど関係無い。少なくとも、わたしの在学していた時期。大学から教員募集が出た頃にはもう実は決まっている。

 とんでもないぼっちゃんがやってくる。

 これ国立大学の現実の一部です。わたしが実際に観てきた事実です。今現在の国立大学の有様、当然の結果です。

このページの先頭へ