大阪高裁判決・裁判官というのはイカれてる。

 こんばんわ。瞳の鬱(うつ)日記です。

 昨日のヤフーニュースで、はらわたの煮えかえる記事がありました。

 「女子中学生「いじめ」訴え自殺 控訴審でも遺族の訴えを退ける(第三者委調査と異なる判断)大阪高裁 冨田一彦裁判長」

 です。以下内容抜粋

『女子中学生が自ら命を絶ったいじめについて、裁判所が第三者委の調査の認定と食い違う判決です。

10年前、当時中学1年の女子生徒が奈良県橿原市の自宅近くのマンションから飛び降りて死亡し、第三者委員会は「学校での仲間外れなどのいじめが自殺の一因だ」と認定していました。』

(5/26(金) 19:35配信 YAHOOニュース・関西テレビより)

 裁判官というのは、サイコパス

 わたし、個人的に、奈良地裁で民事裁判を経験しました。傍聴もたくさんしました。で、言えること。裁判官というのは、一言で、イカれてる。

 サイコパスとうのは、反社会的という意味を含みます。つまり、裁判官は反社会的なんです。

 大学で、法学概論というのを履修したことがあります。法律の解釈に関しては、文理解釈(ぶんり かいしゃく)と 論理解釈(ろんり かいしゃく)だったか、確か、大きく二つの適用があったと覚えています。

 わたし、法学は専門外なのですが、大凡、そういったものがあったと記憶があります。

 わかりやすく言いますと、当時の法学の先生によると、法律の条文そのままを、個々のケースに当てはめる文理解釈と、の論理解釈二つに大別されるような感じでした。

 これらはいずれも「法的安定性」により適用されます。法的安定性とは「法的安定性だけが強調されると、個別的事情や具体的妥当性が無視される事態を招きやすい。ここに法的安定性と具体的妥当性の矛盾という法運用の問題があり、~」(「コトバンク」https://kotobank.jp/word/%E6%B3%95%E7%9A%84%E5%AE%89%E5%AE%9A%E6%80%A7-132336)

 ということなんですが、この「法的安定性」にしても、いずれも、一般人の常識とはかなり乖離します。

 大岡裁きは無いんです。一律に法律を適用することが、社会の利益につながるということで、社会正義は無視されます。

 お上根性

 裁判所の判決というのは、基本的に大岡裁きはあり得ません。

 わたしの場合、被告相手側加害者が100%過失の交通事故でわたしは交通事故障害を負いましたが、判決文には、わたしにも(実際は育ての義理の馬鹿親)が損害賠償額をめぐってごねまくったとして(わたしは病院で動けない状態のとき)、判決文に裁判を長引かしたと記載されて、原告被害者のわたしが裁判費用の半分以上を負担させられました。(裁判内容自体は勝訴)

 担当弁護士によると、この奈良地裁の裁判官はハズレだったということです。よく、奈良地裁ではこういった判決を出す裁判官だったので有名だったそうです。

 基本、裁判官は、権力側、当局よりだと言えます。三権分立は日本ではあり得ません。法的安定性の重視(社会の構造秩序維持)、条文主義となります。

 この、奈良のいじめ事件の奈良地裁、大阪高裁の判決の場合。完全に法的安定性重視のお上根性丸出しです。

 これらの判決に至るとき、人間として、裁判官たちは一体どういう思考をたどるのでしょうか。言い換えます。彼らの人間としての良心はどうなっているのでしょうか。

 彼らは、ある種の人格障害といってもいいと思います。

 裁判判決に大岡裁きを取り入れたら、社会の秩序は崩壊する。法律は意味を無くす。というのでしょうが、果たしてそうなんでしょうか。

 条文通りに杓子定規に判決を出す、或いは、構造秩序への固執の方が、社会は狂うことになるのではないでしょうか。

 こればかりは、アメリカを見習いたいところです。

 

 

このページの先頭へ