瞳のリベンジ
こんにちわ。瞳です。モトGPスティリアですが、ロッシが引退を表明しました。「やはり」、という感じで残念ではありますが、ほぼ覚悟はしていたので「本当に今までありがとう。ヒーロー、レジェンド。」と拍手を送りたい気持ちです。
思えば、去年の2020年オーストリアGP。ロッシはここのサーキットで「死」から紙一重で救われました。レース中、ザルコが300km/hでモルビデッリに追突。追突されたモトGPマシンが280km/hで前を行くロッシとビニャーレスの間を通過。ロッシの眼前をかすめて横切りました。身の毛もよだつ光景でした。まさに「奇跡」。
同じサーキットで今年、引退を表明したというのも何かの啓示・運命なのでしょう。
一方、ペドロサがサーキットに帰ってきました。テストライダーとしてのワイルドカード(スポット参戦)ですが、走りは驚くべきもの。現役そのまま。ロッシの引退という寂しいできごとがあった一方で、これは何か嬉しかった。
ペドロサの走りは彼の人格というか人となりそのままなんですね。ペドロサとロッシ、そしてマルケスがまた一緒に走っている光景が観れるなんて、これはなかなかいい。
物騒な表題
さて、リベンジという表題なんですが、せっかくモトGPのいい話なのに物騒で恐縮です。
わたしを今苦しめている連中。わたしは連中を決して許すことができません。
本当にわたしは人生でこれほど苦しめられたことはありません。
わたしは中学の頃、いじめに遭いました。不良グループに目をつけられ、徹底的にやられました。それが原因で不登校になり、中学は出席日数などぎりぎり。
それが国立大学に入れたのが今から思えばまったく奇跡。
それでもですね。今の苦しみよりはマシでしたよ。何せ、いじめられていた中学時代のときでも自〇は、実行しなかったもん。
今日偶然、メンタリストDaiGoさんのYouTube動画を観たんです。「これぞ、最高のリベンジ」だったかな。
そこで、DaiGoさんが言うには、「最強のリベンジ・最高のリベンジとは、自分が成功した姿を見せつけること。」だということなんですよ。中学の頃、わたしをいじめていた連中とういうのは、大阪の地方都市、民度が非常に低いことで有名なんですが、狭い町です。風の便りに訊いたところによると、前科者になってアンダーグラウンドの人間になったとか。
まあ、こいつらは因果応報で成功を見せつけるまでもないのですが、今、わたしを苦しめている近所のカルトのジジイ連中。こいつらをどうしてくれよう。ということなんです。
DaiGoさんはさらに、「自分を虐めてきた人間を忘れてしまうくらい、成功してしまう。で、そんな人間のことはどうでもよくなってしまう。」とおっしゃいます。
(そんなこと、できたら苦労しないわ。)ってところなんですけど、(でも、もし今いるこの場所を離れて、連中を忘れてしまえるくらい何かに熱中できるのなら。熱中できたとしたら。)
(そしたら、連中はどうなるだろう。)って考えたんですよ。
そしたらですね。連中に平安と幸福は存在し得ない。ということに気が付いたんです。
もちろん、私がこの街を去ってからしばらくの間は、連中は勝利の宴状態だと思います。
わたしをいじめていたということは、わたしをいじめることで何らかの心理的充足を得ていたわけです。でなければ、人を苦しめるという不毛の行為など最初からしないのです。ところが、わたしといういじめの対象がいなくなると、かれらの欲望をみたす養分が無くなるわけです。
そうするとですね。不思議なもので、人間必ず衰えてきます。単に老化するという意味ではなくて、運気や生気が衰えてきます。世の中・人間そんなものです。
人間である以上、必ず一時期の勢いは尽きます。どんな人間でも、いつまでも調子に乗り続けることはできません。
続く。