昭和・国鉄時代にタイムスリップ
こんにちわ。ブログみぃごろーです。今日は叔父の写真コレクションから、昭和の国鉄時代の特急を観てみます。
この時代、生まれるはるか前の特急は、博物館でしか今はもう見ることはできません。しかしこの国鉄色といわれるクリーム色と真紅の特急色のカラーリングというのは、まったく絶妙の配色だと思います。さらに、猫髭(ねこひげ)と呼ばれる不思議な顔の塗装も、わたしはなぜか強く惹かれるのです。これらのデザインを手がけた方は、本当に天才だと思います。
もちろん、現代の車両のデザインもモダンでいいのですが、この国鉄特急色の持つ魅力にはかないません。大阪駅で、環状線ホームから遠くの11番線に特急色が見えたときのときめきというのは、言葉では言い表せないものがあります。
個人的にはサンダーバードの国鉄特急色バージョンを出してくれたら、凄くいいのにな、と思っています。
この通称ボンネット雷鳥は、伝説の特急「こだま」の面影を強く残しています。国鉄特急色の始まりである特急「こだま」は東京・大阪間を6時間で結び、電車特急の開祖となりました。このクハ481-100番台は、181系「とき」と共に151系「こだま」のイメージを強く残しているそうです。
ボンネットタイプから貫通形の485系-200番台が登場して、さらに非貫通形の485系-300番台が登場しました。特急の新しい顔です。今の特急車両の面影があります。
この特急「白鳥」は、もともとは電車特急ではなくて、ディーゼルカーの80系・気動車編成だったということです。14両の大編成で、大阪から青森まで15時間かけて走破していたというから凄い。485系のときは大阪駅10時18分発(写真の時代)だったのですが、80系気動車のときは大阪駅を朝の8時台に出発し、青森には23時台に到着という超ロングラン。
この写真はキハ82特急気動車。半流線形と呼ばれる貫通形の先頭車。急行型車両の顔を持つのだけれどれっきとした特急。昭和36年の登場だそうですが、当時、特急にこのデザインを採用したのは革新的。急行型の顔に国鉄特急色がこれまたよく似合う。そして、なにより、この猫髭(ねこひげ)塗装の素晴らしいことといったらありません。
昭和30年代後半から40年代前半当時は、大阪駅11番線を発車するこの80系気動車による「白鳥」と、当時まだ1日数往復のボンネット「雷鳥」が、東海道本線、北陸本線の花だったのですよ。これらのクリーム地に真紅の帯を巻いた鮮やかな特急たちが、大阪駅11番線を出発し、0系新幹線のいる新大阪駅を経由して東海道本線、北陸本線を走る様は本当に荘厳ですらありました。
上の写真のキハ82はですね。大阪駅11番線に突然現れたそうです。写真の当時はすでに「白鳥」は電車化されておりました。だからこのキハ82は「白鳥」ではないのですが、まるで80系気動車の「白鳥」が現れたかのようだったそうです。向日町に回送中の3両編成で、ご覧の通りピッカピカの新車状態。これはまったく往年の花形特急「白鳥」そのものです。
この当時大阪駅で見ることのできる80系気動車としては、特急「まつかぜ」があります。なかでもこの特急「まつかぜ」1号は食堂車を含む13両編成の大編成で、山陰本線を抜け博多まで走りました。山陰本線の田園風景の中や、余部鉄橋の大鉄橋をこの華やかな大編成が走る姿は伝説的光景です。
わたし、この80系気動車をKATO製HOゲージで14両フル編成分持っているのですが、いまだに走らせることができません。大きすぎる、長すぎるのです。しかも、車体ナンバーのインレタ貼りができない。位置決めができない。KATOの説明書には、正確な位置が示されていないのです。それで実は、先日北海道小樽の小樽市総合博物館に行った折、キハ82-1の車体ナンバーの位置を巻き尺で測定したのです。車両自体はブルーシートで保護されていましたが、車体ナンバー部分は出ていて見えたので計測することはできました。貴重なデータは確保できました。
この車体ナンバーなんですが、80系気動車の各車両、横の位置決めは写真から判明しておりました。車体ナンバーのある上の窓の真ん中です。ただしキシ80はグリルを目印にします。分からなかったのは、車体すそからの位置。つまり高さの位置。これが今回判明いたしました。別の記事に書きます。それにしてもこの車体ナンバーといい、各種表記といい車体の左右でわずかにコンマ数ミリの誤差はあるものの当時の国鉄というか車両メーカーの職人芸には驚かされます。
が、このインレタ貼りを14両フル編成(予備を含めると17両)もやるなんて考えただけでも気が重い。