わたしはトムキャット・やすらぎを求めて4最終回「帰還」

成海瞳の鬱(うつ)日記

 総理が聞く。

 「で、その教師たちをも畏怖させて支配しているものとは何だったの?」

 瞳は答える。

 「一概には断定できませんでした。というより、形が見えないもの。」

 「ふん。成程。まあ多分そんなところだろう。でもあなたなら、実際に体験している。大方の見当はつくでしょ。」

 「ええ。おそらくは、『地域』。というか、地域にひそんでいる何か。」

 

 「『地域』との連携」

 この「地域との連携」という文言が、最初に学習指導要領の総則(全体の概略のまとめ)に登場したのは、平成29年(2017年)告示の改訂からである。この改訂でこの文言は、小・中・校のすべての指導要領に明記された。

 具体的には、

目的: 「地域とともにある学校」として、地域住民の参画を得て、子どもたちの学びや成長を地域全体で支えること、また、学校を核とした地域づくりを目指すこと。
具体的な取り組み例: 授業の補助、登下校時の見守り、放課後子供教室の実施、土曜日の教育活動、地域活動への参加など、幅広い活動が想定を想定するものとする。』(注:グーグルAI要約より

 というもので、安倍内閣が2013年に再結成した「教育再生実行委員会」(2021年に廃止)が「教育改革の重要な柱」として積極的に推進した。

 その発案根拠自体は頷けるものではある。

 地域住民・保護者・学校が一体となって子どもたち、生徒たちを育む。という事自体は素晴らしい意義ではある。

 しかし、時代は昭和ではない。はっきり言えば、世の中すべて善人で良識のある大人で構成されていなければ実現し得ない戯言でもある。

 たとえば、保護者にしてもすべて良識ある人々であるなら、モンスターペアレント問題など発生し得ないだろうし、児童虐待も起こり得ないわけだ。

 そして、もし、特定の政治勢力、イデオロギー、宗教、が入り乱れている現実社会に対して、学校がそれらすべてに門戸を開放し、子どもたち、生徒たちと接触させたとしたら、それは極めて危険な結果を招くことになるだろう。

 「地域との連携」とは、そういった側面をも持ち合わせているものだといえる。

 学校は、地域という「外海(そとうみ)」からは中立独立であるべきものなのだ。少なくとも、基礎知識と人格がしっかり形成される年齢になるまでは。

 

 「で、成海中尉。その地域に外国勢力の工作に関わるものがいると思うん(思うのか)。」

 「いえ、外国勢力の存在自体は確認できませんでした。おそらくは、そういった宗教団体などがあれば分かりやすいのですが。これも、はっきりとは断定するにはいたりませんでした。」

 「しかし、おそらくは、特定の勢力、思想を持つ存在があるのは確かです。」

 「教師たちは怯えています。教育委員会ですらそういった地域の勢力には対抗できません。」

 「そして、学校内にもその勢力は入り込んでいます。」

 総理は黙って聞いていた。

 各学校には、怯えた羊のような教師たちの中に、異質ともいえる存在、すなわち必ずボスがいる。このボスと数人のグループが学校を事実上取り仕切る。彼らには、管理職ですら逆らえないものがある。

 馬鹿な役割分担や、学校運営に至るまで。異常な行事への執着。子供たちの教育よりも、学校運営、学校規律、学校行事が何より重要。

 夜9時を過ぎるまでの居残りや、早朝5時前の出勤。膨大なプリント印刷。書類作成。意味の無い会議。そして、部活動。

 これらは、このボスグループが率先して行う。

 彼らは、何故かいわゆる地域を恐れてはいない。良くも悪くも地域の有力者、有力な保護者とは密接な関係にある。

 この構造は一体なんなのか。子どもの学力向上という学校の第一任務、世の中を生きていくための学力確保という学校の至上課題はどこへ行ったのか。

 子どもたちを取り巻く諸問題、いじめ、学力低下、不登校、家庭での虐待、それらは、一向に改善されることなく今日に至り、さきの2017年から2018年にかけて、文科省では戦後およそ9回目にもなろうかという指導要領改訂を行った。

 内容は、アクティブラーニングや、学び合い学習、そして、平成10年(1998年)の学習指導要領改訂時に初めて公式に使用されたことば「生きる力」まで、華々しいものなのだが、現実の子どもたち、生徒たちには無理なものであると言わざるを得ない。

 なぜなら、教師に教える力、すなわち授業力が決定的に不足しているからである。

 教師が不真面目で怠慢であるというのではない。行事などの無駄な仕事が多すぎるのだ。しかも、一部の教師サークルなどで勉強し、授業力を持つ教師は、何故かボスグループにマークされハラスメントを受けることになる。

 

 国力の低下

 未来を担うべき子どもたち、生徒たちが、高度な知識や能力を十分伸ばせず、かつまた過度の無意味な行事によって、虐待ともいえるような扱いを教師から受けている現実は、この国に何をもたらすのか。

 学校のほとんどの教師たちは常に何かに怯えてオドオドしている光景。そのまた一方で我が物顔で学校をしきるボスグループ教師。

 そういった歪んだ大人たち、教師たちを見て子どもたちは育っていく。

 結果は、従順で無気力な人間を大量生産しようとしているとしか思えない現状が、今の教育現場である。

 帰還せよ

 結局、総理に会ったとはいえ、別段大した報告はできなかった。

 ただ、教育現場の異常性を知ってもらいたかった。

 中にはというか、いい先生はたくさんいる。しかし、優しさと、妥協とは違うのだ。

 無気力、従順な人間製造作戦において、静かにそれに抵抗し、対抗している先生たちは確かに少なからずいる。そして、学校内のボスグループと戦っている。

 しかし、地域の圧力、なかでも保護者の圧力には逆らえない。

 残念ながら、多くの良心的な先生は、その闘いに疲れ果て、心を病んで、学校を去る先生がほとんどなのだ。

 そして、わたしのように、圧力に従わないものは、心も体もズタズタにされてしまうことになる。そういった先生もいる。

 学校を狂わせているものの正体は、左翼的な教員組合でもなく、高圧的な教育委員会でもなく、モンスターペアレントでもなく、具体的な形が見えない。

 おそらくは、地域にひそみ、その一部は学校内部にも存在する何らかの勢力だという報告しかできなかった。しかも、これは全国規模である。

 しかし、それは確かに存在している。それを、具体的に報告できたのが唯一の成果か。

ああ、この米軍機。この前のやつだよ。今度は猫が乗ってないな。あの娘一人だ。

瞳、おかえり。おっと、今日は指令もご一緒ですか。

 マスターただいま。指令もご一緒だよ。

 ああ、指令。お久しぶりです。今日はまたどうしたんです。

 まあ、成海中尉が帰ってきたんでな、わたしもお邪魔しようと思ってね。

 ああ、瞳。トムキャットでここは駄目だろうが。重量オーバーだぞ。

 了

 (注:「地域との連携」グーグルAI要約より

 これは、小説であり、実在の人物、団体とは一切関係ありません。

 

 

 

 

 

 

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