制作活動って何なんだろう・・・
こんにちわ。成海瞳の鬱(うつ)日記です。
昨日、雨天の日曜日が行動美術巡回展の最終日でした。
先生方による講評会があり、その後、会費1万円のホテルでの懇親会もありますが、当然両方とも欠席です。
わたしは、土曜日にこっそり見に行きました。
天王寺なので、画材店によってパステルとか画材調達も兼ねてます。
なんかね。少し空しくなってきてまして。美術団体に属して作品発表することとか。
この土曜日、朝一で、団体の会計係の先生から、巡回展協力費の督促の電話がきまして、これが1万円なんですよ。
画集の費用も1万1千円徴収されるんですけど、これは東京の本部からの電話があったんですけど。
その電話では、東京の本部には、生活が苦しいので納入期限を延期願えないでしょうか、とお願いすると、来年でもいいですから、無理しないで下さい。とおっしゃって下さったうえに、いつも素敵な作品をありがとうございます。とまでお心のこもった心遣いをして下さり、恐縮と感謝だったのです。
おかげで、この1万1千円の納入延期は、本当に助かりました。
でですね、一方関西本部はというと、これはまったく恐怖でした。
会計担当の先生は、いつぞや一昨年の京都巡回展のときに、優しく貴重なご指導をして下さって、大変感謝しておりました。
が、督促電話は怖かった。「世の中、人間ほど恐ろしいものはない。」これ、全く真理。クマより怖い。
まあ、美術団体もいくつか経験しておりますから、今まで派閥やらで先生方には、いろいろたくさん怖い思いは経験しております。でも今回は、行動美術は雰囲気がいいな、最高顧問の先生には可愛がってもらっていて居心地は良かっただけに、ちょっとショックでしたね。
公募に通る絵・賞を取る絵は、必ずしもいい絵というわけではない。
大学時代、大学院時代に悟ったことなんですけど、これ。
つまり、公募展に入選するためには、入選するための絵を描きます。つまり、通るためのテクニックがあるわけです。これは、必ずしも通る絵イコール優れた絵ではありません。(もちろん、入選、受賞していて尚且つ優れた絵画は存在します。)
要は審査に媚びてるわけです。現代絵画なら明らかな傾向、テクニックがありました。
大学院時代に、当時、中国から留学生の方が来られていました。この時代の留学生は今と違ってまともで、まっとうな人達でした。
その方は、腕は確かでした。かなりの腕です。いわゆる描写系の素直な絵(まっとうな絵)を描きました。
で、我が師匠の二紀展にも出展するという話になりました。
でも、彼女の絵は通らない。とわたしは危惧しました。在野系、現代絵画の絵ではない。さらには、入選するための決まり事を知らない。
そこで、わたしは、彼女に言いました。
「あのね、わたしたちが今描いている絵画は、百年後や後世の人たちにはくだらない馬鹿な絵だ。と評価されるのは分かってるのよ。くだらない絵だと分かっていて描いているわけ。でないと落選するから。」
まあ、ここでは具体的にはその内容は書きませんが、美術団体展に行かれた方なら分かると思いますが、心から惹かれる「いい絵だな」、って思われる、感じられる絵はほんとにわずかな数だと思います。
いい絵というのは、いい作品だというのは、心の内面に共鳴する絵です。単に写実的で上手だとか、意味が分かりやすいとかいうものではありません。
奇抜でも、心の内面に共鳴する芸術はあります。一番分かりやすい例は『太陽の塔』。
感性の有無もありますが、岡本太郎先生は本物の天才です。
でも、一般にはそんな天才そうそういるわけでもありません。公募展にある絵は単に奇抜であったり、インパクトを狙ったりだけだったりが大半です。
わたしの絵です。
これなども、いわゆる通るための絵画です。自分でも、大したものではないと分かっています。
技術だけの作品です。団体公募展では、自分のスタイル、アイデア、テクニックをみつけて主張するわけです。で、大体毎年同じ絵になります。
わたしの絵は、ほんらい水をテーマにした、或いは水路を描いた学生時代の絵が自分の絵だと思っています。でも、こういった絵は公募展では通りません。
わたしの幼なじみの彼も、実は絵を描きます。かなりの才能、腕前です。でも彼は公募展出品活動はしていません。それでいいんだと思います。(最近、ふと思うのは、絵心のあるもの同士が幼なじみでずうっと一緒に生きてきたというのも運命だな。)
公募団体やめようかな
まあ、なんで急にこんな話をするかというと、お金の問題が発端なんですけど、不意に空しくなりました。
もっと描きたいものがあるのに、自分は何をやってるんだろう。って、実はいつも思っているんだな。と気づきました。
少しほんわか話:おまけ
天王寺なんですけど、ミナミに比べたら日本人が多くてまだマシな方です。
大阪市立美術館に行くには、天王寺駅のコンコースの北西の角、大阪メトロ谷町線の入り口への階段を通らなくてはなりません。
かつて、天王寺駅のコンコースのこの辺りで、正月元旦に、お酒飲んでたのか、おっちゃんが、大の字に仰向けに倒れて死んでいました。見た目は、すでに完全に心肺停止状態、顔は土色。完全に手遅れ。
当時、腹が立ったんですけど、(はた迷惑)今は、「羨ましい死に方じゃな。おっちゃん。」といつもここに来るたび心の中で言うんですよ。
まあ、脳梗塞(脳出血)が来る前は、頭痛が来ただろうけど、あんまり苦しんだ様子はない。楽に昇天できたわけだ。(わたしをそちらへ呼んでくれよ。)ってそのおっちゃんに言ってます。
えっと、それとは別の話なんですけど、その階段、その地下エリア、自動ドアが無い。これはいつも困るんですよ。
まず、わたしにはドアが重すぎる。し、ドアノブが汚い。触りたくない。
コロナの頃は、一つだけ解放されていたんだけれど、今は全部閉まっている。
ああ、やだな。いつも、アルコールティッシュ越しに押します。
でも、その日は運よく階段数歩先に人がいる。タイミングがよければ、その人が開けたタイミングでドアが閉じ切らないうちに抜けられる。
んだけれど、ちょっと距離があって無理だった。
でも、その人、わたしに気づいてドアを開けて待ってくれていました。しかも、中東系の若い男性。
へえー、いい人もいるのか。レディファーストだね。少しほんわかでした。
でもね。やっぱり要注意よ!
ここから少し離れた西成区、いわゆる(あいりん地区)は、もう日雇いのおっちゃんたちより中東系が大半。もう、街自体が「ここ中東よ。」って言っても信じるよ。動画、画像検索してみてください。たまげます。これが大阪の現実、現状。
だから、維新が政権に加わるというのも、わたしとしては、「やっぱり一度自民壊さなきゃ。」って思うわけよ。