小説「ユートピア」最終回
カルト教団の本性
岬の張りこみにより、母、恵子の話は妄想ではなかったということが判明した。
すなわち、様々な怪現象ともいえる不可解な出来事は、現実に起こっていたということである。
しかし、深夜、庭に何者かが侵入し、雨戸を叩くという事は、およその犯人や、実際にあり得るということだ。ということは分かるのだが、分からないのは、母、恵子の言う、家の中での不可解な出来事。つまり、物が勝手に移動されている。物が無くなっている。その他いろいろ、天井裏から音がする、「なんみょう~」とお経が聞こえる。などといったことには、不可解な点、分からないことが多い。
まず、どうやって家に侵入してくるのか。
母、恵子が言うように、まさか屋根の秘密の入口から天井裏に入り、そこから侵入してくるなどというのはまずあり得ない。
これはやはり、精神錯乱がもたらす妄想だろうと思われた。
玄関から入っているというのは、考えにくい。通常、泥棒などが家に侵入する場合、玄関ではなくて、施錠の甘い窓などからが多い。
実は、岬が、(この家は訳アリだからやめておけ。)と警告したのは、まったく正しかった。
この家には、先住者によるそれを裏付ける痕跡がみられるのだ。おそらく、先住者も同じような被害を、例の隣家の破廉恥変態老人から受けていたのであろう。
たとえば、風呂場の窓は塞がれている。おそらく、家主同意のもとに窓をふさぐ工事をしたものと思われる。もちろん、例の隣家の破廉恥変態老人への対策だったのだろうと推測される。
また、隣家に面する窓には、サッシの枠に警報装置を付けていたと思われるビス跡があり、さらに、格子が追加されていた。これも、ここから侵入されたための対策だった可能性が高い。
今は、警報装置は取り外されているが、格子が残っているため、ここからの侵入はやはり困難であろう。
その他の場所は、侵入は困難だと思われた。
少なくとも、鍵を壊すなどして一度侵入したとしても、またその侵入口から出て後に外から施錠するなどということは、不可能だ。
にもかかわらず、母、恵子の言うように侵入された形跡は確かにあるように思われた。
岬が設置した室内用監視カメラは、実はおとりカメラで、大型の目立つものだった。そのほかに隠しカメラを数台設置していたのだ。
岬が実際に体験した例の怪現象の後、岬は本気になってその隠しカメラの方の画像解析を行った。
しかし、これといったものは写ってはいなかった。母、恵子、姉、浩子、そして岬自身しか写っていない。つまり、これは全くの謎であった。
御札張り
そんなある日のこと、岬がこの家を訪れた際、母、恵子は二階の部屋をみてくれと言った。
二階は二部屋で、ひとつは姉の浩子の部屋、その向かい側が和室の空き部屋であった。
その部屋の押し入れを開けてそれを見せられた。
一瞬岬は、神社のお札(おふだ)が押し入れの天井に貼られているのかと思った。
しかし、よく見ると、それはただのチラシだった。
それが、押し入れの天井いっぱいに貼ってある。
「何これ!」思わず声を上げる。
「ここから入ってくるのよ。天井裏からここの天井板ずらして入ってくるから、入ってこられないように貼っているのよ。天井裏からゴソゴソ音がするのよ。」
「何だ、これお母さんが貼ったの。」
「そうよ。」
「だからね。言ったでしょ。天井裏からは入ってこれないって。あのジジイ年寄だよ。忍者みたいなことできるわけないじゃん。それに、外から天井裏には入れないって。」
「いいや、仕掛けがしてある。ここの家が空き家だったときに何か仕掛けを造らせたに違いない。」
「勝手にそんな工事したら、大家が黙ってないでしょうが。」
「だから、分からないように、こっそり聖会教会の仲間に造らせたんだ。」
まあ、今となっては、岬ももしかしたら、と思わざるを得ない。何せ、聖会教会はカルト教団なのだ。やりかねない。まして、この街は聖会教会の信者が多い。
それに、カルト教団である。実行犯が例の隣家の破廉恥変態老人自身とは限らない。信者の若いものがやっていることもありうる。むしろその可能性の方が現実的だ。
いつぞや母、恵子は犯人を観たという、物凄くすばしっこい。母、恵子はあの爺さんを年寄なんて思ってはだめだ。とか言っていた。
しかし、2メートルの塀から飛び降りたというなら、年寄ではない可能性を考えるべきだ。
連中はなんでそこまでするのか、要は、連中はこの家から追い出したいのである。連中にとってはやっかいな岬の身内を。
傍観者
岬はずうっと気になっていたことがある。どうして、この騒ぎに姉の浩子が気付かないのか。
或いは、どうして、ほとんど錯乱状態の母を毎日見ていながら無関心でいられるのか。また、どうして平気でいられるのか。
このことを、前に聞いたことがある。
まだ、岬が怪現象を体験していなかったころ。
「あのね、姉さんは母さんのいうようなこと見たことある?」
「無いよ。」あっさり言う。
やっぱりね。あーあ、ついにお母さんにも認知症がきてるのかな。と思ったものだ。
しかし、そのときは意識できなかったが、岬はこのときの姉の言葉に何か違和感を覚えていた。
「無いよ。」という答え。・・・
いつもの姉なら「無い!」の後に(いちいち相手するから余計に変なこと言うんや。)とか、(ほっといたらええやろ。)とか何かとキツイおまけがついてくるのがいつもの姉の浩子なのである。
それに、姉は怖くはないのか。自分の母親が例の隣家の破廉恥変態老人に暴行されたのは間違いのない事実なのだ。
このことがどうしても気にはなっていた。
仏壇
この家には、というより、この3人家族、今は二人の家族には大きな仏壇があった。
これは、今いるこの家の前の二つ目の引っ越し先からすでにあったものだ。
もしかしたら、岬の知らない1件目の引っ越し先、すなわち最初の教祖、フランス人のカウンセラーの指導による最初の逃避先の頃からあったのだろうか。
岬は、仏式の決まり事には疎い。岬は神道なのだ。
だから、最初は気が付かなかった。その存在を意識すらしていなかった。
ただ、またずいぶんとまあ、りっぱな仏壇買ったもんだ。父方の祖父母の供養のためかな。
母、恵子は父方の小姑にはずいぶんと弱いからね。
粗相があってはならないわけだ。と岬は思った。
その程度だった。
しかし、最近、この例の隣家の破廉恥変態老人の騒ぎが始まってから、ある日ふと気が付いた。
このカルト教団:聖会教会は日蓮宗を基とした教義を掲げる教団である。
うちの家系、父方の本家はたしか曹洞宗である。曹洞宗にこの仏壇はおかしい。
それは、神道系の岬にも分かる。
曹洞宗では仏壇中央の一番高い位置に、釈迦如来の仏像または掛け軸を祀るのが一般的である。後は、脇侍が配置される場合もあるし、よく見られるように、お供えのご飯とか、線香とかいろいろあるわけだけれど、・・・。
何か違うな。この仏壇。
釈迦如来が無くて、厨子がある。これは確か、日蓮宗のものだな。それも聖会教会の形式だ。
なんで、こんなものがこの家にあったんだ。
真犯人
そうだったのか。・・・
それで、合点がいくことがいくつもあった。
まず、この3回目の引っ越し先の選定。つまり、この問題の家、隣家に破廉恥変態老人がいる家への引っ越しの決定。
岬は、最初の高畑町の物件を強く勧めた。
にもかかわらず、姉、浩子の強い要求でこの家に決定してしまったのだ。
結果、それがすべての不幸の始まりになってしまった。
この家にはもうこれ以上住むことはできない。
もう、母、恵子は隣家の破廉恥変態老人のいるようなところは嫌だという。当然のことだ。これは、もう避難するのが唯一最善といえる。
そして、つぎの引っ越し先。つまり、今のこの騒ぎの家からの避難先の選定をしなくてはならなくなった。
とにかく、母、恵子は聖会教会のいるところは絶対に嫌だという。まあ、それが当然であると岬も思う。
それだったら、と岬は候補を挙げた。
必然だった。簡単なことだ。最初の高畑町にすればいい。
春日大社の宮司の多い場所。さらに、この一帯、奈良教育大学を中心として『春日大社』、『自衛隊奈良地方協力本部』、『奈良県至誠会館』、『護国神社』さらには保守系団体の大物のお屋敷に囲まれた超保守帝国である。
『奈良県至誠会館』には(靖国神社公式参拝の実現を推進しよう。)(奈良県護国神社に参拝しよう。)という大きな掲示塔が建てられている。
ここなら、新興宗教で、しかも左翼系思想をも掲げる聖会教会の信者はほとんどいない。まあ、それでもやっぱり聖会教会の政党ポスターを貼った高齢者の家も一、二軒はあるがここでは何もできない。脅威ではない。
または、少し不便になるが、天理教の内懐に入るのもいい。天理市内中心部は市民のほとんどが天理教信者だと思っていい。ただし、本部付近での話ではある。少し離れると、聖会教会の信者も少なからずいるのでここはすこし注意が必要にはなる。がここも悪くはない場所ではある。
しかし、これらの案に姉の浩子が猛反対した。
岬が手ごろな物件を見つけて、不動産屋と交渉を始めた途端に、さっさと勝手に別の物件、つまり例の団地への入居手続きを進めてしまった。
岬が「これ、いったいどういう事。」と怒ったが、逆に激高し、「何であんたが決めるんや。あんたには関係ない。」という。
この姉の物件、一目見て岬はやばいと思った。何と聖会教会の奈良本部のすぐ傍なのである。
このとき、ようやく岬は確信した。(なるほど、そういうことだったのか。・・・)
ただ、母、恵子には何も言うまい。と岬は判断した。
ただ、聖会教会が嫌なら、わたしの進めるところにするべきだ。なおも岬は説得し続けた。
しかし、姉、浩子は強硬だった。ほとんど有無を言わせず、「わたしがいつもお母さんの面倒てるやろ。病院行くのかてわたしがおらんかったらお母さんあかんやんか。どうするねん。」
「こいつにまかせんのか、わたしにまかせんのか言うてんねん。」
こいつとは、岬の事である。
「頼む。」と母、恵子は姉、浩子を選んだ。選んでしまった。
何も知らないのだ。真実を知らないのだ。姉、浩子は聖会教会の信者だということを。
岬は諦めるしかなかった。しかしながら、これは、相当深刻な事態だ。
真実
あの家の中での怪現象は、姉、浩子の仕業だったのだ。
だから、監視カメラには、それらしき人物は映らなかった。母、恵子と、姉、浩子、そして岬しか写っていなかったのだ。逆に言えば、姉、浩子という真犯人は、ちゃんと写っていたといえる。
物が動く、屋根裏で音がする。(なんみょう~)とお経が聞こえる。
これらは、母、恵子の幻覚、幻聴ではなかったのだ。
すべて、姉、浩子の仕業だったのだ。
浩子は、フランス人のカウンセラー、すなわち教祖を失った。これは浩子にとっては耐え難い喪失だった。
あのカウンセリングは、もとは母、恵子が見つけてきたものであった。そして、姉、浩子にも強く薦めた。母、恵子はそのころすでにカウンセリング依存に陥っていた。それまで数えきれないほどの得体のしれない啓発者や救い主に心の助けを求め、また正規の病院のカウンセラーも多数を渡り歩いてきた。しかし、病院の専門医によるカウンセリングを受ける頃にはもう手遅れだった。そして、娘にも、自分と同じ道を歩ませてしまった。そして、両者ともに完全にカウンセリング依存状態に陥ってしまっていた。さらに最後には、父も含めた家族ぐるみとなってしまっていた。
フランス人のカウンセリングでは、母の恵子より、むしろ浩子がここにのめりこんでいたといえる。
ある日、岬が付き合わされた時のことである。姉、浩子はカウンセリングの時間よりだいぶ早く到着していた。そして、あの古びたスラム街のような古びた巨大な団地の非常階段に座り、ひとり時間を待つ姉の姿を観た。そのあまりにも悲惨ともいえる姉の有様に、どうしようもない絶望感を感じたのを覚えている。
この姉は、あんなカウンセリングもどきに、依存しなくてはならない状況なのか。
だが、そのフランス人のカウンセラー、すなわち教祖は自〇し、絶対の心の支えを失ってしまうことになる。
結果、ただ彷徨い、放浪し、そのあげくに聖会教会にたどり着いてしまったのだ。
ユートピア
岬のいない家族の支配者は、この姉、浩子だった。
最初に気づくべきだった。
二か所目の引っ越し先での状況。
大きなフードの付いた邪魔なだけのフロアスタンドランプ、大きな揺り椅子、派手な照明器具、まるで会議室にあるようなバカでかいテーブル。
これら狭い日本の家屋には無理のある家具。みんな姉、浩子の好み要求で買ったのだろう。
それに、これまた大きすぎるりっぱな仏壇。
その挙句、仏壇以外はすべて失い、最後には、世の中に見捨てられたような狭い公団住宅の一室になってしまった。
年老いた母親と仏壇だけを持って。
母親、恵子から岬には、手紙がときどき届いた。
内容は、「なんみょう~という声が毎日聞こえます。高畑町でいい場所はありませんか。」
まあ、助けを求めている内容である。
今更遅いよ。と思う。かわいそうだけれど、姉、浩子を選んだのはあなただよ。と岬は思う。
なにより、岬にはもうどうしようもできない。
姉、浩子の最後の言葉を思い出してしまう。
「もう、あんたとは永遠にさよならよ。」
そのうち、手紙も来なくなった。
認知症が悪化してしまったのか、それとも聖会教会に慣れたのかな。聖会教会ももう、母、恵子を攻撃する理由も無くなっているはずだ。折り合いはついていることになる。別段母には何もしないでそっとしているだろう。
もしかしたら、数年ぶりに姉、浩子に再会したあの夜。
ガチャンと閉じられたドアの向こうには、意外に狭いながらも二人には安寧の空間、時間があるのかもしれない。たとえ、毎日の介護が大変でも、あそこがあの二人が、ようやく放浪の末にたどり着いたユートピアなのかも。と思えてもくる。意外に理想は身近に存在しているものだ。所詮この世は、そんなものなのだと思う。
了
*この小説はフィクションであり、登場する個人、団体等は、実在のものとは何ら関係はありません。