不定期連載小説7・最終回
王女様のご帰還
夏休みにはまだ早いが、今度の日曜日に妹の多加代が急に帰ってくることになった。
今は奈良女子大学の学生寮生活をしている。一日だけの里帰りだ。
そういえば、瞳はこの実の妹、多加代にはまだ一度も会っていない。もちろん、瞳が店の使用人としての身分になってからの話ではあるが。
かなりの不安を感じらざるを得ない。
もちろん、わたしが実の姉の瞳だということが分かりはしないか、という心配だ。
果たして、この気の強い妹は、若い兵隊と駆け落ちした実の姉をどう思っていいるのか。
このところ、それがずっと気がかりである。
叔父の次朗とは、あの日の夜のデート以来、これといったことはなかった。
あの後、平安神宮まで行って、お参りしたあと、古都にはめずらしいというか、いや、京都では意外に珍しくもないのだが、モダンな喫茶店でコーヒーを飲みながら雑談した。
はたから見たら、まあ、それなりのカップルではあるか。
雑談しながら、瞳は思う。
(この叔父と結婚して、あの子の母親になる。)なんてことになったら、一体。・・・まあ、叔父と姪との結婚なんて、あり得ない話ではあるのだが、叔父がこの話を知ったら、普段は泰然(たいぜん)とした叔父でも、さぞかしたまげることだろう。
再会
いよいよ日曜日がやってきた。妹の多加代は午後にはやってくるだろう。
瞳はお客の対応で忙しいながらも、気が気じゃない。
まあ、実の両親ですら、わたしが娘の瞳だとは気が付かなかった。だからこそ、あのとんでもない結婚話を提案してきたわけだ。だからまあ、一応、大丈夫だろうとは思うのだが。
そして、午後になる前に、予定よりだいぶ早く、昼前に早々と多加代は帰ってきた。
「ただいまー!」
他のお客にはお構いなしだ。
瞳は戸惑うが、トメさんが「あら、お嬢様。おかえりなさいませ。」と声をかける。
瞳もそれを見習い、「おかえりなさいませ。」と言う。長い挨拶をしている場合でもない。今は商売の時間、お客の対応が一番だ。それが逆に助かる。
しかし、瞳の期待。多加代が、ただの新しい身慣れない使用人など気にはしないだろうという予測は外れた。
多加代は、しっかり瞳を見つめた。瞳はドキリとする。
しかし、久しぶりに妹に会うと、この子も大きくなったもんだ。と感じる。だいぶ顔つきも、幼かった頃と印象が変わっている。
向こうもこちらを分かるまい。
「あら、あなたが新しい女中さんね。」
「はい。お嬢様。瞳と申します。よろしくお願いいたします。」
会話はそれだけだったが、多加代はしばらく、・・・数秒間、瞳を見つめた。
しかし、すぐに奥の方へ入っていった。
家族会議
いつも通り、というより、いつもより遅めに壮は飯をもらいにやってきた。
日曜はお客が多いのを知っているのだ。
最近は、窓から大声で「飯くれ!腹減った!」とか言う行為は無くなっていた。普通に表から入ってくるようになった。もう、ふつうにこの店の子だった。
瞳にもうだいぶ慣れているようだった。慣れるというより懐いている。店に来ると、真っ先に瞳の腰に抱きついてくるようになっていた。
瞳は少し重いが、抱っこしてやる。そうしてやると、もう、笑い顔も当たり前に見せるようになっていた。
この子がわたしの息子・・・になる。まさかね。それは無理だわ。やっぱり。
壮が帰った後。多加代を交えた夕食になった。
「へえ~、おねえちゃんと同じ名前なんだね。」
とか、「ご主人、戦死したんだ。苦労したんでしょ。」とか遠慮も無しにずけずけ言ってくる。
瞳はまるで針の筵(むしろ)にいるような心ごちだった。
次朗が心配そうにして、いちいちを話をそらしてくれる。
「多加代。大学の方はどうだい。ちゃんと勉強しているのか。」
「あたりまえじゃない。うちの大学はしっかりした娘さんばかりだよ。怠けてたら置いてかれるよ。」
「学部は確か法学部、だったよな。司法試験受けるんだろう。勉強で大変だろう。」
「まあね。で、瞳さん。それでね。ご主人お亡くなりになった後。どうしてたの。」
せっかく次朗が話をそらそうとしても、効果なし、お構いなしだ。
父の徳二も、母の岬も、多加代の無神経な言葉をいさめるように注意する。
母の岬が「多加代。いい加減にしなさい。」と言っても、
「いいじゃない。聞いてるだけだよ。」
徳二も「そんな人のつらい過去の事、軽々しく聞くもんじゃない。」
「まあ、それもそうかもね。」
まったく、気の強いというか、まあ、むかしからこんな子だったな。そういえば。変に懐かしくもあるかな。
多加代
一日きりの里帰りだった。
夕食後の後片付けが一段落したあとのことである。食事の支度から後片付けは店の娘の多加代も手伝う。こういった習慣はこの家の家風、躾(しつけ)なのだろう。
布巾で食器を拭きながら、何故か突然、多加代は、「瞳さん。今晩一緒に寝ようよ。」と言って来た。
(何なのこれ。)と瞳は思う。
続けて多加代が言う。「いつも、おねえちゃんと一つ部屋で一緒だったんだ。寝る時もね。」
瞳は「そうだんたんですか。でも、いいんですか。」
多加代は「いいよ。こっちが頼んでるの。」
布団を並べて二人で床に就く。
多加代は「ああ、久しぶりだ。やっぱり自分の部屋は落ち着くな。」と言う。
瞳は「そうでしょうね。今はこのお部屋は、わたしが使わせていただいてます。」
しばらくの沈黙。
そして、いきなりだった。
「おねえちゃん。本当に大変だったんでしょ。今まで。」
「・・・・・」え、どういう意味。どういう事。
「わたし、瞳おねえちゃんだと知ってたんだよ。ごめんね。さっきは。」
「え!・・・あの、それって、・・・。」瞳は言葉が出ない。
続けて、
「実はね。お父さんも、お母さんも、もう知ってるんだよ。瞳おねえちゃんがこの家に帰って来てるんだってこと。」
両親ともに、わたしの正体をすでに知っていた。って。これ、いったいどういうこと。
家族
翌朝は、昨夜のことで頭がいっぱいだった。ほとんど眠れなかった。疲れがたまっていたのかいつの間にか眠りにはつけていたようだ。
起きると、多加代はまだ眠っている。
この子はわたしの正体・実の娘の瞳、その本人だと知っている。そして、すでに両親もそのことを知っていると言った。あれは夢ではない。
とりあえず、そっと、起き出して布団を片付ける。いつものように、朝の支度をしなくてはならない。
でも、どういう顔して両親に顔を合せればいいのか。・・・・・
しかし、その日も一見いつも通りだった。
瞳は相変わらず使用人としての瞳を続けるしかなかった。一緒に朝の支度をしているトメさんは知っているのだろうか。瞳が瞳だということ。
この店の実の娘・瞳だということを。
朝の食卓。
誰も何も話さない。
申し訳程度に父が多加代に、言う。
「今日、もう帰るんだな。」
「うん。授業は無いけどね。もう帰らないとね。明日からまた講義があるし。」
それだけだった。
瞳はどういう態度でいればいいのか分からない。
助けをもとめるように、瞳は叔父の次朗に視線を送る。
(兄貴、わたし、どうすればいいの。)
すると、兄貴がそれに答えるように突然言った。
兄貴としての言葉使い。普段二人きりのときの話し方。
「瞳。今晩みんなで話をしよう。今後の事。ねえさん、にいさんたちと一緒に。トメさんも同席してくれ。」
そして、いきなり
「わたし、やっぱり帰るの明日にする。」
と、多加代も言う。
「それがいいよ。多加代もいる方がいい。」と兄貴。
その後、瞳は一日中、頭が混乱していた。店の仕事も上の空だ。
一体いつバレたんだろう。いや、いつからわたしが実の娘の瞳だと両親は知っていたのか。
少なくとも、叔父とわたしとの結婚話を持ち出してきたときは、まだ、娘とは気づいてはいなかったはずだ。
もし、あのとき気づいていたなら、叔父と姪との結婚話なんて言い出すはずも無い。
まったく、どうしてバレたのか。最初、初めて帰って来た時には、両親、トメさんとも私が娘の瞳だとは全く気付かなかった。
兄貴だけは事実を知っていた、しかし、兄貴がわたしに黙って誰かに事実を教えるわけがない。
そんな堂々巡りの一日だった。
そして、いつものように、その日も壮がやってきて飯を持って帰った後、その日の夜が来た。
黙々とした夕食が終わり、片付けが一段落したあと。家の全員が座敷に集まった。
面影(おもかげ)
トメさんがお茶をみんなに配ってくれた。
みんな一口お茶を飲んだ。そして、成海屋の主、父の徳二が声を発した。
「みんなに伝えておきたいことがある。」
「もう知っての通り、行方知れずだった娘の瞳が返って来てくれた。」
「いや、もう帰っていたというべきだな。」
しばらくだれも声を発しない。
耐えきれずに瞳が言う。
「あの・・・、いつから気づいていたの?」無意識にもういつの間にか家族言葉で、一番気になっていたことを聞いてみる。両親に、みんなに。
母の岬が答える。「最初はお父さんも、わたしもトメさんもだれも全く分からなかったのよ。」
「顔が似てるのさえ気が付かなかった。あんた、若いからね。見かけが。」
「だから、どうして分かったの。」
「そうね。気づいたのは一月も経たなかったかね。気づいたきっかけは、あんたのね、働いているときの後ろ姿。なんだよ。」
「後ろ姿?」
「そう、後ろ姿。どこかで見たような気がしていた。これは最初からなんだけど。後ろ姿、それと仕草とか動作なんだよ。」
続けて「そして、あるとき思い当たった。この娘(こ)、瞳だ。実の娘の瞳だ。ってね。」
「後ろ姿、仕草、動作なんかで本当に分かったの?」
「そう。そういうもんなんだよ。人ってのはね。後ろ姿に面影がでるもんなんだね。で、お父さんにも、そのこと言ってみたんだよ。」
今度は父の徳二が言う。
「実は、わたしもね。同じことを考えていた。というより、すでに岬に聞かれたころには確信していた。」
瞳は絶句せざるを得ない。そうか、顔ではやっぱり分からなかったのか。でも、後ろ姿、仕草、動作で分かったって・・・・・。
にわかには信じられない。
トメさんに聞いてみる。
「あたしゃ、目が悪いからね。逆にその分、ご主人たちより早く気づいていたかもね。まあ、一緒に仕事している時間が長かったじゃないか。」
「それって、やっぱり後ろ姿、仕草、動作、ってこと?」
「いやいや、あたしゃそんなに目利きはきかないよ。ただね。例えば水仕事とかさ、いろいろ一緒にやってるときとかさ、仕草とか話し方とかね、あれ、これ娘さんの瞳さんそっくりだな、ってのがあるんだよ。でも、まさかね。気のせいだろうとは思ってたけどね。」
瞳は、それらを聞いて、しばらく茫然とせざるを得ない。わたし、一体今まで何やってたんだろう。
結局バレちゃってたわけだ。所詮、最初から無駄な努力、労力だったのか。
ここで、妹の多加代が言った。
「わたし、最初に顔見たときからすぐに分かった。(あ、ねえちゃんだ。)って。だって、そのままじゃん。いなくなったときからそのままだもの。」
ペロっと舌を出してまた続ける。「まあ、あらかじめ教えてもらってたんだけれどね。これはズルだね。」
真実
また、しばらくの座の沈黙の後。
どうしても納得できない事が残っていた。
すなわち、瞳と叔父・次朗との結婚話だ。
これは一体どういうことなんだ。瞳にはさっぱり理解できない。
どうして、実の娘と分かっていながら、父はこんな提案をしたのか。
瞳は思い切って言い出した。
「あのね。どうしても分かんない事。兄貴と私の結婚話って一体どういうこと?」
続けて言う。「兄貴。この話、父から聞いてたの?」
次朗が答える。
「ああ。実は聞いていたんだ。最近だけどね。姉さん夫婦からちゃんと正式にね。」
「え~!・・・一体どういう事なのこれって。」
母、岬がこれに答えた。
「実はね。次朗はね、わたしの弟はね、わたしの実家の養子なのよ。つまり、わたしと次朗には血の繋がりは無いの。」
瞳はふと思い出す。そういえば、母と叔父は全然似ていないということは、かつてから感じていたことだ。
父、徳二が続ける。
「そうなんだ。岬の実家には男の子がいなかった。で、岬の実家は次朗を養子にとったんだ。」
次朗が言う。
「でも、俺は、結局姉さんの家を継がなかった。まあ、少なくとも家業をね。役所に就職してしまった。どうも、俺には農業には向かないらしい。」
徳治が言う。
「だからだ、瞳と次朗が結婚しても、実は問題はない。血の繋がりは無いんだよ。次朗には今度はうちの入婿になってもらってこの店を継いで欲しいと思ったわけだ。」
「それ、って何。」
瞳は頭がこんがらがってくる。こんなことって本当なの。兄貴とは血のつながりが無い。・・・
岬が言う。
「瞳。次朗の事どう思う?」
「かあさん。それどういう意味?」
「だからね。あなたち見ていて思ったのよ。まんざらでもないんじゃないか、ってね。」
「兄貴とは、兄貴ってだけだよ。」と瞳は答える。少なくとも事実だ。自分ではそう思う。
「それだけ?」
「どういう意味?」
「あなた自覚ないのかもしれないけど、瞳は次朗のこと慕っている。」
「な、な、・・・何で。そう思うわけ?」
「あなたたち、けっこう好き合ってるんだよ。分からない?」
瞳は頭が空白にならざるを得ない。
「兄貴は、どうなんだよ。こんなのってあり?」
「だからさ、瞳。・・・あの月の夜。白川筋から平安神宮へ一緒に二人で散歩に行ったとき、言ったろ。俺の気持ち。」
続けて次朗は言う。
「あのときは、照れ隠しに冗談だって言ったけど、まあ、あれは本当は本心だったわけさ。」
著者あとがき:
あとがきの最初にわたしの意見を述べさせて下さい。
この小説にも少し書いていますが、戸籍は大事なものです。今、世間で物議を醸し出している『選択的夫婦別姓制度』ついて、わたしは明確に反対を表明します。
戸籍はその人と、その人の国籍を証明する唯一大事なものです。
この小説を突然書くきっかけになったのは、自衛隊機事故です。
小説で瞳の夫としても書きましたが、小説の時代にも、現代においても、日本という国を、命をかけて、自分の命を引き換えにして守ってくださる人たちがいます。
そのことを、けっして忘れてはいけないとあらためて思いました。
いま、この大事な祖国、日本が壊され、切り売りされ、奪われつつあります。
わたしは、この日本を自分の利益のために、食い物にする今の権力を許すことができません。
さて、
小説についてですが、よく、事実は小説より奇なり、といいますが、いくつかの内容は、わたしの実体験を基にした部分でもあります。
もちろん、今は亡き叔父との恋愛関係は完全なるフィクションです。