不定期連載小説3

成海瞳の鬱(うつ)日記

 土練り

 陶器を扱うこの店は、今や「何でも屋」の様相。

 戦後復興の活況。毎日けっこう生活道具を求めてお客がやってくる。瞳も一人前の使用人としてお客接待にも慣れてきた。忙しい日々だった。

 「あら、初めて見る顔だね。新しい女中さんなのね。」とかおなじみさんから言われると、最初は気恥ずかしかったが、すぐに慣れた。

 毎日がいつの間にかあっという間に過ぎていった。

 本来が陶芸専門店なのだが、今では、むしろ雑貨店そのものである。もう、雑貨を扱う仕入れ業者との繋がりも確立していた。戦前までの陶器関連の業者とは別業種の無縁の新しい取引先である。

 物の無い時代ではあるが、大きな店ということで、比較的、伝手(つて)もあって優先的に品を回してくれる。

 しかし、肝心の本業の陶器関連の商いは全く無いのが現状だ。

 まず、職人がいない。

 店の奥の裏庭にある作業小屋や窯は完全休業状態である。

 瞳はそれが寂しかった。

 裏庭には、薪やら粘土などの材料がたくさん置いてある。また、店の入口の土間にも少しばかりの粘土が積んで置いてある。長らく放っておかれているせいで、当然、粘土とはいえ、乾燥しきっていてカチカチである。

 忙しい日々ではあったが、瞳はどうしても土を久しぶりにいじってみたくなった。

 少女時代に父や職人たちに、手習いでもないが、陶器造りは少しは習ってはいた。

 裏庭にある、粘土用の大きな平たい桶に水を一寸ばかり張って、店の土間にある粘土の塊を一つ漬けておいた。

 粘土の塊は、ひとつが縦横一尺ばかり、厚み二寸くらいの箱型である。かなり重いが何とか裏庭まで運んでいった。

 それが二日ばかり前。

 様子を観ると桶の水が粘土に吸い込まれてほとんど無くなっている。その分、粘土を指で押してみるとが柔らかい。

 「うん。これなら練れるかな。」

 柔らかくなった粘土のかたまりを、また店の土間に持ってきて、練り台の上に置く。

 少し、緊張ぎみに練り始めてみる。昼下がりの客足の途絶える時間帯だ。そう長くやるつもりは無い。

 はじめは体重を乗せて押し練り。かなりまだ固い。

 安い壺などとかを焼くための粘土である。黒っぽい色合いのあまり質の高いものではない。これなら勝手にいじっても、店の主人・父には叱られないだろう。

 襷で着物の袖まくっていても、この力仕事はやっぱり作業着が欲しいところだ。着物が汚れてしまう。後で埃を払うのが大変だ。

 けっこう力仕事なのか。すぐに体が熱くなってくる。まだ、春先で夏ではないのが助かる。

 最初は固かった粘土も次第に柔らかくなってきて、本来の粘っこい焼物用の粘土らしい感触が出てきた。

 しかし、何とまあ質の悪い粘土だろう。小さな石のかけらや石ころまで異物がいっぱい混ざっている。そのせいで練り心地がかなり悪い。

 瞳はそれらの異物をいちいち取り除いては土間に捨てる。こんなのが混じったまま焼成したら、大変だ。

 とてもじゃないが、このままじゃ、すぐには本練りの「菊練り(きくねり)」までもっていくのは難しい。

 (よくもまあ、こんなひどい粘土を仕入れたもんだ。使い物にならないよ。)

 そんなとき不意に声がした。

 「ひどいもんだろ。戦時中だったからね。粘土という粘土はみんな手りゅう弾の材料に使うために全部もってかれたんだよ。」

 兄貴だった。

 瞳は無言だ。

 兄貴はさらに言った。

 「瞳。・・・」(呼び捨て。)

 「やっぱり土が恋しいんだな。」

 瞳は無言。

 手を休めずそのまま練り続けては、かけらや石ころなどの異物を取り出しては土間に捨てている。

 「兄貴。いつから気づいてたの?」

 瞳は不思議と驚かなかった。

 「俺も始めは全く気付かなかった。思いもよらなかったよ。瞳がこの店・家に返って来ていただなんて。」

 兄貴だったら、見抜いてしまうだろう。というのは最初から分かっていた。

 まさか、兄貴がこの店に居候していただなんて、予想外だった。だから、多分、最初から覚悟はできていたのだと自分でも思う。

 兄貴・この歳の近い叔父は、かなりの変人(へんじん)ではあるが切れ者なのだ。

 「役場に電話かけてきただろう。あの後、そのとき聞いた旦那さんの名前と住所で調べてみたんだよ。」

 「・・・・・調べてくれてたんだ。」

 「ああ、気になってたからね。それに、声が変わってたけど、なんかどこかで聞いたことがあるような気がした。でも、そのときは本当に瞳だとは思いもよらなかった。」

 「どうやって、調べたの。というか、記録なんか無いはず。」

 話している間も瞳は手を休めない。何かに付かれたように粘土を練っては異物を取り除く作業を続けている。

 「確か、ご主人、富山県だったね。住所も大方分かるから向こうの役場に問い合わせたんだ。」

 「そしたら、幸いにも空襲でも役場は焼けずに戸籍が残ってたんだよ。ご主人の戸籍。」

 「寛さんの戸籍。・・・でも、どうしてそれでわたしのこと分かったの?」

 「寛さん。一度、ちゃんと瞳との婚姻届けを出していたんだよ。」

 「うそ!わたし寛さんから聞いてない。そんなこと。」

 「でもね。婚姻届けは君のはんこも必要だしね。ちゃんと、一度出してあったんだよ。」

 そういえば。確かに書いた覚えがあった。「婚姻届け。」すっかり忘れていた。

 「でも、どこの役所に言っても、そんなものは無い。って言われてたもんだから。忘れていた。」

 「そう、無かったんだ。つまり、婚姻届けは取り下げられていた。ということだ。」

 「瞳のご主人、寛さんが急いで届を取り下げたのさ。その婚姻届け。そのときは、瞳のはんこを無断で使ったんだろう。内緒だったみたいだ。」

 「それ、どういうこと?どうして?」

 「それはつまり、寛さんの思いやりというか、配慮だな。瞳への。」

 

 兄貴は続ける。「つまり、瞳の将来というか、自分の運命を悟ったというか。そういった理由なんだろうと思う。」

 「わたしの将来?、自分の運命?」

 「そう。つまりはね。戸籍なんだよ。」

 「戸籍?」

 「そう。寛さんの戸籍を辿ってみたら、君のことはすぐに分かった。」

 「どこでも、どこの役所でも婚姻届けが、つまり、結婚した籍が無いから駄目だと言われたのよ。なのに何で戸籍なの。」

 「つまりね。それは一度、婚姻届けだしちゃうと、それが戸籍に記載される。」

 次朗は続けて言う。「それがこちらの京都の役場にも連絡というか手続き書類が来る。そして、君は、瞳は寛さんの妻としての新しい戸籍を持つことになる。つまり、それで瞳の居場所はご両親にも分かってしまうんだけど。でも、もし、そうなっていれば遺族補償も受けられたんだよ。本来ならばね。」

 「戸籍に記載されるの?結婚って。」

 「そうだよ。意外に知らない人が多いんだけれど。でも、寛さん、だから瞳に黙ってすぐに婚姻届けを取り下げたのさ。君への思いやりだ。取り下げたのが早かったから、戸籍のへの婚姻取り下げ記載も早かった。だからこちらの役場には、連絡は来なかった。」

 

 「何それ。どいう言う意味?」

 「だからね。寛さん、海軍の飛行機乗りだったろ。それも戦闘機。」

 「そうよ。せっかく富山で二人で生活を始めた途端に、大陸の方へ命令が出て行っちゃった。」

 「だからそれなんだよ。自分はいつ〇ぬかもしれない身だということに思い当たったんだよ。多分。」

 瞳はそのとき手を止めていた。そんなことがあったのか。

 「多分そういったわけで、寛さんの申し出で婚姻届けは結局すぐに破棄されてしまった。しかし、実は彼の戸籍にはすでに婚姻が記載されてしまっていた。瞳の旧姓の名前と一緒に。」

 「そして、戸籍に記載されたことは、一度記載されてしまったら、それを取り下げたとしても消えない。消すことはできない。」

 「消えない?、消せない?」

 「そう、戸籍ってそんなものなんだ。ただし、斜線は引かれる。それだけ。だから俺は寛さんの戸籍から瞳の事が分かったわけだ。」

 「でも、どこでも婚姻の記録は無いって言われたのよ。」

 「それはね、斜線が引かれて結婚は破棄されたことになったから、こちらの京都の役場には婚姻の連絡の届は来なかったからさ。役場の仕事はのんびりだからね。だから、瞳の戸籍はまだ未婚者だということになる。」

 そうだったのか。

 「だからね。瞳がどこの役所に相談に行っても、瞳は寛さんの内縁の妻。すなわち婚姻があったとは認められなかったわけだ。」

 「君のご亭主。寛さんは本当にやさしいいい人だったんだ。」

続く

 

 

 

 

 

 

このページの先頭へ