瞳の独り言・引っ越しって大変

瞳の独り言

 こんにちわ。瞳です。ヤモリなんですけど、今年は最初に現れた中くらいの大きさの個体一匹しか見ないんです。それも滅多に現れません。他には一度だけ小さな生まれたての子がいたけれど、一度っきり見ただけでそれっきり、去年までいた大型の雌2匹を中心とした群れがいません。一体どうしてしまったのかな。

 もう8月だし、例年なら台所の窓はヤモリでいっぱいなんですが。予定ではこの夏と秋限りでお別れなのでなんか寂しいです。

 人生のお荷物

 今度移る所が、もし終の棲家になるのならば、ネコたちの位牌は言うまでもなく、持って行かなくてはいけないものがたくさんあります。引っ越しで持って行くもの、持って行きたいもの、持って行かなくてはならないものを考えた時、本当にたくさんあって驚いた。

 これが本当に結構というか物凄く多いの。人間。人生いつの間にか背中にいろいろなもの背負って生きているんだ。

 本とかはいいんですよ。いくら多くても箱に詰めたらいいだけ。「いつか読書する日」(2005年)という映画で、田中裕子さん演じる女性の部屋が、壁いっぱいの本で埋め尽くされているシーンがありますが、わたしの家にはあれ以上の量の本があります。

 わたしは教師時代。子供たちに「本は宝だよ。どんな財宝よりも貴重な宝なんだ。君たちが授業で書いているノートも立派な書物の一つなんだよ。」と言ってきました。古来より本・書物は焚書(ふんしょ)にみられるように、常に損失の危機にさらされつつも、貴重な情報・知識を後世に伝えてきました。人類は文字を獲得し、知識を伝達することによってはじめて文化を獲得しました。情報・知識(学問に限らず思想・文化・芸術その他すべてを包括しうる。)は宝です。

 たとえ科学的に間違いであろうとも、思想的に問題があろうとも、本・書物は貴重な情報そのものなのだと思います。映画「薔薇の名前」の中で、修道士のショーン・コネリーが燃え盛る書庫の中で号泣するシーンが忘れられません。

 で、別段学問関係の本でなくても、小説の文庫でもわたしは一応保管しているので膨大な量になります。でも、これらは段ボールに詰めればいいのです。まあ、段ボールの数は凄いものになりますが。

 問題は大変なもの。大変だな、と思うのは、飛行機の模型や、鉄道の模型。絵画作品などの美術品。刀などの骨董美術品。(女だけれども剣道をやってた。)これらは本当に大変。荷造り梱包から輸送、保管までまったくもって大問題。業者まかせにはできない。高価だからというより、二度と手に入らないものばかり。

 ついでに本物と確認できたラムちゃんのアップのセルや、女らんまのアップのセルとかのお宝もの。欲しい人にあげられればいいんだけれど。昔の学校の同僚で、熱狂的な「うる星やつら」のラムちゃんファンの先生がおられまして、その方女性なんですが、今は連絡がつきません。

 まあ、他にも本当にいろいろあって、これで年内に目途がたつのだろうか。・・・・・。

 

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