ならまち 歩いてきました
こんにちわ。ブログ瞳です。タイトルですが、「地味系女子」というのを足してみました。基本わたしは化粧をほとんどしません。格好はいつもジーンズにスニーカーです。なのでとても動画は無理です。
ならまち
それどころか、わたしは今とても旅ログを書けるような精神状態ではありませんでした。で、いつも夢に出てくる「ならまち」をうろつきました。「ならまち」はわたしが落ち着く場所なんです。夢も、夢とはいっても比較的落ち着く夢。「ならまち」が夢に出てくると悪夢ではないのです。
不思議なのは、「ならまち」の夢は現実そのまま。これどういうことかというと、夢というのは脳の平衡機能だと思うんですが、普段の現実の風景は、夢の中では別の場所に感じる。建物やその他の構成物が、現実世界のものと同じであっても、夢の中ではどこか違う印象。例えば鏡のなかの左右反転された虚像の世界にいるような感じ。これ、多分、脳の安全機能だと思うんです。おそらく現実の記憶と夢の記憶が混同されないための安全機能。
幼児期には、この機能が不完全なため、時として不思議な幻覚が現実の記憶として残ってしまうことがあります。幼い頃、田舎の親戚の大きな家に遊びに行って、その大きな家の中で知らなかった部屋を見つけて、その部屋で不思議なものを観た体験。もう一度、その部屋に行こうとしてもその部屋が見つからない。とかいうものです。多分、お昼寝とかしたときに観た夢が、現実の記憶になってしまっているのだと思います。
わたしの場合、「ならまち」は夢の中でも現実そのままの感覚。これ不思議。夢を観たその日に「ならまち」に行くと、まるで夢の続きを観ているよう。というか、逆にまるで「ならまち」が現実世界とは別の夢の世界のようです。通りを一つ隔てて一歩「ならまち」に入ると世界が変わる感じ。近鉄奈良駅横の「東向き商店街」という、いつも賑わう通りがあるのですが、ここはまだ俗世という感じ。でも、その「東向き商店街」を南に抜けて、三条大路を一つ渡って「餅飯殿センター街(もちいどのセンターがい)・下御門商店街(しもみかどしょうてんがい)」に一歩入ると、ぱっと空気が変わる感じ。人通りも一気に減るし、だからといって寂(さび)れてる風でもない。不思議な雰囲気。わたしはこれがとても好き。
奈良周辺というと、ここだけでブログがずうっと書けるくらいなんですが、観光誌とかにはない視点でも書けたらいいなと思います。
とにかく、今は家にいるのがとても恐ろしいので、お金が続く限りどこかに行きたい。昔は大空に飛び立てる飛行機が好きだったのだけれど、今はすぐに目的地に着いてしまう空港よりも、駅に行くととても心が落ち着きます。列車からの眺めなんてつまらない、と以前は思っていたのだけれど、最近はYouTubeの車窓ものばかり、何時間も飽きずに見てます。本当にどこかに行ってしまいたいです。