教師はやはり世間知らず

 こんにちわ。ブログみぃごろーです。

 ひろゆきさんがYouTubeで言われているように、一般の学校の教師というのはやはり世間知らずです。これ、本当です。彼らと世間話しをしているときなど、ふと唖然とすることを平気で言うので驚くことがあります。こういった世間知らずの傾向がみられるのは、教諭といわれる職業教師です。大学を出て、教員採用試験を受けて教師になり、一般社会を知らないまま、学校の日々の行事の遂行にのみせっせと励み、給料をもらって何十年も生きてきているわけです。一般企業では、企業利益という目標があり、企業収益の確保に奔走させられるわけですが、彼ら教諭にはそんな切羽詰まったノルマや任務を伴う職務はありません。保護者様、地域の老人のご機嫌を損なわなければそれでいいのです。まあ、これは小学校の話ですが、中学では高校入試という重大任務があるので、ある程度は世間常識が確保されています。しかし、やはり前の記事でも書いていますが、小学校は酷い。今日はその一例。

実例1 ある小学校教師月刊〇〇袋

 月刊〇〇袋というものがあります。〇〇というのは、個人の苗字です。これ何なのかというと、この〇〇先生という小学校の教諭が毎月サークルの仲間に配るチラシの束の入った紙袋です。彼がとっている新聞各社の切り抜きコピーや、いろいろなイベントの宣伝チラシなどで、彼の興味関心に基づく大量の紙の束が角2号の封筒に入っています。

 これのもとはおそらく、昔の千歳飴(ちとせあめ)の袋、クリスマスのサンタの長靴お菓子詰め、或いは各種福袋をパロディにしたものなのでしょう。角2号封筒には「月刊〇〇袋何月号」とタイトルが印字され、内容目次も誇らしげに印刷されています。

 初めて手渡されたら、「ああナニコレ、へえ~ほお~。面白いね。」という感じではあります。ただし、最初の一回は、という話です。何せ、内容がありません。もらって持って帰っても、封筒の中を観る気にはなりません。実際家であらためて中を観たことは一度もありません。

 この月刊〇〇袋の内容とは新聞や各種雑誌、印刷物などがソースの、言わば「手垢のついた陳腐(ありふれた)な情報」です。目新しい有用な情報はありません。あくまで〇〇先生の興味関心に基づく情報にしかすぎません。教諭という情報弱者が狭い認知世界から集めた情報です。我々研究者には全く価値はありません。どれもどこかで見かけたものばかりなのです。

 だからというのもありますが、二度目にまた手渡されたときは、「ああ、またこれですか。(暇なのかな?)」という感じ。三度目ともなると、(何なのこの人。もしかして危ない人?)とドン引きしてしまいます。なんでもこの〇〇先生、毎日午前3時に起床して、せっせと封筒を印刷して何十冊も作っているのだそうです。「ああ、みんな楽しみにしているだろうな。」とか思いながら。夜中に袋詰めをしているわけです。これを毎月、毎年、何十年とやっているらしいのです。想像するとちょっと怖い光景かも。完全に悲しい〇〇先生。

 サークルなどで、新人の若い女性教師の子などは、「わあ~〇〇先生すごい!面白い!」とか言います。でも今時の子というのは、結構気を使っているんです。これ、完全にお世辞なんです。つまり、〇〇先生はこのお世辞を真に受けとってはいけないのです。

 こういった宴会の芸は、受けたとしても一度きり。これ絶対原則。しかし、老害なのかこの〇〇先生。何度も何か月も何年も同じ芸を何とかの一つ覚えで続けるわけです。

 「いりません。」とは言いにくいのですが、態度で分かってほしい。(もう月刊〇〇袋渡さないで!)実はわたしが月刊〇〇袋を嫌がっていることにはもう気づいている様子。でも、ほとんど強制的に手渡ししてくるんです。その〇〇先生。いつぞや、勇気をふりしぼって「いりません。」と言いました。でも「まあ、そう言わんと。」と言って押し付けてくるんです。その時には、わたしは本当にもう恐怖を感じるようになっていました。完全にこれもう暴力、いじめ、セクハラ(この記事の執筆者:30代女性)。

  結局わたしは、ほんとうにこの「月刊〇〇袋」に10年以上苦しめられることになってしまいました。わたしの自治体、こういうゴミは出せません。捨てるに捨てられぬまま、ついに積もり積もってこの「月刊〇〇袋」、押し入れの上の段いっぱいになってしまいした。(ああ、これ本当にどうしよう。)途方に暮れました。

 置いておいてもしようがない。わたし、年休を取りまして、市町村のごみ処理センターにこの「月刊〇〇袋」の処理をお願いすることにしました。(ごみ処理センターは平日のみ、午後4時に閉まる。)それにしてもあまりに量が多くてとても重い。原付バイクで運べない。どうしよう。結局、丈夫なごみ袋に小分けして、何度もごみ処理センターと往復するはめになりました。

 そんなこんなで、(もう絶対「月刊〇〇袋」はごめんだ。)ということで、わたしは〇〇先生の出席するサークルには金輪際出席しないことに決めました。

 悪夢の再来

  あの眼鏡をかけた悲しいオジン先生と「月刊〇〇袋」から逃れることができて何年かは平和なときを過ごすことができました。しかし、何と、わたしの所属する研究学会の会合にこの〇〇先生が現れ、さらにあの「月刊〇〇袋」を再び配り始めたのです。

 この研究学会というのは、文部科学省が大学に配分した研究予算で、会場や機材その他の確保などの運営がなされています。サークルではありません。全く公的なものです。出席者も大半が研究学会に属する研究者です。そんなところへ一般の小学校教諭がやってきてなにをするかというと、・・・・何と「おやじネタ」。

 驚くべきことに、公費で行われている研究会合にやってきて、貴重な30分の発表時間を割り振られて何をするかというと、ほとんど一人漫才のおやじネタ。しかも、全然面白くない。

 さらに、ときどきビールなどのアルコールが入っていて顔が赤い。常識を疑わざるを得ません。

 イメージを分かりやすく言いますと、例えば、何々大学医学部・移植医療研究倫理審査委員会・定例会議とかがあったとして、(実際の団体とは関係ありません。)そこへ突然眼鏡のおっさんが現れて、「え~どーも。〇〇です。今日はですね。映画の話をしたいと思います。題してズバリ「新幹線大爆破」。何やそれ、とみなさん思われると思います。実はこの映画は私のお気に入りで、みなさんにも一押しなんです。話の内容はですね。最初に~」と浜村淳の物まねのつもりで延々しゃべり続けて止まりません。みなさん呆気にとられるしかありません。完全に浮いてしまっています。でもご本人は全く気にならない様子。空気が全く読めないんです。この人。自分では面白いつもり。

 国家の教育予算を使って、貴重な30分の報告枠を使って、おやじネタをやる。という非常識。これが教諭の非常識。世間知らず。

 そして、おまけに「みなさん。月刊〇〇袋です。バックナンバーもあります。」と先生方に配り始めます。読者のみなさんは、そんなもの受け取らなければいいとお思いでしょうが、このおっさん。ひとりひとりにしっかり手渡していきます。わたしには押し付けてきます。問答無用。

 これ、完全に暴力。そしていじめ・セクハラなんです。時々こっそりわたしの写真を撮っているし、本当にこれが嫌で、苦痛でたまらなかったのです。月間〇〇袋なんて見るのも汚らわしい。おぞましい。それなのに、〇〇先生は強引に押し付けてくる。だから、月刊〇〇袋は帰りにコンビニのごみ箱とかに捨てて帰る。

 わたしは気が付くと、街や電車でその〇〇先生に似た人、眼鏡をかけた禿のおじさんを観るだけで気持ち悪くなって近づかないようになっていました。

研究学会後の懇親会

 こういった会合が終わった後、通常は懇親会が行われます。普段なかなかお会いできない先生方との情報交換が行われるわけです。これは、なかなか重要でかつ有意義な時間になるはずなんですが、普通は。

 しかし、この〇〇先生がこの懇親会にいるとぶち壊し。まったくのくだらない自分が楽しむための宴会になります。「止まらない、おっさんの自分語り」

 本当もう、嫌になります。毎回毎回同じこと、自慢話、おやじネタのエンドレス。一人でしゃべっています。

 いつぞや、サイデリアが会場になったときなど、家族ずれも多い中このおっさんの大声の自分語りが響き渡り、同席している私たちは本当に肩身の狭いことといったらありませんでした。

 せっかく新しい方が出席されても、二度と来ません。

 これ、本当にまったくの老害です。

この○○教師の精神分析(管理人みぃごろー執筆)

 この〇〇先生は、TOSSの教育情報メーリングリストに「〇〇~月のまとめ」というレポートを配信します。しかし、これ教育とは関係ありません。内容はこの〇〇先生が~月何kmランニングしたか。観た映画のタイトル、参加したサークルの数とかで全くの自分の事です。私たちには関係ありませんし、興味もありません。なのにどうして○○先生はこの全く私的なことをTOSSの教育情報メーリングリストに配信するのでしょうか。

 この〇〇先生の行動原理は何なのかを推測します。〇〇先生は、毎朝3時に起床し、10kmランニングします。なかなかの距離です。TOSS関連のサークルの参加数もかなりなものです。関西圏のサークルはほとんど全部に参加しています。特徴的なこの2点から推測されるのは、完璧主義からくる強迫性障害の可能性です。つまり、毎日のランニングにしても、やらなくては気が済まない、どころではなく、走らないということは絶対に耐えられない恐怖なのです。サークルにしても、参加しないということは彼にとっては許されないことなのです。同じ日に二つのサークルがある場合は、掛け持ちしてでも両方参加します。完全に強迫性障害の症状です。

 しかも、実際に自らに厳しい責務を課しつつも強迫性障害からくる不安は残ります。すなわち、まだ何かが彼には足りないのです。それは、「他者の承認」です。この「他者の承認」をもって不安を抑制しようとしているのです。自分が自らに課した厳しい課題を成し遂げたという保証が彼には必要なのです。それが「○○~月のまとめ」という個人的レポートの配信なのです。この原理からみると、「月刊○○袋」の配布という不毛の行為の説明もつくわけなのです。「月刊○○袋」というのは、○○先生のアイデンティティの自己主張そのものなのです。

 心を病める教師の実例でした。

今日もこのブログをご覧くださりありがとうございました。

 

 

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