今年は当然運動会無しよ!

 こんにちわ。ブログみぃごろーです。

 今年もようやくヤモリが現れました。現れるというのは台所の窓です。ヤモリ自体は先週ごろから庭で見かけておりましたが、毎年なぜか、窓に現れるのはやや後になるのです。これ、おそらく人影に慣れるのに時間がかかるのだと思います。ヤモリの記事でいつも書いているように、ヤモリというのは、結構知能が高いのだと思います。おそらく鳥類くらいはあるのではないでしょうか。

 子供の頃、親戚の子が家に来た時、最初はいつも、なかなか遊べなくてお互いもじもじしています。初めて会うわけではなくて、毎年遊んでいるのに、一年経つと、なんかもじもじ。打ち解けて、遊びだすまでに毎年しばらく時間がかかる。ヤモリもこれと同じなんだろうな、とか思っています。ヤモリは人に慣れるのだと思います。

 WOWOWで「ジュラシックワールド」観たばかり、ブルーという恐竜がやたらかわいい。なんかヤモリって恐竜みたいです。

 今年の授業はどうなるか。

 さて、学校は新学期早々、ひと月もお休みになってしまい、おそらく5月6日からもスタート全開になるのは微妙な情勢です。当然一番気になるのは子供の学習。一体どうなるんだろう。と思います。

 とにかく、子供の安全が第一として、次に授業がすべてに優先されるべきです。行事よりも。という意味です。

 いつも書いているように、とにかく日本の学校、特に小学校は行事というものに支配されています。現場にいたから言えるのですが、とにかく子供の学習、授業よりも学校行事が優先されるという現実があります。驚くべきことです。

 年がら年中、学校生活は行事日程によって支配され、教師も子供も行事の遂行に全力を注ぎます。しばしば行事は授業に優先されるという事態も生じます。代表的なものとして運動会があります。このバカバカしい行事のために一体どれだけの時間が費やされることか。運動会の練習期間は授業はないがしろにされるといっても過言ではありません。

 今年、コロナ・パンデミックが発生しました。学校生活は大幅な時間的制約を受けることになりました。

 学校、とりわけ公教育をつかさどる公立小学校は、授業というものを根幹にすえ、子供の学力確保という本来の目的に専念すべきときです。

 今年は、当然のことながら、オリンピック同様運動会はありません。

 学校は本来の責務に専念すべきときです。

学校の学力保障

  外出自粛の状況下、子供の勉強に不安を持つ親が、テレビのインタビューで「学校にもっと宿題を出して欲しい。」と言っていました。

 宿題に学力保障能力を期待してはいけません。宿題は家庭学習ではありません。というより、家庭学習にはなり得ません。

 モンスターペアレンツではない意識の高い保護者は、子供を塾に通わせます。これは小学校段階でも、の話です。学校に対して「もっと宿題を出せ。」という親は、ある意味子供の教育に無関心すぎます。

 宿題というものを、作成していた側が言っているのです。

 宿題を作成するというのは、結構な雑用であり、教師の負担です。一番いいのは、教科書を活用した課題を出すことなのですが、保護者に対しては、プリントという形にした方が当然無難なわけです。つまり、宿題というものは、子供の学力保障のためではなく、保護者サービスなのです。

 そこで、「コピーしてすぐに使える~」とかの著作権フリーのプリント集が教師のお助けで大活躍になるのですが、このプリント集というのが質が悪すぎるのです。

 算数でいえば、問題設定からしておかしいもの、図がおかしいもの、解答も間違っていたりする場合がけっこう多く、質が極めて劣悪なものです。著作権フリーだからそんなものなんでしょうが、こんなものを、子供の学習に用いるというのは全く逆効果もいいところです。しかしながら、毎日の宿題の作成がこれまた教師にとっては大仕事。印刷機は年がら年中、朝から晩までフル稼働。よくもまあ壊れないものだといつも感心していました。まあ、やっぱりよく故障はするのですが。用紙に使う上質紙の量も凄まじいもので、ひと月の印刷代というのは数十万円に達し、学校予算の多くを占めます。

 宿題を出す方が、こんなものしていても学習能力は上がらないと分かっているのです。だから言います。宿題に子供の学力保障を期待してはいけません。

 多くの教師は、保護者サービスで宿題を出しているのです。これ本当のこと。

公立小学校の教師の指導力(授業能力) 

 さて、子供の家庭学習には塾に通わせよ。といいました。みぃごろーははっきりいいます。公立小学校のほとんどの教師は、授業が下手です。餅は餅屋です。

 この場合の餅屋は塾。塾の方が断然教えることが上手。

 はじめの方で書いた通り、公立小学校の教師の仕事は、授業よりも行事です。学校運営のほとんどは授業と関係のない行事ばかり、何とか部会とか委員会とかいろいろあって、週に二日はバカみたいな会議。これがまたなかなか終わらない。「他の部会がまだ会議しているのに、こちらだけ先に終わるわけにはいかない。」のです。完全に村社会。このせいで、マルつけも授業準備もほとんど手つかずのまま、やっと終わると夜の8時なんてことがざらです。

 こういった教師の日常においては、新卒の先生は初任者研修から飼いならされて授業の腕はまるっきりダメ。学校運営をそつなくこなしていくことのみを身につけていきます。これは新卒に限らず、ベテラン教師にもいえることです。

 教師というものは、学び続けることによってのみ、授業力を維持できるものなのです。法則化や水道方式などの授業法の研究会、勉強会に自費で出かけて学んでいる先生は授業力があるといえます。

 しかし、残念ながらそういった先生はほとんどいません。一つの学校に一人もいません。一つの市町村に一人いるかどうかです。

 私の個人的経験では、法則化TOSSで学び、かつその実践を授業で生かそうとすると、必ず職場から圧力を受けます。これは関西のある学区域での話ですが、おそらく日本全国これと似た状況だと思います。

 校内授業研究会 

 学校現場では、日々無難にそつなく保護者様のご機嫌に沿うことが至上目的なのですが、同時に上意下達の世界でもあります。中央教育審議会答申などが出されると、それに沿うようなお達しが上から降りてきます。

 例えば、全国学力調査がどうの、とかPISA(OECD生徒の学習到達度調査)がどうのとかあると、文科省がお達しを出すのですが、下である現場では「やってますよ。」と上に返さなくてはなりません。

 で、最近は校内授業研究会も学校行事として熱心にやることになります。教育委員会から指導のため講師先生がやってきて、放課後研修が行われます。

 しかし、これも形だけのものになります。各学年の教師が「今日は何々先生、研究授業ありがとうございました。」と言って、無難な感想を述べます。辛口批評は出ません。しゃんしゃんですまします。万事、右に倣えでやるわけです。

 大体研究授業のパターンからして決まっています。最近のパターンは、科目がなんであれ、まず、班に分かれて話し合います。そして、時間がくると教師は班ごとの意見や考えを集めます。大体は画用紙などにカラーマーカーで書いたものを黒板に貼っていきます。これは文字が小さかったり、きたなかったりしてほとんど読めません。つぎに班ごとに代表が前で発表し、教師がまとめます。そして感想をプリントに書いて終わり。大体がこの形です。

 これは「学びあい学習」、「問題解決型学習」とよばれる学習方法がパターン化したものです。全国右に倣えです。こんなのばっかりやって、教師も学んでいますといっているわけだから授業の上手な先生はほとんどいません。

 この「学びあい学習」、「問題解決型学習」においては、塾に通っている子供がいるから成立します。つまり、最初から分かっている子が班での話し合いをリードしてまとめ、前に出て発表し、模範解答を示すから教師が助かるわけです。

 こんな茶番をやっているのが公立小学校です。校内授業研究会しか知らない教師は、授業時間のほとんどを説明で費やし、一時間かけて、たった一枚の、形式ばった板書をせっせと書きます。子供に背中を向けながら。これは、いわゆる講義型授業とよばれるもので、説明による一方通行の授業です。絶対に小学校段階でやってはいけない授業です。発達障害の子供は、くどくど説明すればするほど分からなくなります。そんな基本も知らない教師がほとんどなのです。

 

 学校現場の実態を知っているから言います。子供のためを思うなら、この時期。この大変な時期。塾などの授業のプロを選択するべきです。

 今日もこのブログをご覧くださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

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