テレワーク・在宅勤務の可能性

 こんにちわ。ブログみぃごろーです。

 例の新型コロナウィルス騒動で、大手企業では、時間差通勤やテレワークを推奨・実施しているそうです。業種にもよりますが、テレワークが現時点で可能であるというのは、非常に恵まれている職場だといえるでしょう。

 テレワークとは

 さて、新型コロナウィルスの問題も大変なのですが、今日の記事はちょっとそれとは別の話。テレワークの可能性について書きます。

一般社団法人日本テレワーク協会(https://japan-telework.or.jp/tw_about-2/)によれば、「テレワークとは、情報通信技術(ICT = Information and Communication Technology)を活用した、場所や時間にとらわれない柔軟な働き方のこと」だということです。

 前から言われていて、なかなかできなかったことです。みなさんも、すでにスマホなどでこの高度情報化社会・高度情報ネットワークインフラの恩恵を実感なさっているはずです。スマホの画面をアクティブにした瞬間、あらゆる情報ソースに瞬時にアクセスできるというのも、この情報ネットワークがあればこそ。

 この光ファイバーによる高速回線網は、自宅にいながら会社の実務作業を行うといったことをすでに可能にしています。

 これはまったく画期的で素晴らしいことです。なにせあの通勤の苦痛から解放されるのですから。さらに通勤のみならず、会社という閉鎖的、抑圧的空間での拘束からも解放されるのです。これはまったく「こもり人」にとっても夢のような話。

 しかし、当然欧米では導入実績があるにせよ、日本の風土にはなじみません。

二宮 尊徳(金次郎きんじろう)の呪縛

 二宮きんじろうはだれもが聞いたことがあると思いますが、働きながら勉学にはげむ偉い人、というイメージだと思います。勤勉美徳です。これが多くの日本人の価値観の根底にあります。偉人・松下幸之助先生は、ある折、大雪が降ったために大事な会議に遅れた社員を叱りました。「雪が降るのは、天気予報で分かったはずや、なんでホテルに泊まらなかったのか。」とかいうことらしいのですが、現代にはなじみません。

 雨の日も、風の日も、雪の日も、子供や生徒たち、先生は学校に朝もはやくからせっせと通います。こうして、日本は勤勉な国民を製造してきました。こうして教育された社会人は、盆休みと年末年始の数日間を除いて、一生のほとんどを毎日毎日通勤します。それも、睡眠不足、過労、渋滞、超満員電車、その他もろもろの肉体的苦痛・精神的苦痛を伴いながら、「働き」ます。

 これらの労働形態は、とくに近代から現代にかけて確固たるかたちとして定着したようです。これらの労働形態はブルーカラー層、ホワイトカラー層ともに、工場や会社といった職場に通勤するという日々の営みにおいて、「仕事」というかたちで、人の時間のほとんどを支配してしまいました。

 これらの労働形態は在宅勤務・テレワークに対しては拒絶的にならざるを得ません。なぜなら、「薪を背負って本を読む」といった勤勉にはなじまないからです。つまり、日本人の美徳にはなじまないのです。

時代は変わる。

 非製造業などにおいては、このテレワーク・在宅勤務というシステムは通勤のコスト削減・リスク(コロナなど)分散においては画期的だといえます。現在、世界的な潮流でもあります。IBMやyahooなどが縮小する動きもありますが、無くなったということではありません。

 このテレワークが日本において一般的になったなら、「こもり人」とされる60万人以上のいくらかは、社会的活動を再開できるチャンスとなりうると確信します。

 きょうも、このブログをご覧くださり、ありがとうございました。

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