何なの運動会って!

瞳の独り言

この記事は2019年9月9日の記事です。2021年9月8日に最下段に加筆しました。

 こんにちわ。ブログみぃごろーです。このところの暑さと台風の異常気象、世の中終末の様相を呈していると思います。連日の巨大なかなとこ雲・絵に描いたような積乱雲です。上空1万メートルをはるかに越える狂った対流現象。一時期のブームにあった預言者の言葉「空はその警告を発する。」だったか、「天はいち早くその兆候を示すであろう。」とかいう文言を思わず想起してしまいます。

 地球温暖化は待ったなし。米国にどうたら要求する前に、明らかに大量の熱を出しているマイカーを何とかするべきだと思います。日本のマイカーが排出するCO2の量は、何とダンプを上回るのです。国土交通省によると、運輸部門(自動車・船舶等)において、自家用乗用車は全CO2排出量の46.2%を占め、営業用貨物車の19.9%をはるかに上回って最大となります。

運動会で張り切る教師・・・の心理

 で、その超高温下、連日運動会の練習をやっておられます。教師の方々。何が嫌だといって、私はこの運動会が大っ嫌い。「馬鹿じゃないの。」本当にまあ。

 続きはまた書きます。なんかしんどい。

 つづきなんですが、学校と軍隊と刑務所は非常に類似しているのです。つまり、個の個性を封殺し、従順させるには、集団としての秩序の徹底。これが極めて有効なのです。

 刑務所における矯正手段としては、日々の労働訓練とともに、強制的な運動レクレーションなどが用いられています。軍隊においては、戦闘訓練そのものより、号令と整列、窮屈な制服、行進などが象徴するように、人間性を破棄して徹底的に兵器としての機能をもたせる手段がとられています。

 一方、学校においては、軍隊を模倣するかのような制服、整列、行進などが主として体育系の授業、行事において用いられています。

 秩序の徹底は荒れには効果あり

 学校が荒れると、その対策として秩序の徹底が実際効果を上げます。そして、荒れた集団が卒業するなどして、学校に平和が戻ってきても、教師たちは悪夢の再来を恐れます。ゆえに、まるで強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)を患うものごとく校則や細かなきまりに執着します。それらの、外部から見ればおよそ病的なほどの一連のあらゆる儀式は、学校生活を支配します。過剰に子どもを縛る校則です。

 その悪夢を想起させるものが「運動会」です。

 運動会は誰に見せるもの

 NHK Eテレの「ウワサの保護者会」という番組を、偶然旅先のホテルで観ました。 2019年09月21日 (土)放送の「激論!運動会」というテーマです。思わず見入ってしまいました。NHKはときどき意外にいい番組を作ります。

 内容は、この記事のように運動会の存在意義を問うもので、賛成派、反対派の保護者が出席して討論していました。私がいつも意外というか不思議に感じるものに、親の「子どもの頑張りが見たい。」という心理があります。賛成派の保護者の意見なのですが、子どもの頑張りが見たいという親の心理は分かるのですが、それを運動会に求めることが不思議でしょうがないのです。私の個人的記憶では、運動会のみっともない演目なんて、だれにも見られたくなかったのを覚えています。あれを観て感動する親がいるのが不思議です。

 ソーランにしろ、ダンスにしろ、踊りにしろあれを練習している子ども達は見ていて本当に可哀そうです。炎天下の下、毎日毎日練習させられます。少しでもうまくいかないと何度も何度もやり直し。先生には怒鳴られ、罵声を浴びせられ、本当に震えあがっています。この状況を、子ども達は自分の親に伝えないのでしょうか。もし、保護者がこの練習の光景を観たならば、一体どんな気持ちをいだくことでしょう。耐えられないはずです。子どもの演技を頑張りだと賞賛し、喜び、ビデオに撮りたいなどとは決して思わないだろうと思います。運動会の練習風景はれっきとした児童虐待であると断言します。

 運動会が苦痛の子ども達

 運動の苦手な子というのは当然います。番組「ウワサの保護者会」でもそのことがとりあげられていました。「運動がうまくいかない様子が見られることが辛かった。競技でクラスの足をひっぱってしまうのも辛かった。何より運動会の参加意義がみいだせなかったのが一番嫌だった。」(概要引用 NHK  Eテレの「ウワサの保護者会」 2019年09月21日 (土)放送の「激論!運動会」 より )

 こういった子は意外に多い。というかかなり多いのではないでしょうか。運動会というものが、体育得意のお祭りですから当然です。

 また、忘れてはいけないことなのですが、さらに発達障害の子ども達にとっては運動会は地獄です。私もアスペルガーなので運動会は苦痛以外の何ものでもありませんでした。

 教師は誰に見せるためにハッスルするのか

 運動会というと、なぜか先生方は一丸となって頑張ります。これ本当に不思議。私はいつも冷めていました。完全にしらけていました。 「激論!運動会」 では、東和 誠さんがその辺りの事情を解説していました。つまり保護者の目だということです。保護者に見せるための「見栄え」を求めているのだそうです。

 私が小学校の現場にいたときは、保護者だけでなく、保護者とその背後にある地域、有力者などの外部一般への迎合だったと感じています。

 とにかく、ある小学校での百人ピラミッドを観たときは唖然としました。明らかに加熱しすぎです。タワーやピラミッドなどの組体操では、小中合わせて毎年8000件以上の事故があり、過去9人が死亡する事故もあったそうです。それらを受け、2016年スポーツ庁は組体操で異例の通知を出しました。子どもが一人でも死亡するなどということは、教育活動において断じて許されるべきことではありません。にもかかわらず、漫然とこういった行事が続けられていることに、強い憤りを感じます。育て育むべき子どもが死んでしまうのでは、教育の崩壊、堕落、本末転倒です。

 最近はようやくフラッグや行進などに置きかわってはきましたが、スパルタ教育は相変わらずです。 

 いい運動会

 運動会はすべて悪なのか、悪弊なのか、といえばすべてが悪だとは言えないし、また当然いい運動会というものも確かに存在します。上記の問題点を含む運動会はいうまでもなく、ただちに廃止するべき悪弊です。子どものためではない、外部への迎合のための子どもを主体としない行事です。つまり、子どもを主体としない行事は悪弊です。しかし、もしその反対に子どもを主体とする運動会があったならどうでしょう。

 つまり、保護者や地域の有力者、その他の外部への体裁づくりを目的とせず、子どもを主体として捉え、純粋に子どもの成長を目的とする運動会です。

 ある中学校の運動会

 私、最近ある中学校の現場に入っております。地域で一番落ち着いている、といわれている学校で、成績も非常に優秀です。そして、この中学校の運動会に立会いました。

 驚きました。初めて観ました。子どもを主体とする運動会です。

 本番の運動会を観て、「ああ、教師連中、これを子ども達に体験させたかったのか。」と納得したわけです。ナルホドね。保護者などのギャラリーはあくまでギャラリー。小学校ほど存在を主張していない。いい意味で観戦者に収まっている。主体はあくまで子ども。達成を体験して成長する主役は子ども。節操がありました。

 紫外線被曝

 いい運動会なのですが、難を言えば、子ども達の紫外線被曝が酷い。全く無防備。

 つづきます。

2021年9月8日 追記:こんにちわ。瞳です。この旧記事のときはまだ新型コロナが問題化する以前でした。新型コロナによるパンデミックが発生し、運動会も様変わりをしました。学年ごとに行うなどして、小規模化をするなどといった対策が取られました。これ自体はいい傾向だと思います。

 しかし、学校というところは粘着質というか意地でも運動会をしたがるのには呆れました。これ一体なんなんでしょうかね。

 小規模化などの傾向が、今後もなんらかの前例になればいいのですが。

 さて、紫外線なんですが、あのひろゆきさんですら、紫外線有用説を唱えておられます。ビタミンDの欠乏が、鬱(うつ)の発症などの原因になるということです。

 たしかに、紫外線はビタミンDの生成を促すというのは事実です。

 通常の食事で摂取することのできるビタミンDでは足りないという説もあります。だから、一定時間、日光にあたるというのは必要なのかもしれません。

 が、日焼けするほど、紫外線に当たる必要はありません。紫外線被ばくによる活性酸素の生成と、それにともなうDNAの破壊は、百害あって一利なし。特に成長期の児童には、将来にわたるDNAのダメージを残す危険があります。

 現在の学校生活というのは、この紫外線対策というものに対して、あまりにも無防備かつ無頓着すぎるとかねてから書いてきました。

 どうしても、学校の先生というか、学校関係者はなぜか太陽の下に子供たちを無防備にさらしたがります。

 運動場、グランドでの炎天下での全校集会から始まり、体育授業、校内観察、その他の諸活動はつねに太陽の下で行われます。休み時間にはグランド、運動場に出て遊びましょう、という指導すらされます。

 子供は元気に外の太陽の下で遊ぶ。というのが日本古来の理想の姿ということなのでしょう。

 これを、太陽光線の強い東南アジアの方が観て驚いていたのを憶えています。自分の国ではありえない光景だというのです。子供たちはつねに木陰などの安全な場所にいるように指導するのだそうです。この話は、わたしが実際に在日外国人の方から聞いた話です。

 実は、日本には、「日光信仰」という悪弊があるのです。特に老人の世代。

 国土交通省・気象庁のホームページ 「紫外線の経年変化」(https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/uvhp/diag_cie.html)令和3年3月29日更新

によると、1990年の観測開始から、2020年現在まで紫外線量は明らかな増加がみられるということです。以下引用。

「国内の紫外線
 つくばの地表に到達する紫外線量注)は、1990年の観測開始以降、統計的に有意な増加傾向(信頼度水準99%)が現れています。 増加率は10年あたり+4.2%(年間2.95kJ/m2)でした。
 一方、つくばのオゾン全量は、1990年以降緩やかに増加しています。それにもかかわらず、 紫外線量が増加傾向を示すのは、紫外線を散乱・吸収するエーロゾル(大気中の微粒子)等の影響が原因として考えられます。」

 老人たちの時代ではないのです。教育現場では、子供の将来への健康のため、紫外線対策というものを考えるべきではないでしょうか。脅かすつもりはありません。が、わたしの知り合いの男性教師たちはほとんどが禿です。女性は老化がはやいので驚きます。紫外線の影響を感じます。

 わたしは、管理職に了解を取って、紫外線被ばくを受けない配慮をしてもらっていました。先天的な皮膚免疫の病気があるためです。それでもまったく運動場やプールに出ないというわけにもいかず、ラッシュガードや日よけ帽子で完全ガードで出向くのですが、あとで皮膚がケロイド状に真っ赤にただれてしまって大変でした。今現在の紫外線量というのは、想像以上のものがあるのだと痛感しました。

 

 

 

 

 

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