向山先生

 こんにちわ。ブログみぃごろーです。

 一昨日になりましたが、TOSSのセミナーに行ってきました。一応、今現在の私の身分はまぎれもない教員なので、当然職務上の教育技術の維持責任があります。ご存知の方、同業の方はご存知の通り、教師の教育技術は、日頃から意識して高めていかないと散々なことになります。

 昔バレーボールの話で、「一日練習を休むと試合相手が分かる。二日休むとか周りがわかる。三日休むと自分が分かる。」という話があります。今では根性主義でどうかなという話ではありますが、言えてるな、いう部分がありまして、授業技術はまさにこれなんです。

 今の学校は少々荒れております。研究者として大学にしばらくおりましたが、現場に戻ってくるとやはりブランクを感じます。かなりてこずります。さらに、毎度のことながら向山式の授業方法は大阪の現場の教師の反発をかいます。これには、ある程度妥協するわけですが、授業のレベルを下げる結果になるのはストレスです。

 前の記事にも書きましたが、授業方針をめぐって圧力をかけてくる学年主任に先日とうとう爆発いたしまして、徹底的に相手の授業のダメ出しをしました。完全に上から目線で理論攻勢しました。これも、教育学者という身分があるから可能なことではあります。

 しかし、しゅんとして私の説教を聴くこの若手教師も、思えば教諭という縛られた身分なわけです。教育現場というのは、文部科学省、教育委員会という完全な上意下達・トップダウンの世界です。一生職業教師である教諭は、上に対して当たり障り無く毎日の学校運営をこなしていかなくてはならないわけです。

 保護者からの苦情

 さて、この爆発をした結果、管理職の確認のもと学年の授業方針のかなりの決定権を得ました。しかし、当然予測していたのですが、保護者からの苦情というものが出てきました。これは、仕返しというよりは、真摯に受け止めるべきことです。つまし、私の授業が悪いのです。腕が落ちています。腕が落ちているから、保護者には、向山式授業が一般の授業と違って観えてしまうわけです。つまり授業がマズイわけです。これは、サークルなどで授業技術を鍛えなおさなくてはなりません。

 本を読むだけでは、授業の腕は上がりません。本も読まない一般の教師は論外ですが、本を読んで尚且つ、授業研究のサークルの門を叩き、模擬授業をしてダメ出しをしてもらわなくてはなりません。さらに、腕のある先輩の授業をライブで観なくては授業の腕は上がりません。

 この模擬授業ですが、最低限100回はしなくてはならないと向山先生は言っておられます。私は幸い100回は余裕で越えておりますが、まだまだといえます。

 向山先生を直に見たのは、もう5年も前の京都大学でのセミナーでした。その折の講演でのお話しは、まるで当時の私の心境を見抜いたかのような内容で、涙が出てきて止まりませんでした。だからセミナー会場には見知った人もかなり来ていたのですが、話もせずに大急ぎで会場から帰りました。

 一昨日のセミナーで、5年ぶりに向山先生を見ました。やはりお歳をめされたと感じました。しかし、講演での話しぶりは相変わらずパワフルでした。

 「教師の仕事は、子どもにものを教える、という神様しか許されないような恐れ多い職務である。この会場にいるみなさんは、私とともにそんな責任重大な仕事についている。そのことをよく意識していて欲しい。

 3学期です。算数・国語をちゃんと教えていますか。算数・国語はその子の将来がかかっています。他の科目は何とかなる。しかし、算数。国語の漢字がダメだとその子の将来は大変なことになる。みなさんにはその責任がある。

 算数の教科書をちゃんと教えていますか。算数の教科書に載ってある問題を全てノートにやらせていますか。間違えたところは、ちゃんとやり直しさせていますか。向山はそうしてきた。教科書は、先人、先輩の先生方の努力の英知の結晶です。そんな教科書をちゃんと教えなければならない。私たちにはその義務がある。

 教え方、授業技術なんてどうでもいい。そんなものは努力すればどうにでもなる。教科書をちゃんと教えることが大事なんです。この会場にいらっしゃる医者の先生方と同じです。教えたのに理解できない。だったら、どうしたらよく理解できるのか、一生懸命方法を考える。それでもダメなら他の方法を考える。それでもダメならまた他の方法を考える。お医者の治療と同じです。

 何々ちゃん。間違えちゃったのね。でも、先生もこの問題間違えるんだ。難しいんだ。もう一度やってみようね。

 何度でも、教えるんです。分かるまで教えるんです。教科書を。

 できる子というのは、周りがどんどんかわいがってよくなっていく。いくらでも呼んでくれるところもある。でも、出来ない子というのは、われわれ教師しかいないんです。とても家庭環境が悪くて、勉強なんて家でできない。だれも相手にしてくれない。そんな子達はわれわれ教師しかいないんです。」(記憶による概要)

 この話は、向山先生の著書に何度も出てくる内容です。何度も読んでいて知っていることです。でも、今の私の心境を見抜いたかのようなお話しです。

 またまた、涙が出てきて止まりませんでした。帰りの電車でも止まらない。顔を伏せて家路につきました。

今日もこのブログをお読み下さり、ありがとうございました。

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