授業がぐちゃぐちゃ

こんにちわ。ブログみぃごろーです。

昨日、今日の暑さときたら、一体何なんでしょうね。

これほんとに師走なの?朝は一応防寒装備なものだから、帰りの暑さときたら頭がぼーっとしてくる。それでもって、雨の日というのはなぜか車が多い。多分いつもは電車通勤の連中、主にオバハンだと思いますが、これが出てくるものだから車の流れが異常に遅い。

これを、気温の低い朝ならまだしも、帰りもやられたものだからたまらない。死ぬかと思いました。汗でびしょびしょ。この12月に。一体地球はどうなってしまうのでしょう。

 

今日は教育の話。

ところで、今日は読者のみなさんには全く興味は無いであろう、教育の話。

学校の先生というのも、実は大変。授業なんですが、これはまさにプロの技術が要求されます。といっても、ほとんどの方はぴんと来ない。おそらく同業者のほとんどの方も実は分からない。

でも、日本ではほぼ全ての方は生徒として授業を経験されていると思います。

で、思い出していただきたいのですが、つまらない授業というのはご経験があると思います。というか、ほとんどが授業というのはつまらない。或いはしんどいものだったと思います。

一部の秀才連中が発表して、その他はボケーっとしてるかおしゃべりか手遊び。私自身も小中時代はボケーっとしていた方。

 

ところがですね、プロとよばれる先生はやはり存在していて、そういった先生は、身銭をきって授業研究に積極的に参加し、授業技術というものを身につけておられます。

そういった先生の授業では、受けていて楽しい。誰もが参加する、分かる授業。

実はそういった授業は実際に存在していて、そういった授業をする授業力のある教師というのも存在します。しかしながら、不幸なことに、授業力のあるプロといえるような教師は実に少ない。

私の大阪関西地方というのは、特にその点不幸な環境だといえます。

TOSSとよばれる教師の研究組織があります。代表の向山洋一先生は大変伝説的な有名な人物なのですが、歯に衣着せぬ物言いなものだから、大阪では特にアンチ向山が多い。

しかし、このTOSSの教師というのは、プロの教師集団です。授業力というものをもっているのです。

 

授業力のある教師の授業では「うるさい!」という怒鳴り声が無い

多くの方は、小中の学校で授業中、教師に「うるさい!静かにしなさい!」という注意をされたか、されている情景が日常だったと思います。

それは、とりもなおさず、教師に授業力が無いからです。簡単な話。

現在、すでに世間に知られる学級崩壊というのも、始まりはこの授業力の無さから学級の秩序が崩壊していくことが知られています。

なぜ、多くの教師は授業力が無いのでしょうか。それは、授業方法の育成訓練を受けていないという事実があります。免許を必要とする他の医師などの仕事と比べた場合、全くこれは信じられないことなのです。つまり、医師でいうなら、病気は知っているが治療方法の訓練は受けていない、或いは、治療法が我流であるということと同じ意味になります。

原因は大学の教員養成システムに教科横断、学校種横断の授業方法育成カリキュラムが存在しないということなのです。

あるのは、教科ごとの概論、教育論であって授業の具体的方法論はありません。これは今後早急に改善すべき課題だといえます。

 

さて、TOSSなどのサークルや研修で授業力を身につけた教師の授業では、退屈がありません。これは単に面白い授業という意味ではありません。子どもは知的興奮のもとに積極的に授業に参加し、私語や手遊びはほとんどありません。

しかし、教育委員会から下ろされてくる校内授業研究会や研修しか経験の無い教師というのは、授業はどうしても我流になります。

具体的には、説明がほとんどの大学の講義的な授業になります。一方通行の授業が多くなります。こういった授業を経験された方がほとんどだと思いますが、苦痛以外のなにものでもなかったと思います。

大人ですら、集中できるのは最初の10分が限度です。まして子どもなら極論集中できるのは最初の5秒が限界だといっても過言ではありません。起立・これから~時間目の授業を始めます。礼 のお馴染みの挨拶でも、それによって子どもの集中は終わっているといっても実は過言ではありません。脳科学では常識です。

したがって、授業は開始早々から発達障害の児童や、その境界とされる児童により騒然となり、教師は四六時中静かにするよう注意をしなくてはならなくなります。静かな授業を実現するためには、授業秩序として厳しいしつけが必要となってきます。

いまのところ、現在の学校現場はそんな状況だといえます。そのなかで、教師は疲弊し学級は崩壊して退職していく教師が後を絶ちません。

 

わたしも実はTOSS教師のはしくれ

で、今日の記事の表題は何なのかというと、私の授業が最近騒がしいということなんです。

私はこれでも教育学者と自負しておりますが、教師としてもかなり長い方で実はTOSSで相当修行を積みました。この現場での経験が教育学の研究に大変役に立っています。

で、成り行きで現在また、久しぶり、数年ぶりに現場にいるのですが、何分教師修行のブランクが長い。これは実は大変よくない。

勘が戻らない。

向山先生は「学ぶことを止めたときから、教師はダメになる。」とおっしゃっておられます。まったくそのことを身をもって今、実感しているわけです。

子どもというのは、まったく不思議に教師の心の隙を突いてきます。迷いがあるときの授業は荒れます。全く騒乱状態に近くなってしまうこともあります。こういったとき、楽なのは怒鳴って静かにさせることなのですが、これはプライドが許しません。怒鳴って静かになるのは数秒で、すぐに元通りです。

どうして、授業が荒れるのか、騒がしくなるのか、というと、授業が間延びしているということです。具体的には説明が長すぎる。数秒の空白が生じている。子どもを見ていない。などの隙が知らない間に生じているわけです。

決して、親が悪いとか、子どもが悪いとかいうのではなくて、私の腕が落ちているからにほかなりません。

こればっかりは、また授業研究会、サークルに行って、訓練するしかありません。

今日もこのブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございました。

 

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