我々は仮想世界の中のゲームプレイヤーなのかも!
こんにちわ。ミーゴローです。
科学・哲学カテゴリーの記事です。
前回、映画「インターステラー」に関連して「時間」というものについて記事を書きました。
時間は一方通行にしか流れないように見えるだけ。というものです。今回はその続きを書いてみます。暇つぶしにどうぞ。
我々はゲームプレイヤー?
ポケモンGOですが、世間では相変わらず大人気なようです。プレイしている人たちの迷惑行為とは裏腹に、ポケモンGOというだけで癒し系の響きがあります。
ポケモンGOと聞くと「ふっ!」と笑みが出てしまう不思議な力があります。ポケモンGO、ポケモンGO、ポケモンGO、・・・いやこれ全く不思議です。
さて、ゲームというのは仮想現実世界です。
もし、このポケモンGOをプレイしているこの世界そのものが仮想現実世界だったとしたら。
こういった設定は映画などにすでに多く用いられています。「マトリックス」(1999年のアメリカ映画監督 ラナ・ウォシャウスキー,リリー・ウォシャウスキー ワーナーブラザース配給)にあるように今現実だと認識している世界が実はコンピューターによる仮想現実世界だったという設定です。
「時間」というものに関してネット検索していると、偶然面白いサイトをみつけました。
「この世界は仮想現実である」(http://www.voynich.com/matrix/index.html)「私たちが仮想現実に生きているいくつかの証拠」というもので、今我々が生きているこの世界、この世は誰かが作ったコンピューター世界の仮想現実である。というものです。
そのサイトでは、量子論などを基にその根拠を説明しているのですが、あながち荒唐無稽ともいえないのです。
なぜなら、言っていること自体は真実だからです。ただそれを神かなにかの超自然的存在による仮想現実世界としているところに論理の飛躍があるかな、という程度です。
もっと言ってしまえば、「この世は仮想現実世界である。」とすることは可能だと思います。
上記サイトに記されている数々の証拠自体はどうでもよく、現実世界と仮想現実世界は観測者から観たとき同じだといえるからです。
仮にこの世がすべてコンピューターによってシミュレーションされて仮想現実の世界だったとしても、現実世界と何も変わらないということです。
ネタばれになってしまいますが、鈴木光司氏の小説「ループ」にあるように巨大コンピューターによる仮想現実世界のシミュレーションは可能だと思います。
マイクロソフトのフライトシミュレーターをやっているとよく分かるのですが、羽田空港や東京上空などデーター量の超多い場所をフライトする場合、普通のPCでは満足に動きません。
情報が処理しきれないのです。パラパラ漫画状態ならまだましで、普通は画面が止まってしまいます。
このとき、画面を何も無い海の方へ向けたなら途端に動きだします。ハードは観測者であるところのプレイヤーの視野のみを処理すればいいので負担が減るのです。
つまりですね。「時間」を観測者つまりプレイヤーと同期させる必要があるのならハードに膨大な処理能力が必要になるのですが、反対にこのシミュレーターなどとは違って時間を同期させる必要が無いのならば様々な制約は無くなります。
ここで重要な2点に気がつきます。
つまり、仮想現実世界と現実世界の時間を同期させる必要は無いのです。
また、観測者であるところのプレイヤーの観測範囲のみをシミュレートすればいいということです。
仮想現実世界のシミュレーション
あるハードウェアがあってそこでE=MC2(二乗)という基本アルゴリズムといくつかの素粒子データなどを含むプログラムを稼働させます。
そして、時間無制限で演算を開始します。
するとですね、それによって作り出される仮想現実世界は現実世界と全く同じになるはずです。
仮想現実世界の1秒を計算するのに10年かかっても同じ事です。つまりこれが「時空の基本概念」でもあります。時間は一致しなくても成り立つのです。すなわち時空は歪むのです。
また、プレイヤーとして観察者が仮想現実空間に入り込んだなら、これは全く現実と区別がつかなくなります。
「観測者が観測するまで量子の状態は定まらない。」といった量子論もそのまま成立しています。
観測者が観測するまでハードは演算しないのです。
意識とはどこからくるのか
以前の記事にも書きましたが、自我、意識とはどこからくるのでしょうか。
我々の日常とは所詮、脳が受け取る情報に過ぎません。この情報をそのまま再現したなら現実と仮想は全く区別がつきません。
もしかしたら、この現実も何かの悪い夢なのかもしれません。
今日もこのブログをお読みくださり、ありがとうございました。