風邪をひいたみたい

瞳の鬱(うつ)日記

 こんばんわ。瞳です。昨日になりましたが、朝のごみ捨てをして、病院行って帰ってきたらもう疲れてしんどいんですよ。疲れたというより、眠い。だるい。

 これ、ここ数年無かった風邪の初期症状そのもの。熱はありません。だから、コロナとかではなさそうです。

 まあ、ここ連日、お湯の中を歩くような大阪の暑い中、雑務でいろいろな役所を歩き回ってましたから、疲れがきているのは自覚していました。

 しかしまあ、風邪なんて変に懐かしいというか、ここ数年、コロナ以降無かったな。マスクの効果というのは、けっこうあったわけだ。ウィルス素通しとかいいますが、飛沫は止めますからね。しかも、自分だけでなくて、その他の人々もマスクしているという効果は大きかったわけだ。これは、感染性のある病原体への今後のいい対策データが取れたといえるわけだ。

 わたし、学校勤務では、毎年必ず風邪をうつされてしまっていたんだけれど、そういえば、このところ風邪をうつされたというのは無かったので不思議だった。全員マスクをするというのが、これがいいんだ。

 安静にします。

 制作について

 さて絵画制作なんですが、行動美術展には間に合わなかったのだけれど、そういえばFACEがありました。いわゆる損保ジャパン賞。これは130号までいけるはずだった。ちょうどいい。

 これ入選している作品・人たちを見ると、けっこうよく見かけるひとたちですよ。各著名団体の猛者が出品しています。これじゃ、わたしなんかが入選するわけが無いわけだ。まったくの無名の新人ってどれくらいいるんだろう。まあ、どうでもいいか。人は人。わたしはわたしだ。

 まあ、ダメ元で行動美術用のをFACEに出しまして、当然選外で戻ってくるから、それを加筆して今度は全関西美術展に出そうという計画を立てています。

 最近、制作していて思うのは、(ああ、入選してやるぞ。賞を取ってやるぞ。)とか思っているうちは、雑念があるわけで、乗れていない状態。美術研究所(美大・芸大受験予備校)の絵の師匠が言っていた教え。(いい絵を描きたい。合格したい。)というのは雑念である。制作者としての良心(描きたいものの真実を、絵をみる人たちに伝わる絵を描くこと。)という言葉がしみじみ思い出されます。

 これ全く本当にそうだと感じます。自分がいいと思う絵が描けないと、まあ、公募展でも結果はダメです。自分が納得できないとやはりだめです。描いていても、没頭できない絵はダメです。これだけ描いていたら、まあイケてるはずだ、とかいうのはまあ結果はダメ。

 完成が見えてきたとき、自分でも驚くものが作品から見えてきたら、そのときはいける。

極端。(これ本当にわたしが描いたん?)って思えるくらい。

 隣で寝ているネコも反応する(いっしょに喜んでいるような感じ)。まあこれ、昔のはなしですが、アトリエにはネコのみぃがいつもそばで寝ていて、わたしの制作を見守ってくれていたんですね。ただ寝ているふうでも、ネコって仲間(一般でいう飼い主)にいろいろ尽くしているんだと思います。ネコの超能力。あるんですよ。飼っている人は分かると思います。(わたしは、ネコをペットとか呼びたくありません。また、わたしがネコの飼い主だとかとも思いません。ネコとは家族で仲間だと思っています。)

 その前の大学受験のときは、花子がずうっとついていてくれたんです。受験当時、わたしは育ての親とか兄弟は、私の受験には本当に全く非協力で、わたしは大変な苦労をしました。

 そんななかで、わたしも精神的にギリギリでいろいろ大事なネコの花子に辛くあたってしまいました。花子は私が大学に入って、しばらくしてから、2回生のときに死んでしまいました。命をかけてわたしを守ってくれていたんです。もっと大事にしてあげたかったです。

 受験勉強のときは、イライラして花子を蹴飛ばしたりして、花子にいろいろ八つ当たりばかりしてしまったのに、わたしが名前を呼ぶと、わたしにだけ反応してくれて、年老いていつも寝てばかりいたのに、寝ていてもわざわざわたしのために起きてくれて、そばにすり寄ってくれました。花子はネコなのに、わたしの苦しみを分かっていてくれたんだ。

 ネコたちがいないとだめだな。わたしは。

 ネコたちのところに行きたい。

 

 

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