道は一つではない

瞳の鬱(うつ)日記

 こんばんわ。瞳です。明日は早起きなので、今日は要点だけさっさと書きます。

 わたし、昨日の記事でも書いたとおり、中学は何とか保健室登校など名目上の出席数を満たして卒業しました。が、修学旅行も行ってませんし、クラスメイトとも会ってません。とても会えませんでした。

 高校は、定時制を受験して、こういったところは受験さえすれば基本全員合格になりますから、籍だけがありました。最初の頃数日は学校に出てみたんですけど、まあ、暗黒学園そのまま。生徒は全員、言葉悪いけれど関西風に言えば「アホばっかり。」。とても、わたしのいられる場所ではない。

 そのまま全く登校できないまま籍だけが2年間だけありました。当然取得した単位は無し。

 大学入学資格検定試験

 今は、思い出せないんですが、こういう制度があることを何かで偶然知りました。ドラマ(後述)と同じで、偶然本屋で見つけたんだっけ。確か。

 この制度、ご存じの方も多いと思います。事実上の高卒免状と言われていて、当時の文部省の条文だったか、法令の文章だったかはっきりしませんが、この資格を取得すると、『履歴書の資格欄ではなくて、学歴欄に記載すること。』ということになっていて、事実上の高卒になれるわけです。

 当時は15か16の子どもです。手続きやら以前に世間を全く知りません。

 でも、育ての親は小学校もろくに行ってない無学の馬鹿でしたから、自分で何でも調べて行動するしかありませんでした。もちろん、当時は当然インターネットもありません。

 で、暑い中、森ノ宮駅から大阪城外堀をテクテク歩いて、当時は、地下鉄があるのも知りませんでした。もの凄い遠回りをしてしまって、何とか大阪府庁に辿り着き、教育委員会を探して書類などをなんとか入手。これだけでも、大変な労力を要しました。

 

 こもり人(いわゆる引きこもり)経験者の方なら分かることなんですが、とにかく、外の世界は怖い。緊張の連続。こもる以前ならなんでもなかったことなのに、駅やら電車やら街とか普通のひとならなんでもないところも怖いことの連続。人の目。人と話すこと。何かにつけて過剰に緊張する。

 これは、どうしようもないこと。逆に言えば、当然の反応。なにかにつけて、ぎこちない。実際、人から観たら、例えばお店の店員からみたら「この人何?何か変。」という状態。なにかにつけてビクビクしっぱなし。

 とにかく、中学2年生以降、外の世界にはほとんど出ていません。地元の人の目も怖いし、駅までの街の中を歩くのも怖い。電車も怖いし。だからこのときは、大層な大阪府庁の建物に恐怖すら覚えました。警備員が入り口に二人立っていまして、これまた、警官ではないのに制服が怖い。

 その警備員の間を恐る恐る抜けて府庁に入って、教育委員会の部署を探して、たどたどしい言葉で「大学入学資格検定試験」の用紙を下さい。とかやっと言うと。これまた、人を小馬鹿にしたようなおっさん二人が(こいつら元教師だと今だから分かるんですが、)「これ、受けるんかい。大丈夫なんか。」とか薄笑いを浮かべながら手渡されました。わたしは完全に馬鹿にされていました。当時の教員、元教員とかは多くがこんなもんだったんですよ。全く下卑た品性お下劣のオヤジそのまま。それが当時の教師のイメージ。

 まあ、この年度は、手続きからして、おっかなびっくり。家で何時間もかけて、というか何日もかけてやっと出願書類書いて、そしてまた、あの嫌なおっさん達がいる大阪府庁に再び出向いて、やっと書いた出願書類も訂正しまくりさせられて、書類の書面も汚くなってしまってて、むちゃくちゃ。この出願のときも馬鹿にされっぱなし。完全に馬鹿扱い。「なんやねこれ。印紙こんな貼り方したらあかんがな。こんなところに斜線引いたらあかん。」とかいろいろケチつけまくられまして、まあ、それでも一応出願書類は受理されたんですが、それでエネルギー使い果たして終わり。受験すらおぼつかなかったんです。印紙代だけが無駄に終わりました。それと、侮辱されまくった屈辱感が残りました。

 まあ、当時の法令では、かりに合格したとしても、年齢が16歳のうちは無効で、18歳になってからはじめて効力が有効になるので、あんまり落ち込んだとかは無かったです。(現在の高等学校卒業程度認定試験と同じく、高等学校在学中でも満16歳以上で受験資格がありました。)

 まあ、当時は学校から解放されて、徐々に家から出られるようになってきたばかりで、家の外に出ること自体が本当に怖くて、とても受験どころではなかったんです。結局。

 

 

 この時期、このほかにもいろいろありました。それらいろいろ経験したこと、そして、それらから学んだことは、『中卒は人間扱いされない。』という社会の現実。

 もう、午前2時なので、今日はここまでにします。

 分かって欲しいのは、わたしでも、こういう時期があったこと。

 次回(『中卒・東大一直線 もう高校はいらない!』)に続く。

 

 

 

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