週間日曜日・大型作品
おはようございます。瞳です。昨日になりましたが、一日寝てました。現実逃避です。仕事が来ないの。この前の高校では、大人しくしていたつもりなんだけれど、しかも、校長には、わたしが泣かされているパワハラ証拠の音声データまで提出させられたのに。
干されるのは、まったくの心外だわ。
昨日寝ている間、夢を見まして、新しい高校に赴任している夢。あんまり楽しそうでは無い。面白いのは、夢の中でも「ああ、わたしまた教師やってるわ。」とか思っていること。これ、決して喜んでいるわけではなくて、現実にもいつも感じることで、教師って楽しく無いんだけれど。
いつも、いじめられるし。
でも、給料が入らないというのは、マジ怖いわ。どうしよう。
大型作品は一般の人には難しい
さて、表題。
F150号(約2,27m×1,8m)の人物作品を学生時代に描きました。記事に書きましたが、春日大社の雅楽「胡蝶」の舞装束の女の子の絵です。
展示会場ではそれほど大きくは感じませんが、お隣に少し見えているのが100号で高さが162cmプラス額縁。並べてみてF150号はかなり大きいのが分かります。
大体、どの美術団体でも会員・委員(団体の最高位)といった上位階級の先生方は全部このサイズがスタンダードになります。200号、400号とかの作品も珍しくはありません。
写真じゃ分かりませんが、とにかくデカい。普通の日本の家屋では、玄関から出し入れするのは、非常に難しい。というより、無理。現在、この作品は、庭の大型ストッカーに保存しております。
まあ、はきだしの大型窓から一旦入れたとしても、6畳では制作活動不可能。なにせ、大きさ約2,27m×1,8mです。
この作品は、大学のアトリエで制作しました。
つまり、アトリエのある先生方でないと、こういった作品制作は難しい。わけですね。
この、でかければいい。といった傾向。見直す動きもあるのですが、依然として大型作品が会員(委員)のステイタスなのは変わりません。
趣味の日曜画家の方々には無理な部分です。
デッサン力
この作品、投影機とかは使用してません。兄貴(叔父)のデッサン制作理論でデッサンを描き出しました。
まあ、大きく描いても、人物の表情、存在感、あどけなさとかは普通でしょ。それが、わたしの大学の絵の師匠から授かった直伝、秘伝の「構成」力の重要性。(この構成とは、一般でいう構図などを示すのではなく、師匠の秘伝です。この秘伝奥義を授かったのは3人だけ。わたしは、叔父から伝達してもらいました。この3人に例の自称美術作家は含まれていません。)
*余談:この自称美術作家は、このブログの記事「教師はやはり世間知らず」出てくる教師で、二紀会の準会員(同人)です。現在60歳くらいなので、あと10年も辛抱すれば会員(一般でいう会友に相当)になれるかもしれません。
まあ、この人、学級崩壊をテーマにした作品を描いているというのですが、自分が教師で、学級崩壊という社会問題があって、それを描く。というお題目があるわけです。
で、今どきの最新式の教室机とか、細かい部分を描くこと、とかにこだわりを主張していらっしゃるんです。
それはいいのだけれど、それだけ。放課後の教室をカメラに撮って、パネルに糸でマス目を作って拡大してそれをバックにランドセルやら、三角定規やらを浮かせて描いているんだけれど、要はそれだけ。素人なの。これはとても、師匠の絵では無い。
絵画とかその他芸術とかは、立派なお題目、テーマは必ずしも必要ない。無言で魂に響いてくるものが、本物にはあるんですよ。テーマとかは後でついてくるもの。
雅楽「胡蝶」とは
雅楽とは、平安時代にほぼ完成された日本の文化です。起源自体は奈良時代以前に遡りますが、今観られる雅楽は、平安貴族の世界です。小説「陰陽師」で、源博雅様が龍笛を奏でられますが、それがこの雅楽です。とてもいいです。
さて、雅楽には大陸系伝来の左方(さほう)と半島系伝来の右方(うほう・別名高麗楽)とにわけられ、互いに演目ごとに番(つがい、組)の舞構成になっています。
この「胡蝶(こちょう)」は、右方に属し、左方の「迦陵頻(かりょうぴん)」と組になっており、こども専用の舞で、童舞(わらべまい)とよびます。
ただし、左方の「迦陵頻(かりょうぴん)」が大陸伝来なのに対し、この「胡蝶(こちょう)」だけは純国産の舞となります。
醍醐(だいご)天皇の御代、延喜(えんぎ)6年(906)に宇多(うだ)上皇が童相撲(わらべずもう)を御覧になるおり、左方の「迦陵頻(かりょうぴん)」と組になる「つがい舞」が無かったため、勅命によって山城守(やましろのかみ)藤原忠房(ただふさ)が作曲し、敦実(あつみ)親王が舞をつくられたそうです。(四天王寺の聖霊会のときの僧侶の説明を暗記してしまいました。)
四天王寺の舞のときは、しきたり通り、男の子が化粧して舞います。非常に可愛らしくて不思議です。
春日大社の南都楽所の場合、(聖武天皇祭の際と、菖蒲祭、采女祭のときなどに舞を観ることができますが)、女の子も舞います。
わたし、菖蒲祭のときに、舞が終わって冠を外した後、中学生くらいの最年長の子に写真を撮らしてもらいまして、それを描きました。
このときは、この雅楽を題材にした作品を多く描いていて、大学の図書館やらで必死に装束のことなど調べたのですが、やはり不明な点が多く、現物を観るに越したことは無いとばかり、この撮影のときは、かなり、時間を取らせてもらって、装束の詳細なデータを取材させてもらいました。
事前に春日大社や南都楽所に了解を取ってあり、他の大人の舞人の方々も、非常に協力的で有り難かったです。
しかしまあ、この雅楽の装束、一揃え一人分で家が建つ値段です。汚したり、破損させたらえらいことです。気を使って慎重に決して触りはしませんでした。
この絵の場合、背中につける蝶の羽が取れてしまっている状態を描いたのですが、「この三角何や?」とか聞かれました。
背景の建物はイメージの世界です。
やはり、絵画としての世界観をもっと煮詰める必要があります。学生ゆえの未熟さですかね。今なら、羽は両方2枚描きます。
話変わって
全関西行動展の記事で、わたしの作品が最後になっていたことを残念だと書きました。が。
思い出したことがあります。
太平洋美術展で、憲仁親王妃久子殿下の作品が、最後の展示になっていたのを思い出しました。
わたしの絵が最後の展示室の一枚パネルのスペースをもらえたというのは、まんざらでもなかったのか。