縁起担ぎ

おはようございます。成海瞳の鬱(うつ)日記です。

 表題なんですが、わたし、カレンダーが苦手なんです。それも、暦(こよみ)が記載されているタイプ。

 「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」とかが日にちの下に書いてあるのがありますよね。あれダメ。

 これらは、「暦注」(れきちゅう)といいまして、その日の運勢とか吉・凶を示します。上の六つは「六曜」(ろくよう・りくよう)と読みまして、いわゆる暦です。

 これらは、「選日」(せんじつ)とよばれるもので、一粒万倍日(いちりゅうまんばいび、いちりゅうまんばいにち)・不成就日(ふじょうじゅび、ふじょうじゅにち)などというものもあります。

 わたし、神職目指していた身なんだけれど、これらは迷信だと思うし、ややこしくて完全には憶えていませんでした。

 が、「友引」だけは用心していました。

 というのは、意味自体は「友を引く」、つまり仲良しができたり縁起がいい日とされているのですが、別の解釈もありまして、友や大事な人を失う意味もあるみたいです。で、わたしの場合、後者で、これが、ことごとく的中しているんですね。何かを失った日にふとカレンダー見ると「友引」なんです。

 飼育していた魚が死んだ日とか。まあ、猫たちは、わたしにとってはペットなんかではなくて、大事な家族、伴侶ですから、病気のときなどはさすがに怖くて見れませんでしたが、飼育魚、珍しい金魚とか大き目の水槽で飼ってまして、緋鮒(緋鯉みたいな赤い鮒・金魚の和金にそっくり)や、テツギョという金魚の祖先とか鯉とか。

 これら、かなり長生きしてくれて、緋鮒なんかまるで鯛の小さなサイズ版みたいに大きくなってしまったりして、まるで鮒というより緋鯉。テツギョもかなり何年も生きていて、愛着がありました。テツギョというのは、色や胴体の形は鮒なんだけれど、背びれや尾びれが長くて、形だけがいわゆる金魚。鮒の突然変異。大昔のマンガ「釣りキチ三平」にも出てきます。

 これらがある日、どうしても寿命で死んでしまうんですけど、それが決まって「友引」。

 まあ、そう感じるというか錯覚なんです。この「友引」とかは6日に一度めぐってくるわけですから、「友引」に大事な何かが死なない日の方が圧倒的に多いわけで、確率的にも。

 理屈では分かっていても、学校で、絶滅危惧種の「日本バラタナゴ」を飼育していても、やっぱり「友引」に死んじゃうんですね。これって、不思議。

 まあ、わたしは他の「大安」、「仏滅」、「先勝」、「先負」、「赤口」は信じてません。まったく逆になることが多いからです。

 しかしこれ、気にしだすと気になってどうしようもない。だから、カレンダーの暦とか「暦注」は見ないようにしています。かつて、死んだ大叔父の一人が同じようなことを言っておりました。のんびりした人物でしたが、成程ね、分かるわその気持ち。

 で、なんでこんなこと急に書いたかというと、昨日の日曜は「選日」(せんじつ)の不成就日(ふじょうじゅび、ふじょうじゅにち)だったんですよ。これ、名前からしてなんか嫌。特にこれまで、この日に何かあったとかはないんですけど、この日に始めたことは、すべて失敗するとかとんでもないこと書いてありますから。嫌なもんです。

 こんな日に新しく、ティッシュ箱を開けるとか、新しく歯磨きチューブを開けるとか、新しくクリーム薬の瓶を開けるとか、何かやりたくない。というか、なんでまたこの日に限って3つも同時に無くなるのかね。嫌だね、こういう偶然って。で、歯磨きチューブは限界まで絞り出して、薬の瓶も目いっぱいクリームを指瓶の隅々まですくって何とか一日持たせました。ティッシュは他の部屋のを使ってしのぎまして、ああ、しんどかった。

 ちなみに、去年の1月1日の能登震災はこの「選日」(せんじつ)では、大吉の一粒万倍日(いちりゅうまんばいび、いちりゅうまんばいにち)だったわけで、大外れもいいとこなんですけど。

 なんかね、カレンダーは日にちだけにして欲しいわ。

 わたしは、暦、各種占星術とかより、吉・凶は感覚で読む。これが、確実です。(それなりに修行した身ですから。)

  

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