独学の壁・大検予備校の現実
もう一冊の本にできるほど書いてしまいましたが、まだ肝心なことが多いので、今日は前置きなし。
自分で勉強すること
実は、これが一番の壁です。よく大学受験に失敗して自宅浪人で、一人勉強で頑張るひともいます。大学受験なら、こういった例は特に珍しいことではなくて、予備校の費用も莫大ですし、和田秀樹先生によれば、「予備校の授業なんて受けるくらいなら、高校の授業の方がまだマシだ。」と言っておられます。
この和田秀樹先生は灘中学から東大理科三類に合格した秀才ですから、こんなこと言えるわけなんですけど、これは事実だとわたしも思います。
しかし、実際問題、自分で、参考書や問題集を使って勉強出来る人というのは、もとから勉強ができるわけです。すでに、最低限の学力、実力があるからできるわけです。
引きこもりからの復帰
わたしの場合、中学の不登校時代から学習の遅れは何より怖いことでした。で、学校に行けなくなってから二ヶ月ばかり経った辺りから自宅で勉強しようとしました。
が、実に驚くべき事態に直面しました。
中学1年から習っていた事を、ほとんど忘れているんですよ。それもわずか二ヶ月あまりで。
それが、人間の脳なんだと今では理解しているんですが、当時はパニックでした。(一体何これ?)状態。得意の英語もほとんど例文すら書けない。分からない。
人間の脳は、驚くほど短期間で物事を忘れます。健常な人でも。例えば、外国語などの言語。わたしの大学時代のドイツ語の先生が、かつて自分の体験したエピソードを語られました。ほんの2・3日間、日本に帰国したあと、留学先のドイツに帰ったら、周りのドイツ人が、「あなた、その変な言葉使い(ドイツ語)どうしたの?」と言われたそうで、ご本人は自覚は無かったそうですが、変な言葉使いになっていたそうです。
身近な例でも、同級生の名前、ほんの数年で忘れますよね。顔は覚えているんだけれど、名前が出てこない。職場でのかつての同僚でもそう。
こんなものです。現実世界。人間の脳は。
だから、こもっていた期間が長ければ、極論、小学校からのやり直しになります。
けっしてオーバーではありませんよ。これ、試しに家の人とか適当な大人に、割り算の筆算できるかどうか試してみてください。できないんですよ。多分、出来ない人がほとんど。意外に忘れているんです。
人間使わないことは、どんどん忘れる。
割り算どころか、かけ算筆算でも「え~と、どうするんだっけ。」
さすがに九九は、不思議と覚えている場合が多い。普段無意識に使いますからね。これは幸い。でも、小学校在学中にこれを暗記しないで中学に上がる子も、実際に、けっこういるので、そういった人は、九九からやり直し、学び直しになります。
(大検)、『高等学校卒業程度認定試験(高卒認定試験)』(高認)の勉強は、今、専門の予備校コースがたくさんあります。がおすすめしません。
非常に費用が高額な上に、授業について行けない危険性があります。
なぜなら、これらの教室は、個々の学力状況に応じた対応ができないと予想します。わたしの実体験から。
わたしはどうしたか
わたしの場合、悪戦苦闘して、参考書で何とか勉強しようとしました。よく、「問題集、参考書の類いは、ごついのではなくて、薄い物を使え。」とかいう教えに従って、本屋でいろいろ適当なものを買ってくるんですが、どうしても、最初の方で挫折する。1冊として最後までできた試しがない。
中学の内容なんて、英語、数学ともに本気になれば3日で理解できる内容です。でも、どうしてもできない。
で、次々別の参考書類を買って来ては放棄するといった状態。
まるで、地獄の賽の河原状態。石を積んでは鬼に壊され。の絶望の日々。
秀才の兄弟、親戚はあてにならない。
わたしの秀才の兄貴(叔父)に、教えてもらえばいいじゃない。というのも言われそうですが。
秀才の身内、親、兄弟などが教えるというのは、実は上手くいかないんですよ。まあ、大抵は「なんやね。何回言うたら分かるねん。こんなんも分からんのか。」、「うるさいわい。もうええわ。あっち行け。」となります。
教えるというのは、難しいものです。教師のプロのテクニックが必要です。進学校、難関校の兄貴がいたとしても、その兄貴には教師の技術はありません。説明ばかりです。このブログで何度も書いていますが、知識があるのと、それを(教える)ということは、全く別のものです。人に物事を(教える)には、そのための技術が必要なのです。説明が多いと、説明ばかりだと逆に理解できないのです。
遂に予備校通いを模索する
(大検)という目標が見えた頃、わたしは自宅学習を諦めて、専門の予備校通いを模索しはじめました。この(大検)がまだ世間一般には知られていなかった頃なんですが、ドラマのおかげでYMCAなどの大手の予備校や各種専門学校などが(大検)の受験コースを設定し始めました。
結論から言うと、結局2校に通ったのですが、まるで駄目でした。教師も授業内容も全くお粗末でした。これは、実はある程度予測していたことで、わたしは、予備校を学習のペースメーカーにしようと考えていましたから、別段失望したということもありませんでした。
大体、途中入学してきたわたしに補習も無しに、クラスの授業をそのまま受けさせる有様ですから。おのずと予備校としての認識からして問題ありであり、さらに悪いことには、通ってくる生徒。
これがまた問題。(大検)を受けることになったいきさつは様々なんでしょうが、それはすなわち、みんな、まあ、若いのに酷い目に遭ってきたということでもあります。
当然、悪もいるし、何か言動が変なのも多い。
わたしの場合、ある男子につきまとわれました。これ、イヤらしい意味ではなくて、異常に頼られたというか心理的に異常なまでに接近しようとしてきたわけです。
わたしも精神的に目一杯の状態でしたから、気持ちは分かるけど、鬱陶しいのを越えて、耐えがたい苦痛となりました。で、「ある日、鬱陶しいの。なんで、わたしにそんなにつきまとうの?」と言いました。
そうすると、彼は「加舎さんが好きだから。(恋愛という意味ではなくて。)」と言いました。
わたしは、笑ってしまって、「なんやのそれ。」と言いました。
が、その日以来、彼はいなくなりました。予備校に全く出てこなくなりました。彼の場合、目一杯、明るく振る舞って、社交的にしていたけれど、やはり、精神的に相当無理をしていたんだなと思います。
結局、その後、(大検)を受験できたとは思えないのですが、今、どうしてるのかな。
結局学力は身につかなった
2校通いました。どちらも駄目でした。でも、ペースメーカーとしての役割は上手くいきました。
つまり、自宅学習のペースメーカーです。自学学習の最大の敵は、ナマクラの誘惑です。
教科書、テキストを開くまでが、大変。なかなか、勉強に取りかかれない。
当時はテレビ、漫画雑誌程度の誘惑でしたが、それでも、どうしても、そちらの方に逃避してしまう。結局、1時間も勉強できずに終わる日もありました。今は、もっと恐ろしいスマホがあります。
前述の和田秀樹先生の著書にある記述なんですが、「テレビゲームは絶対にするな。これを途中で止めることができたら人間ではない。」
当時のテレビゲームですら、一度始めてしまったら、止められない。今のスマホゲームなら尚更です。
自宅浪人にしろ、自学にしろ、自宅では勉強を始めるまでが大変なんです。
しかしまあ、予備校通いをしていれば、一応毎日学習活動はするわけですよ。これはよかった。さらに、この当時の学費は安かった。
数学の壁
和田秀樹著『受験は要領 たとえば、数学は解かずに解答を暗記せよ』ごま書房(ゴマブックス)1987 のちPHP文庫という本と出会いました。
極論、この本のおかげで大学まで行けたと思います。
この本に書いてあるように、最大の壁は数学です。それも、一番最初の「数学Ⅰ」が難しい、というより、ややこしい。難物なんです。「数学Ⅱ」、「数学Ⅲ」の各分野に進むにつれて、逆に取り組みやすくなる。
2校の予備校通いをしても、この「数学Ⅰ」の壁が越えられませんでした。どうしても、理解できない。どんな参考書をみても意味が分からない箇所がいくつもある。分かってしまえば簡単なことなんですが、独学の壁です。
予備校の講師は熊本大学と神戸大学卒の秀才なんですが、教えるのは下手でした。まあ、素人同然。
さて、困ったもんだ。どうしよう。
救いの神NHK
何かと今、非難、問題化が指摘されているNHKなんですが、今のEテレビ、昔の『教育テレビ』は本来の国営放送としての存在価値があります。これ、この記事を書いていて気がつきました。
いっそ、組織を解体縮小して、今の教育分野の番組だけにしたらいいのに。そしたら、受信料なんて国費でまかなえるし、いいことだらけ。
で、そのNHKなんですが、実は、私立の通信制高校を運営していて、当時はNHK学園という名称だったかな。私立なんですが、学費が入学時以外は授業料は無料(世帯収入、年収約590万円以下の場合)。
しかも、テレビという情報伝達手段を持っている。このメリットは大きいんです。一応、当時は一方通行ながらも通信制なのに授業が出来たわけです。
(今現在は、インターネットによる双方向の授業や、週3日の登校形態などいろいろ講座内容が多様化して進化しています。さらに、卒業が最短3年で可能になりました。)
わたし、その年の(大検)受験出願には間に合わないのだけれど、入学しておくと単位が取れた科目が免除になります。もし、(大検)一発合格を逃した場合でもそれが生かせる。さらにスクーリング協力校の高津高校の先生の授業が受けられる。などのメリットから入学しました。
『NHK高校講座 数学Ⅰ』のテレビ講座に驚いた
当時はインターネットは無くて、テレビが主流のメディアでした。でも、NHK教育テレビなんて普通は観ません。
でも、通信制高校の授業としてこの『NHK高校講座 数学Ⅰ』を観なくてはなりませんでした。これ、授業なんです。
地味な番組です。当然です。授業ですから、それも数学。
当時、二人の講師先生が担当されていて、黒板の色を模したボード使って授業が行われます。
このボード、緑色のマット地で、基本事項があらかじめチョーク調の文字で印字されています。
ところどころ、空欄が数カ所あって、内容を説明しながら、先生が手書きでチョークで空欄に書いていきます。
これ、非常に見やすいんですよ。
最近よくあるセミナーやYouTubeの番組みたいに、ホワイトボードにマジックでぎっしり書きまくるとかいったのと大違い。
パワーポイントでもそうなんですが、ひとつの画面にぎっしり書くのはド素人の証明。
プレゼンテーションの基本中の基本です。
で、驚いたこと。わたしが詰まっていた、どうしても理解できなかった項目の授業のときです。(一体どうやって説明して、どうやって理解させるんだろう。)
この数学講座を受け持っている先生お二人。相当な腕です。授業の腕前。おそらくあのTOSSの高段者と同等。
授業が始まり、淡々といつものように、言葉少なめに説明を進めていかれました。
そして、例の問題の箇所。分からなかったところ、理解できなかったところ、あっさり納得理解。それも、いつの間にか自分でも気づかないまま理解習得。
そのまま、例題、練習問題、と進み、30分で修了。しばし呆然。
ここの授業の質は相当に高いです。これ、TOSSとかでいろいろ授業技術の勉強した今だから分析できる。
まず、板書のパネル。非常にシンプル。なるべく黒板のイメージを持たせながら、余白を十分にとってある。
そして、『教科項目の基本形』がきっちり、はっきり、そしてしっかり、示されている。
これは、向山式数学の奥義なんですよ。教科書には、各項目ごとにその項目の中心となる重要事項を現す『教科書の基本形』というものがあります。
教師は、教科書を熟読分析し、これを児童に教え込みます。そして、例題、練習問題と変化ある繰り返しで理解を深めていきます。
よけいな説明はしない。説明は簡潔で少ないほどいい。説明が少ない分、例題、練習問題と『変化ある繰り返し』で理解を深めていく。
これが授業の基本ですが、なかなか難しいんです。大したもんです意外にNHK教育分野。
普通の通信高校というのは、スクーリングがけっこう大変です。昔は卒業まで4年間でした。
いざ、入学すると、山のようなテキスト類、レポート用紙がどっと送られてきます。なかなか手をつけられないまま、次々送られて来ます。どんどん未提出がたまってきます。本当に大変なんです。
さらに、月2回ほどの登校を要するスクーリング。これで休みが丸一日完全に潰れます。
ここを卒業まで頑張った人は、はっきり言ってかなり優秀だといえます。
そんな中で、この現在のNHK学園高等学校は、様々な学習形態を選択できます。一つの選択肢としていいかも知れません。わたしは、幸いにも、(大検)の一発合格に成功できたので、NHK学園は、1年でやめましたが、貴重な体験だったと思います。