朝のあいさつ運動について。

瞳の鬱(うつ)日記

 こんばんわ。瞳です。今日は、教育問題。とにかく、なぜかバイク記事へのアクセスが多くて、わたし、本当に嫌だと言っているんだから、お願いだからやめてください。わたし、バイクは分かりません。バイク大嫌いです。

 いつも、散々言っているように、バイクメーカー、車メーカーは完全に馬鹿です。悪です。4代目のPCXなんて、4バルブでトラコン付きだそうです。製品企画の連中は、きっと眼鏡をかけた、ださい馬鹿です。そうに決まってます。ずうっと前の記事「NHKホンダFI番組」に出てくる、アホ大学卒のださい若造です。まぬけです。完全に消費者を馬鹿にしてます。馬鹿にしているというより彼ら自身も真正の馬鹿です。

 今から言う事、初心者向けですよ。4バルブは基本、高回転高出力のためのものです。スクーターには全く意味ないです。当然、低速トルクも確保。とか本田はカタログ宣伝とかには書いているのでしょうが、「あんたら、スクーターでぶっ飛ばせ。とでもいうわけ。単にスポーティイメージで消費者ひっかけようってか。」スクーターにトラコンつけてどうする。どうせウェットで高回転域でトルクが乗った時に必要だとか言うんだろアホ。だったら4バルブなんて最初から意味ないわけだ。

 本音のインプレによると、やはり中低速が弱いとあります。

 バイクのことはここまで。

ここから教育問題

 小学校で顕著なんですが、全国的に「あいさつしましょう。」というスローガンを掲げています。きちんとあいさつする子はいい子ということです。

 でもね。おはようございます。と大きな声で、朝、校門で先生にあいさつできる子がいい子だとはかぎりませんよ。

 きちんと元気にあいさつできるということは、社会を生きていく上での貴重なスキルです。確かに。それはいえます。だから、その訓練を幼稚園、小学生のうちからしておくこと自体は教育機関としては必要で意義があります。

 が、きちんとあいさつできない子に、実は心のやさしいいい子がたくさんいるんですよ。

 内気で大人しくて、気が弱いからあいさつできないだけなんだけれど、心優しい子がいっぱいいるんです。このことを周りの大人や教師は忘れてはいけません。

いじめのボスは大人への人あたりがいい

 ハキハキと先生にはいい子。当然きちんとあいさつをするし、何事にもすすんで先生のお手伝いなどをする。係の仕事もそつなくこなす。

 それはそれで優等生なのだから、いいのですが。中には裏の顔を持つ子も当然いる。こういった子は表の顔がいい。子どもが純真だなんて、ゆめゆめ思ってはいけません。大人を平気で欺きます。要注意です。

 都心には子役を養成する芸能スクールとかあります。将来は芸能人やスターアイドルを目指す子と親が通います。

 そこに通う子は、都心のスクール近くの道行く人みんなに明るく元気にあいさつします。された方が面食らってびっくりします。(ああ、ここの子役養成の芸能スクールに通う子か。)と納得するんですが。そうなんです。世の中こどもも大人も、やたら人あたりがいい人間というのは、要注意です。

 たとえばセールスマン。悪質な訪問販売からインチキ商売の勧誘など口八丁手八丁です。

 表の顔がいい、一見いい子が本当にいい子だとはかぎりません。

なぜにあいさつ運動がとくに奨励されるのか

 ひとことで、あっさりいいます。地域、地元の年寄連中に喜ばれるからです。朝のあいさつなどは、教師も一緒に旗振りのときにやらされます。生徒だけではなくて、学校と関係ない人にも片っ端からあいさつします。散歩しているお年寄り。を筆頭に、学校の近くに勤め先があるおっちゃんやらおにいさん、おばちゃんにも片っ端からあいさつします。「おはようございます。」と大声で、丁寧にお辞儀してあいさつします。ほとんどの方はちゃんとあいさつを返してくださいますが、こちらとしては、かえって恐縮してしまいます。

 何か変でしょ。というより、異常でしょ。まるで不可解な行動です。

教育問題の根本には必ず年寄の老害がある

 わたしの個人的経験なんですが、ほぼ全国の小学校の卒業式には別れの言葉、贈る言葉、といういわゆる「呼びかけ」という演目があります。大体の台本があって、それに沿ってセリフを大声で言うあれです。ほとんどの読者の方はご経験があると思います。

 まったく、馬鹿丸出しなんです。あれで、感極まって涙する子や保護者や教師も確かにいます。なかには子供たち自身で考えたアドリブが入って、教師を驚かせたりもします。だから、全部が全部茶番だとは言いませんが、やはり、あれはやめた方がいいです。

 それで、わたしの昔の勤務校で、送る側だったかな、5年生が学校から帰る途中の道すがらにこの贈る言葉を茶化して遊んでいたんですよ。茶化したくなる内容です。心にもないこと言わされているわけですから。それを毎日毎日何時間も練習させられているわけです。児童虐待です。

 そしたら、それを聞いた地域の老人かおばはんみたいなのがいて、学校に苦情を入れてきたんです。

 別にその方は直接の保護者とかじゃないです。ただの地域の老人、おばちゃん連中です。「卒業式の大事なことでしょ。ふざけて茶化すなんて一体どういうことなんですか。」ということで、要はけしからん、ということなんです。

 学校というのは、教師というのは、保護者のみならず本当に地域の目に弱いんです。教育委員会に知れたらどうしようといつも戦々恐々です。これらは本当のはなし。わたし現場を知っていますから。

今の教育問題の根本にはいつも老人がいる

 『聖職の碑』(せいしょくのいしぶみ)1978年・鶴田浩二主演・東宝
(木曽駒ヶ岳集団登山における気象遭難事故の実話に基づき極限状態での師弟愛を描き、「生きること」「愛すること」の意味を問いかけた。)(https://ja.wikipedia.org/wiki/)

 という映画があります。「この子達は私の命だ」と鶴田浩二演ずる赤羽長重校長が自分のシャツをひとりの生徒に着せて、自分は死んでしまう。というシーンが有名なのですが。肝心の子どもたちの命も多く失われました。

 当時白樺派という教育思想が出てきました。赤羽校長は頑固者ではなくて、若い彼らの思想にも理解があったことになっているのですが、わたしは赤羽校長はやはり馬鹿だったのだと思います。

 何で、修学旅行で耐寒訓練なんてするんでしょうかね。それも全生徒。一体何なのこの愚行。軍隊じゃあるまいし。これがなんの教育なの。

二宮尊徳・薪を担ぎながら書物を読む美徳

 日本人を蝕んでいる、勤勉という呪縛なんです。勤勉の美徳。わたしは『聖職の碑』信者ともいっています。ある種の信仰です。

 長時間労働、それも意味のない雑用仕事ばかり。部活問題にしろ、やたら部活では従順な子供たち。それを許容せざるを得ない職場環境。

 これらの根本には、二宮尊徳の亡霊とそれを信仰する老人がいます。そして、驚くほど従順すぎる今の若い新人たち。

老人を徹底的に排除せよ。芯のある若者を現場に置くべし

 老人は学校周辺のいわゆる地域だけではなくて、教育行政をつかさどる政府、官僚をはじめとしてこの国の底辺に深く根付いてしまっています。

 これらの老人に口出しさせてはいけません。この国の将来、子どもたちを思うなら。

この今の教育現場で定時退官する教師がいます。いるんですよ。実は。

 向山洋一先生という方が率いるTOSSという教師集団があります。新興宗教みたいだとの批判もあり、実際、そんなところも確かにあります。多少の偏りも確かにありますが、概ねまともだといえます。

 すなわち、まず子どものことを第一に考えている。教師の高い授業能力を育成している。これは塾の講師を明らかに凌ぎます。これらの実力のある教師は、堂々と、上司や同僚の目をきにすることなく定時で退官します。怠けているのではありません。手を抜いているのではありません。教師の勉強サークルに参加したり、ちゃんと授業準備をするためなんです。だから、かれらの授業は実際に質が高い。

 まず、落ちこぼしを出さない。これは驚くべき実力と言えます。

 これが一番肝心なこと。学力は子どもの将来を本当に左右します。学力が将来を左右するんです。

 勉強がすべてではない、なんて嘘です。きれごとです。悲しいことに勉強で人生ほぼ決まります。それが今の日本という国の本当の姿。 

 中学で荒れる子。「おれ、アホやから高校行かれへんね。」なんてことは言えないんですよ。かれらにも自尊心がある。ただ、不幸にも担当した教師が無能で、数学・英語が分からないまま過ごしてしまった不幸があるだけなんです。

 中学2年から高校入試にかけてが、こどもの人生をほぼ決めます。これが本当の日本の姿です。それは、精神修養などではなくて、数学の一次方程式がちゃんと解けるか、とかそんなことなんですよ。もっといえば、小学校時代の九九がちゃんといえるか。ひっ算がちゃんとできるか。なんですよ。実際。

 前のわたしの記事でも書きましたが、中学で習う数学なんて、実は数週間でマスターできるんです。本当は。でも、学校は、日本の学校というところは余計なこと、行事が多すぎる。同時に教師の仕事も余計な雑務、無用の雑務が多すぎます。

これからの学校は芯のある若い教師たちによって、老人の圧力をはねつけることが必要なんです。

 わたし偉そうなこと言ってますが、実際にやりましたよ。自慢しているわけではありません。できるんですよ。やろうと思えば。講師(臨時任用の正規教員)の分際で、ずいぶん教諭(職業教師)や管理職に文句を言ったり、逆らったり。ときにはそのせいで校長に大声で怒鳴られたりもしました。その時期はまだパワハラは一般的には知られていませんでしたから、いろいろ大変でした。若気の至りでベテランのジジイ教諭と生徒の得点を競って負かせてしまったりしました。これは馬鹿なことをしたとは思います。大変なはねっかえり女でした。で、その上定時で帰ってやりました。だから、同じ学校で2年以上継続勤務というのもありませんでした。まあ、問題児ということですぐに追い出されました。

 でもね、自分の子どもが勉強分かるようになると子どもが変わるし親も分かるんですよ。そういうのは、ちゃんと広まる。結局同じ地域で学校変わりながらも長く務めたわけです。

 教諭ならまず解雇は無いし、若い人たち、もっと信念もちなよ。

 

 

 

 

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