小説「ユートピア」3

 教祖を失った子羊たち

 自〇した教授の遺産。最後の岬の家族への助言、指導、

 すなわち、『岬を残して家族3人で家を出ること。』

 このいわば、教祖の指導は、教祖の昇天によって、信者はその行き先、航路を失った。

 結果、迷える信者たちはただ大海を彷徨うことになる。

 それはただあてもなく、無意味に新しい住処(すみか)を転々とすることを意味した。

 運命の分かれ道

 自分で道を切り開くことを知らない子羊たちは、無意識にあたらしい自分たちの教祖、予言者、指導者を求めてさまようことになる。

 そして、ちょうど3か所目の住処(すみか)でそれは始まった。

 

 事の始まりは3か所目の引っ越し先の候補地選択。

 この時期には、両親とは連絡のやり取りが復活していた。一時期は、今は亡き教祖であるカウンセラーの指導により、両親、姉の居場所すら岬には知らされなかった。つまり完全に音信不通の時期もあったのだが、カウンセラーが自〇して、三人が2か所目の住処、京都府の木津に移った頃には、連絡も復活し、岬もこの住処を訪れることも多くなった。姉とは相変わらずであったのだが、それでも一時期よりは家族の体裁を取り戻しつつあったといえる。

 そして、この三度目の引っ越しに関して、相談を受けることになったのだ。

 不動産屋が提示した候補物件は二軒。

 まず一件目は、奈良教育大学附属小学校に通う生徒の家族が住んでいたという物件。聞くところによると、この物件の先住者は、我が子を付属小学校、附属中学校に通わせるためだけにこの教育大学すぐ傍の、この家に越して来たという。この先住者は教育熱心な家庭だったのだ。

 この場所は高畑町という場所で、古来、春日大社の宮司たちの住居があった場所である。今でも春日大社の関係者やその子孫が住んでいる。

 その家の先住者家族は、子供が学校を附属小学校、附属中学校を卒業すると同時に、我が子の新しい進学先、おそらくは名門校の近くへ引っ越していったということだった。

 物件としては、全くこれ以上は無いほど申し分なかった。岬はここを強く勧めた。

 一方もうひとつは、とある奈良市の一等地、条件的にはあり得ない好条件。広い一軒家の借家物件。家賃も安い。

 しかし岬はここの物件の資料を見せられたとき、即座に違和感を覚えた。

 岬は警告した。この物件には何かある。まず、立地のわりには家賃が安すぎる。何か訳アリに違いない。加えて家相がよくない。やめておけ。と両親に強く警告した。

 そう、岬は神道に通じていた。かつて、神職を目指していた時期があり、それに関連したこういった家相の知識なども持ち合わせていた。

 家相とは、大陸伝来の迷信と思われがちだが、本来は、気象、その場所の地形、その他の様々な環境などがもたらす自然の影響などを判断する科学的なものである。

 にもかかわらず、姉の浩子はこの物件、奈良市中心部に近い一等地の方を強く望んだ。浩子は軽薄、軽いのだ。華やかな街中が近い方がいいらしい。こっちの家にしろと言い張る。

 結局、岬の一連の、懸念、助言は無視され、姉の浩子の要求を両親は受け入れた。愚かな親たちであった。

 そして、それはやはり悲劇へとつながることになる。

 カルト教信者

 はじまりは隣に住む団塊世代の老人であった。

 やけに親しげに接近してくる。すでに高齢の母親にやけに馴れ馴れしい。

 ある日などは、いきなり「握手しましょう。」と手を握ってきたという。

 よくもまあ、そんな気持ちの悪いことに応じたりするものだと話を聞いて呆れたのだが、これはまだ序の口だった。

 そのときは一応それきりだったのだ。

 引っ越しからしばらくして、わたしの予言通り、父親が癌を発症した。

 入退院を繰り返すうち、あれよあれよという間に弱っていき、ついにはあっけなく亡くなった。

 やはり、よくない家なのだ。

 悪いことは続くものなのだろう。父親が亡くなって間もなく、例の隣の団塊老人が度々訪れてくるようになった。

 段々、馴れ馴れしくなってきて、しまいにはビールを持ってやってくるようになった。

 年老いた母親目当てである。完全に異常な状態であった。

 そして、事件は起こった。

 なんと、その団塊老人が年寄の母親を襲ったのである。

 最初は耳を疑った。が、どうやら本当のことらしい。

 まあ、家に上げる母親の方にもスキがありすぎるのだが、まさか、年寄を相手に何かしようなどとは思いもよらないのが普通である。

 姉の浩子は無事だった。

 つづく

 

 

 

 

このページの先頭へ