小説「ユートピア」1
下層階級
そこは、いわゆる団地であった。団地という言葉のイメージそのまま。つまり、昭和の頃のニュータウンと言う名の公団住宅。
同じ形をした箱型の3階から4階程度の狭い居住区の集合体。それが、狭苦しく3棟並んで立っている。
さすがに今の時代だから、駐車場は一応用意されてはいるが、とても入居者世帯全部の分はなさそうだ。それでも空いている場所があるということは、まだ帰宅していないのか、はたまた車の所有者が少ないのか。
代わりに自転車が所狭しと置いてある。現代社会ではお決まりの下駄替わりの原付バイクは意外にも少ない。別の見方をすれば、もしかして、原付バイクすら乗れない?ということか。
まあ少なくとも、車の数からも推測できるのは、入居者の多くはそれほど裕福ではない、ということだろう。
この団地では、住民の交通の足は自転車が主力だということだ。そのせいか、自転車置き場はいっぱいで、尚且つ、置き場所はどこでもお構いなしといった感じか。
一棟に4つの入口があり、その狭い入口にはポストが並び、そこから折り返し階段が始まる。
その階段を数段上がったところが一階の部屋になる。ドアが向い合せに二世帯。
入口に並ぶポストは、半数近くが無記名。つまり、表札が無いという状態。そして、「チラシは無用」といったおきまりの張り紙が張ってるものが多い。
つまり、そこは、いわゆる世間に取り残された人たちの住処(すみか)であった。
岬は、今その団地の一号棟の前にいた。まだ日が暮れて間もない夜である。
血のつながらない姉と母親に逢うために。ようやく見つけた場所だった。
再会
岬は養女だった。そして、今日は姉の浩子に会わなければならなかった。
会わなければいけない事態が発生したため、行方不明だった仲の悪い、齢の離れたこの姉を散々苦労してようやく居場所、つまり住所を調べ出し、今ここにいるのだ。
気が重かった。出来れば一生会いたくない姉であった。
心の中では、(この住所にいなければいいのに。)と思う。その可能性も無きにしも非ず。つまり、こんなところに住んでいるということは、相当生活に苦労しているはずだ。
もっと、家賃の安い場所に引っ越している可能性もある。
調べた住所の部屋番号のポストを見る。そして落胆した。
しっかり苗字と、分かれたご亭主の苗字までご丁寧に書いてある。高齢者向けの1階の部屋である。
(ああ、ご亭主と分かれて一体何年経ってるんだよ。前のご亭主はとっくに新しい奥さんと再婚して、別の幸せな人生を送っている。まったく未練たらしいな。ご亭主の苗字・旧姓宛ての郵便なんかもう無いだろうに。)
この姉は、高齢要介護の母親恵子と同居している。
はっきりいえば、この母親の年金で生計を立てているわけだ。
少し緊張ぎみに玄関インターホーンを押す。カメラ付きの意外に最近の機種だ。
休日の日が暮れた宵の口、午後7時くらい。まあ、在宅は間違いない時間。
「はーい。」と返事が聞こえる。
「夜分に恐れ入ります。岬です。」と短く答える。
無言・・・返事は無い。
ああ、やっぱりね。こうなるね。この人とはいつも。
おそらく、インターホーンのカメラでこちらをなめるように観察しているのだろう。
広角レンズだから、見栄えがいいように少し後ろに下がって立つ。
何分経っただろうか、ようやくドアが開いた。
そして、いきなり「何か用?何でいきなり来るねん。」
かなり不機嫌そうに一言。
「すいません。ごめんなさい。電話番号分からなかったものですから。」
(まったく。何年ぶりだよ。そう、五、六年は経ってる。それがこの挨拶かね。まったく、認知症が始まった親連れて、捨て台詞残して出て行ったときそのまま。)
まあ、ここへ来る途中バイクのヘルメットの中で予想していた通りの展開だわ。と思う。
(一体どんな顔するのかな。まあ、上がってお茶でも。なんてことは絶対に無いだろう。「積もる話」もあることだし、なんてこともあり得ない。)
(まあ、ちょうど、帰りは買い物しなくてはいけないから、早く帰れるからその方がいいわね。)
とりあえず、
「あの、・・・お母さまの御加減、いかかですか。」
「悪いよ。それより何なん。これ、いきなり来て。何やの。」
これを何度も繰り返す。
(わたしもあんたの顔なんか見たくもないわい。)
「あのね、あのですね。実はですね。国からお母さま宛てに通知が来まして、家のことなんですけど。」
「家?。ああ、名義は母親のもんやから、あんたそのうち出て行ってもらうから。あの家。」
「ああ、あの家はもう財産的価値はありませんよ。いわゆる0円物件です。」
はっきりギョッとした顔をする。(相変わらず世間知らずだわ。これだからこの様、こんなところに住んでるわけよ、あんた。まったく自業自得。)
そして、本題に入ろうとしたとき「あのね、お母さまとお二人でこちらへ来られては、というお話をさせていただこうとお伺いしたわけです。ここのお家賃も大変でしょうし。」
「そんなん!お金もかかるし、できるわけないわ!」
とすかさず返して来る。まあ、そうでしょうね。その方がこちらもいいんだけれど、と内心思う。
こんなのと同居するなんて、考えただけでぞっとする。
岬はそのときに不意にようやく気がついた。
(この人、一体、・・・どうしたの。まるで老人。皺だらけの顔。それもかなり深い皺。そう、まったく知らないどこかのおばあちゃん。)
きつい口調で、玄関にも入れてもらえず、鉄扉の前で暗かったから気づかなかったが、まるで見知らぬ老人が、あの仲の悪い姉の口調でこちらに話をしている。
それは異様な光景だった。岬はしばし茫然とした。
つづく