学校の指導力不足が露呈の記事

瞳の鬱(うつ)日記

 こんばんわ。瞳です。女性専用車両なんですが、昨日、始発のJR大和路線・王寺駅で発車を待っていると、男性が乗ってくるんですよ。若い眼鏡の男性。連休真ん中の日曜日午後、他の車両もガラガラです。

 わたし、「女性車両です。」と言いまして、車内いたるところに貼ってある女性専用車両のステッカーを指さします。んですが、反応が何か変。分かっていて乗っているような感じ。ツーテンポほど間をおいて、「ああ、」とか言って一応出て行ったんですが、離れたドアからまた入ってくる。車両の端の方へ移動しただけ。他の車両は別段混んでいるわけでもないんですよ。

 わたしの方をチラチラ見ている。(何なのよこいつ?これじゃあなた明らかに挙動不審者だよ。)

 あのね、わたしの読者でわたしと話をしたいなら、変なことしないで話しかけてくればいいのよ。でないと、迷惑防止条例(痴漢など)で捕まるよ。注意しなさいよ。これ、けっこう怖くて人生終わっちゃうよ。

学校の指導力不足

 さて、表題のはなし。Yahooニュース「教科書改訂で露呈した「学校教師のレベル」【塾講師が解説】(3/20(日) 11:31配信)」というのを読みました。塾講師の方が書いておられるんです。わたしの記事でも、学校の教師より、塾講師の方が教え方がうまい。というのはよく書いていることなんですが、この記事の要旨は少しそれとはニュアンスが違います。ので、書きます。

 この講師の方の根本的読み違えを指摘します。学校(の教師)に学力の指導力を望む、期待するのは間違いです。

 記事では(新・学習指導要領で「学校の指導力不足」が露呈)と書いておられます。教科書が変わった2021年から成績が下がったとあります。事実です。

 また少し話が違いますが、先日の大学共通テストでの数学の平均点の低下と、出題傾向の大幅変更。難度の高さなどが問題になりました。

 これも、新、学習指導要領の今後の流れを象徴しているのでしょう。

 が、ですね。新学習指導要領がいう、(これからの時代を生きるための「資質・能力の三つの柱」を育てる)というねらい自体はまったく正論ですが、現場では無理。あっさりいいますよ。

 評価項目が、知識、思考、態度の3点になりました。記事では、学校は(「思考・判断・表現」や「主体的に学習に取り組む態度」などをどのように育成・評価しようとしているのか、見当もつきません。)といっていますが、そんなことできませんよ。

 だって、評価どうするの。そんな抽象的こと数値化して評価なんかできるわけないじゃない。

 この塾講師の方は、(依然として中学校の指導・テストは依然として「暗記中心」)とおっしゃいますが、当然です。それでないと評価なんてできない。この評価というのは入試に直結するわけです。

 結局、それらしい模範解答みたいなものが出てきて、それに沿ったものが高得点ということになるのですが、それでも、採点者である教師の主観が大きく影響せざるを得ない。客観での数値化が難しいというか、実質できない。数値化しなくてはならないのですよ、学校の成績というのは。

 公務員である職業教師は、保護者からのクレームに戦々恐々しなくてはならなくなります。

 学校は、当たり障りのない、内申書を高校に提示するのが最善となるわけで、結局、大手の受験産業の提示する模範解答が頼りなんですよ。入試の傾向を分析して、いわゆる傾向と対策を立てることになります。

 大体、戦後の教育改革というのは、同じことを繰り返しています。老人たちの思い付きに、受験生と現場が振り回されます。

 よく言われるように、今回の共通テストにしても、思考力を受験入試数学に求めてどうするんでしょうかね。数学なんてのは、本当に取り組むと哲学になります。受験レベルでは所詮暗記です。この論には賛否両論がありますが、わたしは受験は暗記だと思っています。ひたすら解法を暗記するのです。

 大学入試の例でいえば、受験時間の内で数学理論を考えて解法、解答に至るなんてことは実際あり得ないし、そんなことしていたら、たちまち時間切れですよ。もし、受験でこれやったらZ会の秀才でも時間切れでアウトです。

 数学を本当に学ぶのは、極論、大学院に行ってからです。それが現実じゃないですか。

 これ、また加筆追加します。

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