学校には、中立性・独立性が必要です!

瞳の鬱(うつ)日記

 この写真なんですが、岩見沢駅です。隣接する役場の建物。暖かいいい場所。でも今は真冬の氷点下の世界なんだろうな。豪雪地帯です。北海道は、暖房がしっかりしているので、ここから雪景色を眺めるのも、もしかしたらいいかも。お金と時間と体力があれば行きたいな。

 学校が地域と何を連携するの?

 わたしが常々、問題視しているこの「地域との連携」とう言葉、そもそもどこから発生しているのか、なんですが、例の中教審です。中教審のジジイ連中が犯人です。

 引用元は長いので飛ばして下さい。念のため記述しますが。

 引用元:文科省のホームページ(https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1365991.htm#:~:text=%E6%95%99%E8%82%B2%E8%AA%B2%E7%A8%8B%E3%81%AE%E5%AE%9F%E6%96%BD%E3%81%AB%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%A6,%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82)

 

中教審の答申 初等中等教育分科会(第103回)の答申案の第一章
(第1章 時代の変化に伴う学校と地域の在り方について 第1節 教育改革,地方創生等の動向から見る学校と地域の連携・協働の必要性)

 の(3)教育改革,地方創生等の動向の3.「教育課程の実施に当たって,地域の人的・物的資源を活用したり,放課後や土曜日等を活用した社会教育との連携を図ったりし,学校教育を学校内に閉じずに,その目指すところを社会と共有・連携しながら実現させること。

 というあたり。

 この文言が曲者。

 もとは、これに至る根拠は、「膨大な情報から何が重要かを主体的に判断し,自ら問いを立ててその解決を目指し,~」というのが目的らしいのですが、地域の老人やらと田植え体験や、シーズンを通した稲作経験。餅つきしたりすることではないと思います。

 そんなことしたって、主体的な学びは実現するわけがありません。郷土愛は重要ですが、学びの一つに過ぎません。

 完全に、本来の目的、主体的な学びから逸脱しています。

 餅つき体験とか、本来は、ボランティアが子供会でやるべきことです。学校が関与してはいけません。教師の負担は莫大なものになります。

 初等中等の公教育機関は、大学と同じく中立で独立している必要があります。これを実際の長い勤務経験で痛感します。

 子供のためです。子供のためである教育を、地域の圧力団体などの利益に利用されたりするようなことはあってはなりません。

 し、保護者ならまだしも、地域の暇人、変人の苦情処理で本来の教育業務に支障が出るようなことが実際に起こっていますし、こういったことも改善してなくてはなりません。

 すなわち、採用されたばかりの20代の若い教師に、いい年した親が愚痴やら相談やらで放課後何時間も夜遅くまで相談したり、ゴミ屋敷に近い問題家庭に訪問したりして、いろいろケースワーカーのようなことをするべきではないわけです。

 わたしが最初に赴任した校区では、「教育」をもじった「今日・行く」(きょういく)という教師の「心得」がありました。これは、「教師たるもの、子どものためなら、子どもの家庭にすぐに出向く。」のが当然である。という意味です。

 これ、一見もっともなことを言っているようですが、実は、「保護者様は絶対である。」という意味です。

 保護者様から何かご要望が来る前に、また、来たならば、すぐにご家庭に出向け。ということです。

 完全にサービス業なんですよ。小中学校というのは。

 それに加えて、地域の様々な圧力が加わるというのは、教師が精神的に疲弊するのが当たり前なわけです。

 学校というものは、本来の教育というものから逸脱するようなことがあってはなりません。

 学校の職務と業務範囲を明確にし、地域からは、中立であり、かつ独立するべきであると考えます。

 これらは、今現在の問題である、教師の過剰労働問題とも関係していることです。

 極論、東大の近くに住んでいるから、東大の教員、職員に相談して、東大に入れてもらう。とかいうようなことが、小中学校では常識になってしまっているのです。

 

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