世界のくにから・・・来んな!(来るな!)
こんばんわ。瞳の鬱(うつ)日記です。
昨日になりましたが、行動美術の先生の個展に行ってきました。
奈良市の『アートスペース上三条』というところ、大変いい画廊です。
昨日はその奈良と正反対の方角、大阪梅田の病院へ通院の日でした。先生の個展は日曜まで。
今、奈良では『正倉院展』という罰当たりな、恐れ多い恒例の展覧が行われており、土日はそれはそれは・・・特に昨今のインバウンドも含めて奈良市は恐ろしいことになることになることが予測されますので、大阪駅から環状線・新今宮までは女性専用車両に乗って、そこからは女性専用車両の無い恐怖の大和路快速に乗って奈良に直行しました。
地方の方、意外に電車を間違わなければ大阪と奈良は近いんです。1時間かかりません。大阪から快速に乗るなら40分もかからないかな。
まあ、幸い、大和路快速も客は少なくて、助かりました。おっさん連中やジジイ連中と3m以上の距離が確保できました。
まあ、そこまではよかった。
JR奈良駅からのバスが地獄
これ、市内循環に乗ったのが間違いだった(黄色のカラーマーク)。外人でぎゅうぎゅう詰め。
最初は空いていた。バスがやってきてわたしが乗った時はまだ。でもいつもと違ってなかなか発車しない。客待ちらしい。(早く出せよな。)と思ってたら。
外人が次々乗ってくる。本当に次々乗ってくる。何十人団体単位。店員オーバー。わたし、もうイコカで決算してしまってるから降りられない。これじゃ、教育大方面のその他のバスに乗るべきだった。
*注意:他府県の方は、「山村町行き」、「佐保短期大学行き」、「鹿野園(ろくやお)行き」、「藤原台行き」とかに乗ることをお勧めします。これらはちゃんと国立博物館も東大寺も経由します。
で、外人連中なんですが、とにかくうるさい。臭い。鬱陶しい。
うるさいのは、白人系かな、南欧の肌色だけど、例のトルコ人みたいな顔してる。あいつら決まって肥満体で大家族。あとから乗ってきた団体の中国人の方が静かだったくらい。たしか韓国人ではなかった。まあ、最近の外人は白人のヨーロッパ系、アメリカ系もかなり酷い。
まあ、変な風邪流行り出してるし、怖いし苦痛。病院帰りだし、死にそう。マジで。わずかJRの奈良から近鉄奈良駅までだったんだけれど、これで、この日のエネルギー使い果たした。
爆発寸前。「Quiet! Follow the Japanese rules.(やかましい!だまれ!ここは日本だ!)」とバスを降りたときに怒鳴ってやろうかとおもっていたら、バス停の係員が不審そうに私を見ていたので止めました。が、東通り商店街、餅飯殿商店街を歩いているときは、もう、「どけ、阿保!帰れ中国人!」と日本語で言いまくり。でも相手は見向きもしない。欧米人も日本人なんてはなから眼中に無い。「Go Back to your country.」と大声で言いながら歩いていましたが。見向きもしない。反応もしない。とにかくこいつら邪魔。
まあ、日本人がわたしを観たら、完全にわたしもいかれてるだろうな。
平日、金曜日でこの有様だ。土日に行ったらどうなっていたことやら。
『世界の国からこんにちは』三波春夫
記録フィルム観るとですね。あの70年万博。有名な歌があるんですよ。
『世界の国からこんにちは』三波春夫
「こんにちは こんにちは 西のくにから
こんにちは こんにちは 東のくにから
こんにちは こんにちは 世界のひとが
こんにちは こんにちは さくらの国で
1970年の こんに~ち~は~
握手をし~よ~う」
(作詞:島田陽子・詩人の方 作曲:中村八大 編曲:福島正二)
信じられる・・・・・?。一体ナニコレ。
それでね、この70年大阪万博の後にも『大阪花と緑の博覧会(略して「花の万博」・「花博」)1990年(平成2年)4月1日から9月30日』というのもあったんです。
伊丹空港から東京羽田方面へ飛行機で飛ぶとき、富士山の見える反対側の席に座ると(日光が入らない)、今でも会場跡が見えます。今はもう、きれいな公園になってるんだけれど、幽霊が出るとかいろいろあります。
この花博開催時、今は亡き上岡龍太郎さん(大阪の人)が、当時、テレビで言ったことなんです。とてもいいこと言われたんですよ。名言。
夏の猛暑(当時の記録的猛暑で今よりははるかにまし)人出がやや落ち着いた頃。
司会をなさっておられたのかな、古いビデオテープ。最初おだやかににこやかに「これから暑さも落ち着くと思います。でね。全国のみなさん。また、これから「花博」に来られようと思っておられる方も多いと思います。
でね、これから花博来ようと思っているひとたちに、わたし、ぜひ、お伝えしたいことがあります。・・・・・
『お前ら!こっち(大阪へ)来んな(来るな)。ボケ!お前ら来たら混むんじゃ!こっちは迷惑なんじゃ!』」(一種のオチなんですけど。切れ味いい。そのままやん。)
いや、まさに名言。上岡さんは偉大だった。
これが、今現在の、日本における観光産業以外の一般の人たちの正直な感想、実感よ。
肝心な絵のはなし
でね。わたし、フラフラになりながら、心身疲労限界状態で、ようやく画廊にたどり着いたわけですよ。
(ああ、これでやっと今日の予定終了。)
絵が凄かった
個展というと、手ぶらでいくのも恐縮だし、話がもつかも心配だし。いろいろいつも気をつかうんですけど。
最初の一枚一目見たときから、疲れぶっ飛び。(こりゃ凄い。)お世辞じゃないですよ。こういうことは滅多に無い。他の大先生の場合とかだと、個展でも、いつものと同じの絵で、何か言わなきゃ、とかいろいろ大変。
でね、いつも委員クラスの偉い先生の個展に呼ばれたときは、「先生の絵は、心が癒されます。とか心に響きます。」とか決まり文句を言います。まあ、そうすると、後は向こうが絵の解説をしてくれるので何とか間がもつんですけど、まあいつもの個展訪問というのは基本気を使います。
でも、昨日は違った。この先生、凄い。この先生の過去の作品観るの初めて。わたしがいつもいう構成力が桁違いの本当の腕達者。さすが、行動美術の会員。亡くなった師匠に見せたい。(師匠!師匠の絵に迫っているよこの先生。)
で、さらにたまげたこと。先客がおられたんですよ。男性の方。てっきりわたし、行動美術の方だと思っていました。その方マスクしてました。
わたしもマスクしてました。
だから、そのときは分からなかった。実はこの男性。二紀会奈良支部の四天王のおひとりだった。
この男性が帰ってから、今の人二紀会の人だったと聞かされて、わたしびっくり。「え~!誰?分からなかった。」と記名簿みると、なんとお互い知ってる方ではないですか。
この先生、実は、我が師匠の奥義を獲得しておられます。いい意味で盗んだんです。教えられたわけでもなく。だから相当な腕達者です。それでわたし、この先生を奈良支部の四天王と呼んでいるわけ。二紀会奈良支部にはちょうど4人の腕達者がおられまして、まさに四天王。
この個展におられたのは偶然なのか、はたまた行動美術の腕達者と承知だったのか。いずれにしても、わたしと同様に、この個展の先生の絵には見るべきものありといった感じでした。
まあ、個展は大収穫でした。