不定期連載小説6
初デート
瞳はその日の昼間の出来事が、頭から離れなかった。
この店・瞳の生家『成海屋(なるみや)』の主人であり、そして父である成海 徳二(とくじ)からの瞳への突然の申し出。
「それでな、瞳。・・・お前もうちの養女になって。つまりな、次朗と夫婦になってあの子の母親になってくれる気はないかね。」
あれから、あの子はそのまま夕方まで遊びながら店にいた。その間もお客は次々やってきたが、その子を見ても、特に違和感を感じてはいないようだった。つまり、この店の子が、この日はたまたま店先に出ているだけなんだろう、と思っていたというところか。
夕方近くになって、トメさんと夕飯の支度を始めると、トメさんがその子に言う。
「壮ちゃん、今日はここで夕飯、食べていくかい。」
その子の名前は壮(そう)というらしい。
「ううん。ばあちゃんが待ってるの。ばあちゃんがおなか空かしていると可哀そうだから。」
「うん、そりゃあそうだね。いつもと同じにお鉢にご飯入れたげるから、持っておいき。」
その子は昼過ぎからこの店にいた。粘土遊びの後、瞳はおなかが空いただろうと、おにぎりをつくってやって、二人で店の土間の賄い場(まかないば)で軽く一緒にご飯を食べている。
だからいつものように、おなかペコペコというわけではないわけだ。祖母の心配をしているところがいじらしい。
壮がいつも通りの鉢入りの大盛ご飯を持って、祖母の元へ帰るのと入れ替わりに兄貴が帰宅してきた。
兄貴、つまり叔父の次朗が帰宅して、店の者全員での夕飯となった。使用人のトメさんと瞳も賄い場ではなくて、家族と同様に座敷に上がって一緒に夕食をとるのがこの店の習慣になっていた。
瞳は、落ち着かない。これが、「ご飯ものどを通らない。」というところか。
兄貴は、そんな瞳の様子にはすぐに気づいていた。しかし、その理由はまだ知らない。
店の主人・父、徳二は次朗にはまだこの話はしていないと言っていた。
兄貴でも、この話を聞いたなら、さすがの兄貴でもさぞかし仰天することだろう。
叔父と姪の結婚だなんて、・・・聞いたことも無い。
おまけに、わたしはいきなりあの男の子の母親だ。
「まあ、返事は今すぐというわけにもいくまい。ゆっくり考えておいておくれ。」と徳二は言った。
さらに、「実はな、この話は女房も乗る気なんだよ。わたしが、最初にこの話を女房にしたら、女房も同じことを考えていたらしい。」
女房とは、この店のおかみさんのことである。瞳の実の母。岬(みさき)のことである。
母さんも賛成だって、・・・言われても。困ったことになったもんだわ。と瞳は思う。
そんなことがあってからその週の日曜日。
日曜は商店にとっては稼ぎ時である。瞳は朝から客との対応など、店の仕事で大忙しだった。
夕方に店を閉めてほっとしていると、二階から兄貴が降りてきた。
「ねえ、瞳さん。これから少し出かけないか。」
「もう、外暗いですよ。次朗さん。どこ行くんですか。」
「まあ、二人で少し散歩でもしようと思ってね。」
「散歩?」
そうか、兄貴は役所の職員で日曜が休みなわけだ。わたしたち商売人は水曜が休みなわけだ。こりゃ、合わないわな。
それにしても、またこの堅物変人兄貴がわたしと一緒に散歩って・・・。
近くの平安神宮の大鳥居の近くに、白川筋という小川に沿う細い道がある。京都の宵の街並み、落ち着いた街の中を小川が流れる。小川のせせらぎ。ゆっくり水が流れる。落ち着いた川のせせらぎのなか、二人はゆっくり歩く。
二人は、その道をゆっくり歩きながら平安神宮の方へ歩いている。
「この前、あの子が来ていてさ。君、粘土練りしてただろ。」
「うん。それが何。」
二人きりだとむかしの兄貴との会話になる。使用人としての口調は自然に消える。
「あれ、運がよかったんだぜ。あの子が来てくれたおかげで瞳、自分が助かったのが分かる。」
「何が。」
「だからさ、君、粘土の質が酷過ぎて、菊練り(きくねり)まではできなかったろ。」
「うん。あれ、あの粘土一体なんなの。全然使いものになんないよ。」
「まあ、今はどこも職人がいないしね。粘土の製造元でもねそれはいっしょさ。あの粘土はただ掘った土を持ってきているだけだからな。」
「だから、・・・菊練りできなかったのがどうしていいのよ。」
「分からないのか。あのとき、もし瞳が菊練りやってるのを、ご両親やトメさんに見られてたらどうなる。」
「あ!そうか。・・・我ながら迂闊だった。・・・ばれちゃうね。」
菊練りは、全くの素人にはできない。ある程度の陶芸の経験が必要なのだ。
まして、瞳は相当幼いころから粘土練りを仕込まれている。仕上がった菊練りの粘土を見たら、その「練りあがり粘土」の素人離れがばればれなわけである。
そういえば、トメさんが言ってたことを思い出した。
「ああ、桶に水張って粘土造ってたのは瞳ちゃんだったのかい。てっきりご主人が仕入れた粘土の質を調べようとしてたんだと思ってたよ。」
ああ、あれもやばかったな。粘土の扱いに慣れてると思われるところだった。
あのときは、「え!ああ、そうなんです。適当に水につけとけば柔らかくなるかな、と思って。」と、誤魔化したのだった。
やがて小道を抜けると広い大通りに出る。ふたりは大鳥居の方へ向かう。
まるで、何か・・・こういうのは、初めてだなと瞳は思う。
「あのさ、兄貴。ちょっと聞いていい。」
「ああ、何だ。」
「どうして、兄貴結婚しないの。いい人いっぱい寄ってくるでしょ。」
「寄ってなんか来ないさ。だいたい自分から言い寄ってくる女なんてろくなもんじゃない。」
「でもさ。まんざらでもないって人いなかったの。今まで。」
「う~ん。どうかな。分からない。」
「兄貴、本当はさ。言い寄って来なくても。自分に想いを寄せてる人とかがさ、いてもさ、分かってたんじゃない。」
「・・・まあね。いたかもね。」
「何よそれ。」
「・・・・・」
「どうして黙ってるのよ。」
「俺には、心に決めた人がいるんだよ。」
「え!、本当!誰よそれ。教えてよ。」
「・・・・・」
「もしかして、わたしが知っている人?」
「・・・まあね。」
「誰よそれ。教えてよ。誰にも言わないからさ。」
「・・・瞳だよ。」
瞳は一瞬あのときの徳二の言葉を思い出してドキリとする。
「・・・・何よそれ。冗談よしてよ。」
「ああ、冗談さ。気にするな。でもさ、言ってたじゃないか。いつも。小さい頃。」
「何を?、わたしが言ってたってこと?、何て言ってたの?」
「瞳は、おにいちゃんのお嫁さんになるんだ。って。忘れたのか。」
「何だよそれ。ふざけないでよ。」
そのまま、二人は黙って歩き続けた。
月が出ていた。
続く。