不定期連載小説2

 兄さん、との再会だった。

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成海瞳の鬱(うつ)日記

 まさか、あの電話の相手が兄さんだったとは。

 お互い全く気付かなかった。

 今、こうして実際に再会しても、わたしが姪の瞳だとはさすがの兄貴でも気が付かない様子だ。

 そうだった、叔父・つまりこの兄さんのことをいつのまにか兄貴と呼ぶようになっていた。

 もしかしたら、上手くいくのかな。わたしのこの一風変わった「里帰り作戦」。

 それにしても、兄貴、まだ、独身なのか。三十半ばといっても、もうすぐ四十だ。相変わらず変わり者というか堅物だな。もしかしたら、一生独り身を決めてるのかもしれない。

 トメさん

 すぐに部屋が割り与えられてカバン一つの荷物を置いて一休みすると、さっそく娘のわたしは使用人としての生活を始めることになった。

 店からは、いや、母からは、とりあえず炊事や掃除、洗濯などのいわゆる家事仕事を割り当てられることを告げられた。

 客足の少ない今日の午後に里帰りの訪問して、早々とその日の夕餉の支度から使用人・女中としての仕事が始まった。

 勝手知ったる土間の炊事場。久しぶりである。大きい流し場。当時としてはモダンなタイル張りで清潔に保たれている。水道も生きている。

 ここの地域、京都は、なぜか空襲を免れた。おかげで、母屋やほとんどのものは戦前とそれほど変わりないようだ。 

 戦前。かつてこの店は、陶芸職人が、住み込み、通いも合わせて、十人くらいはいたと覚えている。
それらの食事などの支度、世話などで店には、お手伝いの女中さんたちが四人もいた。
 いわゆる大店(おおだな)だった。
 でも、戦争に職人たちはかり出され、生きて帰ったものもいたのだろうが、今は、店には女中頭のトメさん以外には使用人はいない。

 この店の、古参の女中頭のおばさんだ。名前はトメ。歳はもう六十をとうに過ぎようかというところ。そのトメさんと、今仕事をしている自分がいる。
 わたしがまだ、この家で物心ついた頃にはもういた女中さんだ。でもやはり、今わたしが瞳だとは気づかない様子。だけれど、やっぱりいつ気づかれないかと気が気じゃない。
 

 やれやれ、初日からこれじゃ、神経持たないわ。

 でもわたし、そんなにやっぱり変わったのかな。いや、変わっていないのかな。変な話だ。

 変わっていなければ、家を飛び出したときのわたしそのままのはずだ。だから気づくのがふつうなのだけれど、逆にそのことがわたしが家を飛び出した娘の瞳だとは思いもよらないらしい。

 そう、わたしは齢をとっていないんだ。少なくとも見かけ上のことではあるけど。

 これは、自分でも不思議なことだった。
 母方の遺伝なのか、父方の遺伝なのか。今日、二人に久方ぶりに再開した時は、両親ともに若くはあった。でも、よくいる程度の若見えする程度だ。
 わたしの場合は、完全に特異体質だ。いつぞや「二十代ですか。」なんて言われてびっくりしたことがある。最初は見え透いたお世辞だろうと思った。でも、こういうことが今でもときどきある。自分では鏡を見てもそういうことは全く分からない。
 おそらく、多分母方の何代か昔からの特異体質の隔世遺伝なんだろう。

 そんなことを思いながら、さっそくそのおばさん、トメさんとの仕事が始まった。仕事を始めた初日から、食事の後の食器洗いのとき、さっそくトメさんとの会話のやり取りになった。昔から、おしゃべりで気のいい、明るい気さくなおばさんだ。何かと幼い頃から可愛がってもらった記憶がよみがえる。

「そうなの。あんた瞳ちゃんって名前なのかい。苗字は変わっているけど。」
「ええ、そうなんです。いつも苗字のことは人に言われます。」
「○○瞳ちゃんていうんだね、実はね、ここのお店にはあんたと同じ名前の瞳って娘さんがいたんだよ。」

 いきなりだ。かなりやばいなこれ。もしかして、やっぱりバレたのかな。
 

 「ええ!そうだったんですか。お店のご主人、おかみさんは全然そんなこと教えて下さいませんでした。」とにかく必死につくろうしかない。

 「でもね。その娘さん。十八か十九になろうかどうかってときに駆け落ちしちまったんだよ。若い兵隊さんとね。」
 
 「そりゃもう、そりゃお二人とも、娘さんが心配で気がかりで今でも大変なんだよ。」

 「音信不通なんですか。」
  
 「そうなんだよ。なんでも風のうわさで、兵隊のご主人が戦死したとか聞いたもんだから、ずうっとこれまで、人を使って娘さんの行方を探してるんだ。」

 両親が。・・・

 知らなかった。そんなこと。そうか、わたしのこと、探していたのか。

 「どんな娘さんだったんですか。」


 驚いたけど、話をとりあえずあわせていくしかない。

 「ああ・・・、そういえばあんた似てるよ。ここの娘さんの瞳さんに。」

 ドキリとする。そりゃそうだ。本人だもの。

 「へええ、・・・そうなんですか。」うろたえながらも、こう言うしかない。

 

 「でもね、そうだね。今頃は歳の頃ならもう三十路中頃いくかどうかかね。さぞかし苦労してるんだろうよ。今。」
 

 「そうでしょうね。分かります。わたしと同じ境遇ですもの。」

 「でも、言っちゃなんだけど、あんたまだまだ若いからいいよ。ああ、ごめんよ。こんなこと言ったらなんだけど、まだ三十路前なんだから、またいい旦那さん見つけてやり直せばいいんだよ。亡くなった旦那さんのことは辛いだろうけど忘れた方がいい。」

 若い?、ああ、わたしをまだ、二十代だと思ってる?。というより、はなから二十代だと決めつけている。

 そういえば、母からも父からも再開以来、齢は聞かれていない。

 みんな、わたしがその三十路中頃の娘さんと同じ齢だと知ったら、さぞかし驚くんだろうな。歳は同じなんだ。

 何せ、わたしがその娘さんなんだから。

 戦争孤児

 どうにかこうにか、そうやって数日が過ぎた。

 そんなある日、夕方にその事件が起こった。

 その男の子は、表通りに面した窓から店の中に叫んでいた。歳の頃は八つか九つくらい。
 その窓というのも、明かり取りのための高い位置にある小さな窓である。ちょうど蔵にあるような窓。
 高さも六尺(約1.8m)はあろうかという高い窓に、その子は、わざわざ壁によじ登って窓から叫んでいるのである。漆喰塗り外壁の下半分に張ってある焼杉の鎧板(よろいいた)に器用に草履で足先をかけている。

「飯くれ!腹減った!」と、それだけを大声で何度も叫んでいる。

 やっている事の意味がわからない。何か用があるのなら、ふつうは店の入り口から入って言えばいいことだし、叫んでいる事の内容も、まるで意味がわからない。
 なんでこの店に、飯を食わせろ、と言ってくるのか。
 しかし、驚いているわたしの横で、とめさんは、別に驚いている様子もなく、「ああ、来たのかい。ちょうど今ご飯が炊き上がったところたよ。待っといで、いまあげるからね。」

 そういえば、私を含めても6人ばかりの世帯にしては、炊く米の量が多いなとは思っていた。

 つまり、この子の分もあらかじめ用意していたわけだ。

 トメさんは、大きなすり鉢を大きな水屋(みずや・食器棚)から取り出して、炊き立てのご飯を山盛りに盛った。その上に窪みをつくって、漬物やノリ、卵の黄身をのっけて醤油をかける。おまけに箸を4本突き立てた。

 わたしは呆れてびっくり。何これ。

 いくらなんでも量が多すぎる。ふつうはいくら大食いでも丼盛だろうに。

 すると、叫んでいた男の子が今度はちゃんと店の入口から入ってきて、トメさんが盛ってくれたそのすり鉢大盛ご飯を取り上げるように受け取ると、礼をするようにぴょこんと頭を下げる。そして、何も言わずに急いで走って店を出て行った。

 わたしは、ただ茫然としているだけ。

 するとトメさんがそっと言った。

 「あの子は空襲で家族からはぐれてしまったのさ。だから、こうして飯をもらいに来るんだよ。時々というか、まあ、ほとんど毎日だね。」

 「でも、・・・」わたしが言葉を失ってると。

 「ああ、分からないよね。事情が。」

 「あの子、どうやって生活してるんですか。着物はけっこう綺麗なちゃんとしたものだったし、履物もちゃんとしてた。」

 「そうなんだよ。着物はね、この通りの、ほら『りんどう屋』って呉服屋さんがあるだろ。あそこが面倒みている。着替えとか洗濯とかもしてやってる。履物も、『山本商店』が面倒みている。」

 「へえー、そうなんですか。でも・・・」

 「どうしてって言うんだろ。もう三月(みつき)くらいになるかね。こういうのは。最初はうちの店でも驚いたけど、じきに事情は分かるからご飯を食わせてやったんだよ。それが始まりかな。」

 「りんどう屋さんとか他のお店でも?。」

 「ああ、そうなんだよ。あの子の面倒は、成り行きでこの通りの店がそれぞれ担当している感じだね。そうなっちまんたんだよ。」

 なんだかにわかには信じられないというか、こんがらがってくる話である。

 「しかし、こんなことずうっと続けるわけにはいかないでしょ。多分、他の孤児とか下手したら浮浪者とかもよってくるんじゃないですか。そのうち。」

 「そりゃそうさ、いまどき家の無い子は山ほどいるからね。じきに噂を聞きつけるかして集まってくるだろうね。」

 「どうするんですか。そうなったら。それにあの子、さっき、どこへ行ったんですか。」

 「ああ、どうやらここら辺に遠縁の身内、多分祖父母のどちらかと同居しているらしいという噂だよ。」

 「成程、まるっきりの家なき子じゃないわけだ。ああ、そうか、それで、あんなにたくさんご飯あげたんですね。」

 「そうさ、少なくとも二人分、しかも、一日は食いだめできるくらいの量はね。」

 「お店の旦那さんたちはご存じなんですか。」

 「そりゃそうさ、こんなこと、物の無いご時世にわたしが勝手にできることじゃない。」

 「そうですよね。でも、気前が良すぎるのでは。それにあの子、なんだか様子が変。」

 「わたしもそう思うよ。でも実は、これは旦那さんの指示なんだよ。」

 「ええ!本当なんですか。何でそんなこと。」

 そのとき、不意に声がした。兄貴だった。

 「兄さん(店の主人・父のこと)はね、あの子を丁稚(でっち)に取ろうかとか思っているらしい。」

 「丁稚?」わたしは思わず聞き返す。

 「あの子は変わっているけど、実は頭はいい。変なのは、戦争で家族を失ったせいだろう。今は自分でも何をしているかがよく分からないのだろう。ああ、これは僕の分析。本で読んだことがあるんだ。」

 あの子が頭がいい。今は空襲で少し気が変になっているだけ。・・・?

 「そんなことって、あるんですか。」

 「ああ、あるよ。馬鹿に見えるけど、あの子の行動にはちゃんと理由があるんだ。」

 「理由?」

 「うん。そうだな。たとえば、窓から大声で叫んでたろ。あれ、君驚いてたね。」

 「ええ、あれは何をしてたんでしょう。なんでわざわざ危ない高い窓に上るんだろう。って思いました。」

 「あれはね。彼なりに気を遣(つか)っているんだよ。」

 「気をつかう、って。」

 「つまりね。お店にお客がいるかどうかを窓から観てるんだよ。少なくとも、あの行動の最初のきっかけはそうだったんだ。それが、今の習慣になっている。」

 「お客がいるかどうか。がどうして。」

 「だからさ、お客がいるときに、自分のような最初の頃の薄汚い身なりの子供が店に入ったりしたら迷惑をかけるだろう。とうのが分かるんだよ。あの齢で。」

 成程そうだったのか。と思った。

続く

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

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