不定期連載小説1

かけおち

 かけおち

 気にかけたこともなかったが、あらためてみてみると、大きな店構えだった。
 不思議と懐かしいとかいった感情は湧かない。まるで、昨日までここにいたかのようだ。瞳は今、十数年かぶりに自分の生まれ育った生家の前にいた。
 昼過ぎ。店は、広い通りに面してはいるが、いわゆる老舗の呉服屋とかとはまた違う。三角の合掌造りの屋根の高い建物で、それでいて、白い漆喰塗りの大きな酒蔵のような造りだ。
 扱う品は、今は雑貨屋に近いが、戦前は主に陶器、磁器などのいわゆる「焼き物」を扱う店だった。店の奥には焼き物を造るためのおおきな「陶窯(とうよう)」・焼釜がある。それでこのような店の造りになっているようだ。
 店の前は人通りも多く、まだ戦後まもなく道の舗装はされてはいないが、木の電柱がズラリと遠くまで続いている。
 店のほうもそれなりに繁盛はしているようだ。

 瞳は、数日前の電話の会話を思い出す。
 相手は、役場の生活保護担当者。
 「そうですか、お気の毒です。さぞかし今まで大変なご苦労なさってこられたと思います。」若い男性の声。
 瞳は、思う。今までのひとたちとはだいぶ違う。きっとやさしい性格なんだな。でも、多分、わたしを助けることはできない。

 「亡くなったご主人との婚姻届は、お出しになっておられますか。」

 「それが、実は、出していないんです。駆け落ちだったものですから。」

 家族に居場所を知られるのが嫌で、届は出していなかった。つまり、籍は無い。

 相手の担当者のため息が聞こえたかのような錯覚を覚える。

 しばらくの沈黙。おそらく、数秒だろう。でも、それが、答えなのも分かる。
 今まで他の相談窓口で何度も素っ気なく聞かされたいつもの言葉、どこでもあっさり、「遺族補償金は無理です。出来ません。」冷たく言われる門前払いが常だった。


 多分、今回もそう言われるのが分かる。でも、今回は違った。相手は申し訳なさそうに、

 「遺族補償金は、難しいですね。」

 今までとは違った。優しい感じの物言い。そして、

 「むずかしいご苗字ですね。ご主人のご苗字ですね。どういう漢字で書くんですか。」

 いきなり意外なことを聞いてくる。こちらの落胆を思いやっての気使いだろう。

 「ああ、えっと、○○の〇と○○の〇で○○と読みます。」

 「へえー、成程。わたしは、まだそういったご苗字、聞いたことがありませんでした。」

 そしてまた、しばらくの沈黙。

 そして、「あのー、この件なんですけど、これは、多分、どこでも今まで散々言われてきたとは思うんですけど。」と前置き。

 「どこか、ご実家に帰られるとか、頼れる親戚とか・・・お心当たりは無いんですか。」

 ああ、そうなのよ。いつもこれ言われるんだ。でも、ずいぶん優しいんだ。この人。

 「ええ、実家があるんですけど、なにぶん、飛び出した身ですから。」

 「お気持ちは分かります。でも、ご実家の方は、あなたを冷たく追い返したりはしないと思いますよ。」

 「・・・・・ええ。多分。」そう答えるしかない。

 おそらく、両親も兄弟もまだ健在だとは思う。今見ている店の繁盛がそれを物語っている。

 「どうも、ご面倒おかけしました。参考にさせていただきます。」

 「ぜひ、考えてみてください。どうか勇気をもって。」

 心底、親切な人なんだな。お礼を何度も言って、電話を切る。

他人になろう

 瞳は、勇気を出して店に入る。かつての、というか自分の実家だ。

 店の中は、以前とはずいぶん変わっていた。完全に雑貨屋だ。やかんやら、箒やら、鍋やら、生活道具が片っ端から並べてある。吊るしてある。

 もちろん、陶器もあるが、戦前のときのような、上品で高級な抹茶茶碗や茶道具は片隅に追いやられている。戦後のこのご時世、のんびり茶道なんてやっている名家や家は無いのだろう。

 広い大きな土間の片隅に、陶器用の粘土や、練り台、手回しろくろが置かれている。やっぱり一応はまだ陶器、焼き物は造っているのだろう。でも、職人は見かけない。

 「いらっしゃい。」

 お店の使用人ではない。まぎれも無い母だ。少し老けたかなとは思うがほとんど変わらない。

 わたし、瞳はやはり緊張してこわばってしまう。

 でも、ある程度の予測があった。つまり、自分が瞳だとは分かるまい。という予測。

 

 家を駆け落ちで飛び出したのが十代だった。それから十数年。

 ある町で、偶然、かつての女友達を見かけたことがある。別に親友というわけでもないが、一応高校の同級生だ。

 声をかけてみた。でも、相手はきょとんとしている。(あれ、何なの。わたしのこと忘れたのかな。)

 「えーっと、失礼ですけど。どなたでしたっけ。」相手の中年の女性。中年になってしまった同級生だ。

 (うっそー。わたしだよ。分かんないの。やっぱりわたしも顔変わったのかな。)

 いや、むしろ、実年齢よりずうっと若く見られることの方が多い。

 「あ、ごめんなさい。人違いでした。」

 そう言うしかなかった。意外な気がした。

 そうか、人の顔は変わるんだ。いや、変わらないから分からなかったのか。こういうことがあるなんて知らなかった。多分、体質かな。わたし齢を取らないのか。まさか、でも少なくとも見かけだけの話だけど。

 そんなこともあった。だから、かけてみた。他人になること、なりきることを。もしかしたら、家族でもわたしが瞳だと分からないかも。

 使用人

 「あの、すいません。客じゃないんです。」

 店のひと、つまり母は一瞬怪訝そうな顔をして、「あの、何かの用ですか。」

 「お願いなんですけど、わたし、戦争未亡人で、このお店で使っていただけないでしょうか。」

 「あら、お気の毒なこと。可哀そうにね。・・・」

 ここまで、全然わたしが瞳だとは気づいていない。この状況やっぱり信じられない。

 母はしばらく考えて、「そうね。主人と相談してみますから、そこの土間の上がり框(あがりかまち)に座っていて待って下さいな。」

 「あ、はい。ありがとうございます。」

 やがて、店の主人である父が奥からやってきた。父も変わっていない。これは、血筋だな。と思う。

 「あんた、何できるの?」

 これまた、わたしが瞳だと分からないらしい。

 「ああ、そうだ、その前に、名前なんていうの。」

 やばいな、と思いながら思い切って本名。「○○瞳と申します。」実の娘と同じ名前なんだけれど、べつに珍しい名前でもないせいか、まったく顔色も変えない。でも、娘の瞳のことは思い出してしまっているだろう。二人とも。

 しかし、目の前の女が、自分たちの娘の瞳とは気づいてはいないのか。確信はまだもてない。

 「苗字、変わってるね。どんな漢字書くの。」

 「ああ、あの○○の〇は○○の〇で、えっと、○○の〇と○○の〇で○○と読みます。」と例の役場の人に説明したのと同じことを言う。

 そうか、苗字でだいぶ助かってるな。

 「ふーん。苦労してきているみたいだね。ちょうどいい。今、戦後復興で忙しいんだよ。家で住み込みしてもらおうか。」

 「ありがとう、ございます。」

 なんか、ここまで嘘みたい。本当にわたしのこと、分かんないのかな。もしかしたら芝居してるのかも。

 そこへ、不意に声がした。

 「あれ!電話の人ですか。確か珍しい苗字の○○さん、だっけ。」

 土間にある吹き抜けの2階の廊下から、30代半ばくらいの男性が階段を下りてくる。

 (あ!兄さん。)兄さんというけど、兄ではなくて、齢の近い叔父で、わたしは小さいときからお兄ちゃんとか兄さんとか呼んでいた。

 「ああ、役場のあの係の人ですね。その声。」とびっくりして言う。そして、思わず兄さんと呼んでしまいそうになって慌てる。

 「そうなんです。あの時の電話のものです。役場に勤めていて、この家に居候させてもらってます。」

 「へえー、そうだったんですか。奇遇というか。何というか。あの時は本当に親切にして頂いてありがとうございました。」

 「いえ、とんでもないです。こちらは何もできなくて、本当に申し訳なくて。・・・」

 「そんなことないですよ。あのときは、本当に助かりました。おかげで、・・・」

 「ああ、ここに勤めることにしたんですね。本当によかったですよ。」

 続く。

 

 

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