フラフラ 母様に会いに行く

瞳の鬱(うつ)日記

 こんばんわ。瞳です。昨日になったけれど、もう木曜日。今週いっぱいは学校へは行かない。子どもたちはどうしているだろう。とか思うのですが、コロナで休む先生もけっこうおられるので子供たちは別段わたしのことは気にも留めていないと思います。

 授業はもうありません。週明けは終業式だけ。で、まあ、クラブもあるけどもうこの学校の子供たちとはお別れだな。

 夜の猿沢池

 主治医には、家で安静にしているように言われていて、実際フラフラなんですが、今夜(昨日の夜)に夜の奈良に行きました。

 あまりしっかり歩けなくて、歩くのも、退院した直後のように遅いものだから女性にもどんどん抜かれる。とても春日大社までは行けないので、何とかご参道の途中、猿沢池までゆっくりゆっくりなんとか上りました。

夜の猿沢池。三笠山に月がのぼる。水面に水月。

 この夜は、満月の前夜。朧月夜(おぼろづきよ、おぼろづくよ)です。そのむかし、古今集で読まれた安倍仲麿(あべのなかまろ)の有名な歌、「天の原(あまのはら)、ふりさけ見れば春日なる、三笠の山に出でし月かも」の歌をいつも思い出します。そのままの風景。仲麿様は結局故郷の奈良には帰れずに彼の地で生涯を終えられてしまったのですが。わたしは、幸いにもここに来れます。感謝しなくてはならないな、といつも思います。(作家の夢枕獏さんによれば、故郷を想い、故郷に「焦がれ死に」した。と表現されています。)わたし、いま、とても苦しいので、苦しいときはいつもここに来るんですが、来れることを感謝しなくてはなりません。

 わたし、夜のこの辺り、「奈良まち」が好きで、大学時代、特に夜散歩していました。

 夢にも、よく出てくるのですが、その夢のなかではいつも何かしらメッセージみたいな物語というか、何かを体験しています。ある夢では、何か大事なことがあって、とても大事な女性の人たちと、もしかしたら親友のような大事な女性たち十数名と一緒に船に乗り込んで、さあ池から出発だ。これから大事なことのために出発だ。というところで目が覚めます。

 何の夢なんだろう。何の意味かな。何かのメッセージかな。とか思っていたんですが。あるとき気が付いたんですよ。猿沢池のすぐ横の細い川が流れていて、そこに船型の中州が造られていて、その中にお地蔵様がいっぱいいらっしゃるんです。(ああ、このことだったのか。)

 母さんに逢いに来る

 わたし、いつもここに来るのは、実は母さんに逢うためなんです。実際に逢えるわけじゃないけど。何となく、ここに来ると母さんに逢えるような、逢っているような感覚なんです。今みたいにとても苦しいときとか。

 安倍晴明様には、白狐のお母様がいらして、「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌を残したという物語がありますが、晴明様は、どこへ行けば母様に逢えるか分かっていらして、また逢えるというのがうらやましいな。とか思っています。

 わたしは、どこに行ったら母様に逢えるのか分からない。でも、猿沢池の辺りに来ると、なぜか母様に逢ってるような気がする。

 変な事ばかり、書きました。ごめんなさい。

 

 

 

 

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