ちょっとしたこと。フロイトの夢の話
この写真は『A Midnight Dream』シリーズ全三話
(第一話:2020年3月18日 第二話:2020年3月26日 第三話:2020年5月16日)
こんばんわ。おはようございます。瞳です。
このところの、体調不良なんですが、不思議な体験を経験しています。
ネコたちと夢で遊べるんですよ。
何が不思議なのだと思われるでしょうが、実は、これは普通は出来ないことなんです。
夢の検閲官
有名なのが、夢の研究で有名なフロイトの学説にあるんですが、夢というのは、常に「夢の検閲官」なるものにより、潜在的な或いは、顕在的な欲望は常に夢の中では決して叶わない。というようなことを、むかし本で読んだことがあります。
少し、意味が違って解釈していたのかもしれませんが、現実、不思議と必ず夢の中では願望は邪魔されます。絶対に叶いません。そうなります。たとえば極論、もう少しで、好きな人と一緒になれそうなときは、必ず邪魔が入ります。
この原理は、フロイトによれば、「夢の潜在思想が検閲されるからだ。」ということなのだそうです。
これは、例えば、尿意とかでトイレに行きたいのだけれど、トイレを一生懸命探しても見つからないとか、あっても入り口の無い入れない状況だったりとかはよくあるのですが、これとはまた違います。これは、生理的な要因が、浅いレム睡眠のときに現れるもので、潜在的願望や欲望とはまた違った物です。すぐに目が覚めて、実際にトイレにいくことになります。
このフロイトのいう原理「夢の潜在思想が検閲されるからだ。」は、文字通り、普段の潜在的願望、欲望の検閲、抑制ということなのだそうです。
しかし、なぜ、必ず邪魔が入るのか。これは不思議なことです。邪魔をするから「夢の検閲官」なんでしょう。理由、原理は諸説ありますが、どうもこれといったものはありません。
邪魔が入らない。
しかしわたし、あれは数週間前くらいかな、ネコたちより前に長年一緒だった文鳥のピーコちゃんと、夢の中でかなり長い時間、楽しく過ごしました。これは突然で、思いも寄らなかったことです。ピーコちゃんの記憶はもうかなりむかしのことです。でも、まったく鮮明に、まさに長年忘れていたまさにピーコです。実は文鳥もいたんです。だから、わたし鳥類とか意外に驚くほど知能が高いのを知っているんです。
忘れていたけど、当時、のピーコちゃんそのままの癖。とてもピーコちゃんもハッキリした存在感で、夢でよくあるように、いつの間にか別のものに変わってしまっていたりとかはなくて、時間感覚でいえば20分くらいはたっぷり遊びました。
そのうち、「ああ、猫たちはもう死んでしまったけれど、ピーコがいてくれるから。さみしくない。」とピーコに言ったときに、(ああ、ピーコは猫たちより先にお別れになってしまったんだ。)とふと、夢の中でも気づきまして、目が覚めたんですよ。
この夢、邪魔が入らなかったんです。「夢の検閲官」の邪魔。こういうのは始めての体験。
続いてしばらくして、おととい、花子と遊びました。
その日も身体の調子が悪くて、食事をして、後片付けして歯を磨いたら、途端に耐えられないほどの倦怠感と眠気に襲われて身体が辛い。何もできない。で、それほどもう寒くも無いからエアコンの設定温度上げて横になったら、すぐに眠ってしまいました。
それ昼前だったんだけれど、ときどき目が覚めるのだけれど、どうしてもしんどくて起きられない。
でたちまち夜になって、まだ伊丹行きの飛行機の音が聞こえるからまだ8時台かな、もう、夜か。とか思っていたら、また意識が無くなって、今度は猫の花子に夢で逢えました。
花子は、ピーコちゃんを埋葬した山の近くの河原で出会いました。生まれたばかりの子猫で、何故か一匹だけでいる。雨で濡れていて大変。すぐに家に連れて帰りました。白文鳥のピーコちゃんと同じ真っ白な猫。
今思えば、ピーコちゃんの生まれ変わり。
花子はわたしが受験で苦しんでいたとき、ずうっと一緒にいてくれて、念願叶って大学に入ったら2回生になる頃に死んでしまいました。(あなたがいなくなったら、やっと大学入っても意味無いじゃないの。わたし、あなたが、花子が、いつもわたしの傍にいてくれていたから大学入れたんだよ。)
猫って、ただそばで寝ているだけのようで、ずうっと仲間(飼い主なんて言い方、わたしは嫌い。)を支えて、手伝ってくれている。これは、実感として確信できる。わたしのために命を使い果たしたんだ。
当時は辛くて辛くて、大学の講義中も泣いてばっかり。
そしたら、大学の構内で面影が花子にそっくりなみぃちゃんが突然現れました。花子の生まれ変わりだと直感。
でも、そのみぃちゃんももういない。
でも、その夜、花子と遊べた。このときも「夢の検閲官」の邪魔が入らない。
花子の感触、そのまま。重さや存在感そのまま。何かいつもの猫語でしゃべってくる。いつもそうだった。おしゃべりな子。
このときも、けっこう長い時間だったかな。5分くらいかな。いつものお気に入りの窓辺に行って、ゴロゴロいいながらくつろいでいる。お腹を撫でる。ああ、この感触。懐かしい。その体験は、まさに、花子でした。
さて、花子の生き写しのみぃちゃんを家に引き取って、しばらくしたら、みぃの甥御(多分)の子が大学構内に現れました。さすがにもう連れて帰るわけにもいきません。この子は、わたしの卒業後、大学の方針で保健所につれていかれたそうです。
さすがに、当時もう大学構内猫だらけになっていたから、どうしようもない。可哀想だけれど。
わたし、後輩連中に、猫に餌をやるな。と注意していたんだけれど、結局、わたしも餌をやっていて、責任上、3匹を連れて帰るつもりだったんだけれど、半分野生だから、みぃちゃん以外は猛烈に暴れて失敗。そのときのわたしの手血だらけ。凄い攻撃力。どの子も普段は大人しいというか、人なつっこいのに、ゲージに入れようとすると大暴れ。本能だね。それは実は正しい本能。大抵は保護というより、猫狩りというか、そういうのがいて三味線やホルモンにされているのが現実らしいし。
別の日に、みぃちゃん以外の2匹を保護しようとしたけど、一匹は病死で、もう一匹は子猫が出来てしまってもう無理。
結局、大学から救出できたのはみぃちゃんだけでした。
ピーコちゃんや猫たちに逢えたということは、迎えに来てくれているのかな。
同じ鬱で苦しんでいる人。ごめんね。瞳、なんかもう無理みたい。もう少し、あと4年か5年くらいは人生取り戻したかったんだけれど、悪人カルト団塊ジジイに散々いじめられるし、あいつら、いつも忘れた頃にまた嫌がらせ再開するのよ。やっと、静かになった。と思っても平和はつかの間。年寄って本当に嫌。