いざ大学入試

瞳の鬱(うつ)日記

 イスラエルでまたえらいことになってます。一体世界はどうなってしまうんでしょう。今、大きな戦争が二つも起こってしまう事態になってしまいました。

 世界的な、経済危機、金融危機で、各国綱渡り状態のときに、これはまずい。有事の金買い、それに伴う金価格の上昇はいまのところ、それほどでもないです。有事のドル買いもいまのところ、それほどでもないんですけど。

 この中東の戦争、まったくこれからどうなるか予断を許しません。あそこら辺りは本当にやばいですから。

 大学入試

 さて、本題。これで、一応先週から続いているテーマ一段落。

 まず、結論から、ドラマ『中卒・東大一直線 もう高校はいらない!』(1984年2月3日 – 3月30日に毎週金曜日20時から放送されたTBSのドラマである。全9回。)

 は、やはり、なかなか実現できるものではありません。東大はやはり、そう易々と入れるところではありません。

 わたしは、中卒の現実を実体験しました。社会のどん底を実際に見ました。

 そして、NHK学園で、中高年の社会の底辺で真面目に働きながら、やっと学びの機会を得たひとたちとも交流しました。これは貴重な体験だったと思います。

 だから、東大へ行けなくても、国立大学に入学できただけで、十分に満足しています。それどころか、奇跡だと思っています。

 この国立大学とは奈良教育大学のことなんですが、この奈良教育大学がわたしの母校です。今明かします。ここへ入ってから、はっきり自分を取り巻く世界が変わりました。感想ではなくて、はっきり、社会的階級を獲得したのに驚きました。

 周りの態度が一変したのです。それが日本という国の現実なんです。

 ひろゆきさんも言ってましたが、高校なんて、世間はどうでもいい。世間は大学で人を評価する。

 大学入試の受験勉強

 大学受験の勉強に入るころには、完全に自宅での自学が出来る状態になっていました。

 壁を越えたんだと思います。

 参考書の内容も理解できるし、問題集も自分でできます。むしろ、予備校などに行くより、自分の勉強法で出来るので、実に効率的でした。

 参考書は、和田秀樹先生の著書で推薦されている赤チャートや基本英文700選を使っていました。これらは、東大受験のための老舗の参考書です。

 つまり、高みを目指すのがいいのかも。(今は、大学自体は誰でも入れますから。尚のこと。)

 まあ、これは人によります。目標によります。

 和田秀樹先生の著書通りの勉強のおかげで、センター試験では、英語の後半の長文問題などでも、長文が日本語より速読できて、ほとんど瞬時に解答できるようになりました。これは自分でも驚き。

 芸術系大学への寄り道

 少し記事に書いたことがありますが、わたし、最初、芸大を目指して落ちました。

 しかし、芸大といえども、学科試験はありますし、当然、センター試験は高得点であることに越したことは無く、京都市立芸術大学では足切りもやりますし、東京芸大の日本画科は一説では、東大並の得点率を必要としていたといわれています。(ただし足切りはありませんでした。)

 で、わたしはこの芸大受験で実は何年かこれでロスしています。大検合格から大学へ直行できたわけではないんです。しかし、学科の勉強も必要でしたから、当然続けていました。

 で、芸大・美術系をひとまずやめて、普通科の奈良県立大学を受験してみたら、あっさり合格したんです。当時の倍率は確か志願者数全体でみたら、12.7倍だったかな。受験者数では9.7倍くらいだったような記憶があります。後にも先にも、こんな狭き門を通ったことはありません。さらに、ちなみにこの大学の偏差値は当時、わたしの受験年の次のシーズンでなんと大阪教育大学と、奈良教育大学をコンマ数ポイント越えたそうです。ただし、奈良女子大学には少し及ばなかったのですが、難関だったのを後で知りました。

 当時、この大学は新しくて、しかも、地方新聞に合格者の氏名が公表されてしまったので、近所のおばば連中が反応しました。おばば連中は、この新しい大学を二流大学と勘違いしていて(国公立大学というものを知らない。)、井戸端会議でわたしのことを馬鹿にしていたみたいです。たまたま、この10人ばかりいる井戸端会議の最中に近くを通ると一斉に薄笑いしながらわたしを見るんですよ。感じの悪いことです。(わたし当時、まだ引きこもりの変人扱いでしたから。何かと悪いこと言われていました。)

 ただし、このおババ連中の子ども連中は、全部よくてもせいぜい高卒で、ほとんど中卒です。

 さてちなみに、この時期、第二次ベビーブーム直後の状態で、各大学、倍率、偏差値はかなり高かったです。

 地元奈良付近、では、京大法学部が偏差値65くらい、奈良女子大が62から63くらい、奈良教育大学と大阪教育大学は61.いくらかという状況でした。

 もう一つの奈良の公立大学、奈良県立医科大学の当時の記憶が無いのですが、今シーズンは医学部70だそうです。さすがに理系は高い。

 参考までに、現在の東大の文化Ⅱ類、Ⅲ類の偏差値は67.5だそうです。

 国公立大学の60台というのは、相当なものだということです。ひろゆきさんによれば、私立の偏差値は当てにならないそうで、その辺、いろいろ事情があるそうです。例えば、京大の滑り止めの同志社大学の偏差値は当時75もありました。

 ブランド志向

 さて、奈良県立大学に高倍率にもかかわらず、合格できたのですが、何か贅沢にも物足りない。あの近所のおばば連中の態度が気に入らない。

 それに、一時的には奈良教育大学や大阪教育大学を越えたとはいえ、やはり、奈良、近畿では上がいっぱいいるわけです。

 で、わたしは、この奈良県立大学入学当初から、奈良教育大学を目指す決心をしました。無謀にも。

 大学の講義を受けながら、同時に受験勉強を続行しました。

 そして、合格しました。倍率は5.5倍くらいだったと記憶しています。偏差値は変わらず教育学部61.いくらかくらい。国立の5.5倍はかなりなもので、自分でも信じられない。(当時)

 合格してから、合格通知を受け取ってから(合格発表には行かない主義・怖いから。)、数時間くらい一呼吸おいて(わたしが国立大学生?うっそ~。信じられない。)

 その日から、正味3日間、ほとんど眠れませんでした。

 

 近所のババアの反応

 合格してからしばらく経って、回覧持って行くとき、確か向こうから大学の話もってきたんですよ(奈良教育大学に入っていること知らない)。で、「え、わたし、奈良教育大学ですよ。」って言ってやりました。なるべくさりげなく。

 国立大学の合格者は新聞発表されないんですよ。

 すると、そのオバハン。一瞬、はっきり分かるほど顔にうろたえの色が浮かび、顔がこわばりました。「へ、へえー。すごいんやね。」とつっかえながら、こわばった顔のまま言うんですよ。わたしに。

 実に爽快(大人げないけど。ざまみろ。)

 奈良は地方です。というか、地方ではどこでもその地方所在の国立大学を目標として学生達は頑張ります。目指します。

 近所のおばば連中の連絡スピードはもの凄く速くて、その日から連中の態度が一変。なかでも最初にわたしに大学の名前を聞いてきたオバハンは、まもなく引っ越して行きました。

 このおババ連中(このメンバーほとんど例の政治宗教団体員)の倅どもは、ほとんど中卒です。

 結び

 今、寝ていなくてボケていて、後半はどうでもいいこと書いてしまいました。

 まあ、どん底からのカムバックが誰でも出来る、上手くいくとは限りません。

 が、現実に可能ではある、ということを分かって下さい。

 国立大学なんですが、今は少子化の影響で、旧帝大以外はもう偏差値も50付近です。わたしの母校、奈良教育大学でも、わたしが受験したときは61を越えていましたが、だんだん55付近と落ちてきて、今シーズン、今の段階では、大手予備校データによると、なんと47.5~50付近です。まあ、シーズン終盤には上がってくるんでしょうが、国公立大学、狙って下さい。可能性があります。何より授業料が安い。近年は値上げしてきているとはいえ、当時は、わたしの従兄弟が通っていた中堅の私学の1/3でしたし、学費免除も比較的、取りやすいです。(莫大な奨学金負債を回避できます。)

 国立大学といえども、少子化の影響は深刻で、法人化された今、生き残り策で必死です。

 奈良教育大学は奈良女子大学と合併しました。ブランドは双方そのままです。

 おそらく、今後、大阪教育大学もこれに加わると思います。(実はむかしから、この3大学合併案自体はあったんですが、この危機的状況でついに。ということです。)

 国立大学は法人化されましたが、私立大学と違い、まず無くなることは無いと思います。

 文科省官僚の重要な天下り先なんです。

 ちょっと、文章むちゃくちゃなので、後日、追々直していきます。 

 

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