追記

火の鳥

 瞳の鬱(うつ)日記です。

 あえて、昨日の記事では書かなかったこと。

 宝塚の悲しいこと。

 霊的なこととか、あんまり書かない方がいいのだろうけど、ケンケン先生もいうように、ほとんど単なる思い込みとかだったりするのだろうけど。

 実は、日曜の懇親会の時にすごく悲しいというか、辛いことがあって、帰りの阪急電車では泣いていました。寝たふりしながらだけど。

 「胸が痛い」というのは、本当に胸が痛い

 高橋留美子先生の「めぞん一刻」で、主人公の誰だっけ、ああ、響子さんのセリフで、「惣一郎さんの事思い出す度、本当に胸が痛かったんです。」

 というのがありまして、(ああ、そうなんだよこれ。本当に痛いのよ。悲しいときとか、胸の横隔膜辺りがズキンズキンと痛いんだ。)本当に悲しいとき、辛いときって。

 その感覚、日曜の夜に強烈にフラッシュバックしました。わたしには、絶望的なトラウマがあるんです。

 最近というか、大人になってからは無かったんですが、多分、向精神薬の効果もあるだろうし、年齢も上がるとある程度精神的耐性もできる。

 わたしのばあい、幼稚園のときに、担任たちに虐待されていて、ジャングルジムの上に置き去りにされたり、給食の配膳がわたしだけされなかったり、担任たち数人がかりで身なりをけなされたり、お誕生会もわたしだけ無しとか、その他数えきれないほど毎日散々な精神的虐待を受けていました。(平手打ちも当然あり。)

 そんなことをされているときは、無性に胸がズキンズキンと痛くて悲しくて母さんが無性に恋しくて、すぐに幼稚園から逃げ出したい。耐えられるはずもない絶望感。

 幼い身でどうしてこんなに叱られるのか理由も分かりませんが、何となく、自分はどうしようもなく、だめな子なんだ、というのが分かりました。

 当時の担任や、その他の幼稚園教師たちによる、完全なわたしの存在自体の否定です。

 しかし、思い起こせば、よくもまあ、齢わもいかない幼い子にこんな残酷な仕打ちができるものだと思います。

 よほど、可愛くない容姿だったんでしょう。

 こんな仕打ちをされたときって、あまりに傷つきすぎて泣くこともできない。涙は出てくるけれど、声を出して泣くことはなかったかな。気が強いのではなくて、できなかったんですよ。大人しい子でした。性格でした。何も言えない子でした。ただ、胸が痛くなってズキンズキンと苦しい。完全に自分の存在を否定された悲しさと絶望。

 でも、家に帰ったら、母さんにすがりついて、堰を切ったように、ただただ大泣きしていました。

 母さんが「どうしたの?」と聞いても、何も言えない。理由も分からない。ただ耐えられない悲しさだけ。

 で、日曜の懇親会でのフラッシュバックのきっかけというのは、些細なことで、別段だれかに意地悪されたとかいうことではなくて、トイレに行っている間に、受賞者の挨拶がありまして、トイレから帰ってきたら、わたしが舞台に呼び出されることもなく、そのまま、挨拶が終わってしまったんです。

 大阪市長賞受賞者がいないというのに、だれも気が付かない。わたしが、トイレから会場に戻ってきても、司会の方も、だれも呼んでくれない。(去年の東京の本展では、そのときも、タイミング悪くてトイレに行ってたんだけれど、ちゃんと呼んでくれた。)

 普通の普段の私なら(ああ、面倒なことキャンセルできたわ。)と喜ぶくらいなんですけど、そのときは、どうしてだろう。不意に、全く不意に耐えられないあの「胸が痛くなる」くらいのどうしようもない悲しさというか、自分を完全否定された絶望感。つまり、どうしようもない悲しさ。が何十年ぶりになるのかな、急によみがえりました。

 (どうして、だれもわたしのこと気づかないの。呼んでくれないの。・・・・・)

 そのわたしが外された受賞者挨拶後の気分は最悪。どころか、意識不在に近い。会話も機械的に脳が勝手に処理して話している。

 霊と一体化すること。は、実は本当にある。

 これ、小学校の時の実体験なんですが、富山の親戚の家に、数日間遊びに行ったときだったかな。祖母の葬儀がその少し前にありました。それが終わって一年少しくらい経った時期の学校の休みの時期。

 帰りの特急「雷鳥」の車内でのこと。夜です。富山駅を出てからしばらくして、疲れが出たのかうつらうつらして、眠りかけました。

 富山の親戚には、やたら人物がやさしい叔父がいて、その家族もいて、祖父母の一家もいて、同い年のわたしよりはるかに美人の従妹姉妹もいて(美人の家系)、滞在中、とてもよくしてくれました。でもわたし、いつも我儘(わがまま)放題、ずいぶん憎たらしいガキだったんだけれど、でも心底優しくしてくれました。

 で、「雷鳥」の車内でうつらうつらしていたら、突然、その人たちの事が脳裏に鮮明に出てきて、急に恋しくなったんですよ。

 それは、(もっと遊んでいたかったな、寂しいな。)、とかいうのとは違う、もっと激しい感情。まるで家族そのものと離れ離れになるような耐えられないほどの感情。

 無性にその富山の親戚のみなさんが恋しくて、恋しくて・・・いわゆる「胸が痛くなる」ほどの感情が湧き出てきて大泣き状態になりました。ただし、小学生ですから、となりにいる家族連中には気づかれたくないので、大慌てで手すりに顔を伏せて寝たふり状態。

 でも眠気なんかぶっ飛んでいて、ただただ富山の親戚が恋しくて恋しくて涙が止まらない。

 自分でもわけが分からない。何が起こっているのか分からない。

 そのまま、大阪駅に到着するまで4時間ほど、ずうっとそのまま。大阪駅に着いても、顔を伏せて泣き顔隠して疲れたふりしてずうっとだんまり。

 ・・・これ、そのあとしばらく数か月くらいして、ふと思ったのは、祖父母の霊とシンクロしたのかな。と、思いまして、今でもそう思います。

 宝塚

 宝塚のタカラジェンヌのことは、昨日の記事には触れませんでした。でも、当然、心にずうっとあの悲劇のことはあったわけで。とても、浮かれる気分じゃなかった。

 きれいな建物、この門の向こう側には夢の世界があるのだと思えそうな風景。でも、実際は、大変だったんだな。とか行きは思いながら歩いていました。

 もしかしたら、あのマンションかな。とか、いや、考えないようにしよう。状態。

 でね、書きたいこと。あの可哀そうな、あんなに可愛いタカラジェンヌがわたしに何か言ってくれたのかな。

 霊感強いとか、全然そいういうの信じないし、自分でも自分には霊感なんて無いとおもってるけど、あのかわいらしい、美しいタカラジェンヌ、わたしに自分を否定される悲しみを伝えてくれたのかな。と、思いました。

 

 

 

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