ものの形を見極めるには、片目で観るんですよ。
こんばんわ。瞳です。今日は例によって寝る時間が欲しいので、予告編のみです。最近は、電車でも一瞬で寝てしまいます。ほとんど気絶。もちろん、すぐに起きますが、一時的に完全に意識が眠ります。無くなります。意識が戻っても「ここどこ?」状態。ときどき、しばらく、目の前の景色がどこなのか認識できないときがある。分からない。これは現実なのか。
学校だったら、(ああ、ここ学校なのか。)と安心するんですが。電車だと、本当にパニック。(実は中学校、高校では仮眠は許されるんです。もちろん休み時間。暗黙の了解。でないと、過労死続出。でも、小学校はできない。小学校は二度と絶対に御免です。)
極端、電車内なのか学校なのか、しばらく分からないときがときどきある。これは危ない。
ものの形は片目で観るのよ、偉い先生方
で、本題なんですが、デッサン技術書などにときどき、あるんですが、「写真と違い、絵は、両目で観たものを描きます。例えば、円柱。写真だと、一眼なので、回り込んだところがみえません。でも、両目でみると、写真でみえない部分までみえます。その辺のところをちゃんと描かなくてはなりません。」
などと、とんでもないことをおっしゃる先生がいらっしゃいます。
(あんた馬鹿?)とまではいいませんが、自分の言っていることに矛盾に気がつきませんか。
両目でみた回り込みまで一枚の画面に描いたら、円柱ではなくて、アジの開きのような、円柱を潰した物体になってしまうじゃないですか。それをあたかも円柱のごとく描くとしたら、インチキです。
VR(ヴァーチャルリアリティ)ってご存じ?。もっと分かりやすい例ならステレオ写真。左右両目の「両眼視差」を利用しているわけですが、ものの形というのは、この「視点」のわずか数センチの違いで変わるということを利用しているんですよ。
だから、正確なデッサンというのは、一眼で対象を二次元平面に展開したものなのです。しかも、「視点」は、厳密に、極めてほとんど数センチの違いもな三次元空間上の一点から観たもの、観察したもので無くてはなりません。
この具体的な方法(視点の固定)を確立したのが、叔父の論文「デジタル的視野からの絵画の考察」(1999)の重要点です。
今日は、これで限界。瞳、死にそう。
例によって、内容の無断転載はお断りはお断りします。これは、正式な学術論文からの引用です。
どうしても、真面目に絵に取り組んでいる方で、もっと知りたいという方、興味がある方がいらっしゃったら、叔父は、生前、太平洋美術会の会員(委員)でしたから、コンタクトミーのページから、わたし、瞳にお問い合わせください。
この会、日本でもっとも古い美術団体で、あの日展より古く、皇族の方も在籍しておられます。