ひろゆきさん、それ違うのよ!

瞳の鬱(うつ)日記

 こんにちわ。瞳です。Yニュースでひろゆきさんの教育関連の記事を今朝読みました。「大学まで進学する家庭は、義務教育だけではいい大学には入れない。学校だけではなくて、必ず塾や予備校、家庭教師等をつけている。学校は、本来の情操教育の場としても失敗している。」ということですが、全くその通りで、わたしがこのブログでも言い続けていることです。

 それに関連して、教師の力量不足を指摘して、教員免許更新制度の廃止に関しても言及(反対)しておられますが、それ、根本的に読み違えです。

 まず、今回、国会で議決された「教員免許更新制」の廃止は全く正しい判断です。まず、この制度はそもそもが無駄でした。大学の臨時収入になっただけで、現場の教員の負担は計り知れないものでした。つまり、教員の能力の維持向上には全く意味が無かったと断言できます。その講習内容を観れば一目瞭然。ただのカルチャー講座です。わたし、実際に経験しているから言えるのです。

 この「教員免許更新制度」は、そもそもが、中央教育審議会なる老人たちの思い付きが発端ですから、上意下達の教育現場は散々振り回された挙句、無駄な時間と労力を浪費させられただけの騒動でした。

 つぎに大事なこと。わたしが常々言っていること。教師の力量不足。学校の教師より、塾の講師の方が教え方がうまい。という現実があるということ。

 これは、塾講師が優れている人が多いというのではなくて、ひろゆきさんの言う通り、学校の教師は無能なのです。教えることが下手なんです。

 なぜなのか。

 それは、学校の教師はほぼ、物事を子供に教えることに関してはまったく素人だということ。

 なぜそうなるのかというと、大学の教員養成課程においては、例えば子どもの発達段階に応じた脳の理解能力に適した学習方法。教育方法等の講義科目が皆無だという事実。があります。つまり、「教え方」を習わないで、(知らないで)教員免許が授与されるという現実があります。

 大学の教員養成課程では、各専門科目、例えば数学では「数学概論」等は学習しますが、具体的な教育方法等はやりません。驚くべきことにこれは履修科目に無いのです。「数学教育論」とかはあるにはあるのですが、授業での具体的授業方法、技術はまったく内容に含まれていないのです。これ、具体的にいえば、例えば医師が、人体の基本、病気・症例は教わっても治療法を習わないのと同じです。この点は、教育評論家の向山先生も指摘していることです。

 ゆえに、小学校で算数がちゃんと教えられない教師が当たり前という現状になります。子ども相手に、大学の講義型授業をやります。延々、一時間(45分)授業中、くどい説明をし、丁寧すぎる意味のない板書を一枚書き上げます。全くの素人です。

 「丁寧に教えていていいじゃないの。」と一般の方は思われるでしょうが、人間の脳というのは、PCの電子回路ではありません。入力情報が多いと脳のワーキングメモリーがたちまちパンクします。つまり、「くどい説明。長い説明。」はかえって分かりずらい。ということです。しかも、これは大人の話であって。子どもの場合、勉強のしんどい子というのは、知的障害が無くても説明すればするほど分からなくなります。

 つまり、児童の約三割は境界知能で、一割が知的発達障害であるという現実に全く対応できていません。これ、一般の方は驚かれるかもしれませんが、本当のことです。特定の地域の話ではありません。一般的な公立小中学校の児童全体を対象とした調査結果です。各学年、各クラスなどの集団には、3割程度、知的能力が通常境界線ぎりぎりの児童がおり、一割程度の児童は明らかに知的能力が通常より劣るということです。これらは知能テストなどで分析した結果です。

 (大人の世界を観て下さい。3割どころではありません。それ以上の割合で馬鹿が存在しています。だから、パチンコ屋がつぶれないわけだし、宝くじを買う人がいるし、歩きスマホや、スマホのながら運転する馬鹿もかなりの数いるのを現実にご覧になっていらっしゃると思います。そして、一割以上のDQNがいます。DQNは完全に知的障害といえます。DQNはIQ「知能指数」が50以下です。)

 一方、塾・塾講師が授業がうまい。というのは、実はうまいのではなくて、教えるという目的に徹しているからです。余計なことはしなくていい。まあ、塾の終わり時間とかに、塾の前の信号で安全のための立ち番とかはしていますがせいぜいその程度。授業に集中できるのです。

公立小・中学校は行事がすべて

 これ、特に小学校で顕著なんですが、学校生活で教師が労力をとられる仕事の大半は、実は授業ではなくて行事です。とにかく、小学校では行事が多い。それがすべてといってもいい。雑用も馬鹿みたい多い。しかも、その雑用はほとんどやる意味がないものばかり。(これに関しては、今回は割愛します。別の記事で書きます。本当に馬鹿馬鹿しいものばかりで驚かれると思います。)

 さらに、学校の教師、教育委員会というのは、地元の権力・とくに圧力団体に弱い。

 権力・圧力団体というのは、例えば農協。とか地域の老人たちのことです。PTAだけではないのですよ。(PTAも被害者なんです。)

 農協がどうして圧力団体なの、とか思われるでしょうが、大抵はこれらの団体は地元の支持する市会議員・町会議員などのバックであり、それらの議員などは、いわゆる地域の有力者なのです。役人である教育委員会(地方公務員)などは逆らえません。

 地元の名産品のポスターを描かされる。とか、「逆に危ない飛び出し坊や」でも書いたのですが、お馬鹿な看板の制作とか。「収穫祭」という田植えの体験学習とか馬鹿みたいなこと。この「収穫祭」ひとつ行事予定に入るだけで、教師の負担の増加は計り知れないものがあります。他にもいろいろありまして、教師は授業準備をしている暇もありませんし、自費で授業の学習勉強会に出かけることもできません。教材研究はほとんどできません。

 そして運動会やら各種学芸会、音楽会。卒業式。これらに割かれる時間、労力というのも本来の教育活動を逸脱したものでまったく異常です。

 とどめは部活です。小学校での話。野球やサッカー試合で顧問の先生は奔走させられます。勝たねばならないのです。地元のOBやら老人たちが戦績に関していろいろ口出し、文句を言ってくるのです。小学校の話ですよ。これ。体の発達段階の大事な時に、勝つためのパワートレーニングを行います。パワーをつけたら、当然強くはなりますが、子どもの体の成長にはよくありません。百害あって一利なしです。顧問の教師の負担も相当なもので、中学同様に日曜、祝日もありません。授業準備どころではありません。授業は下手なのは当然の成り行きとなります。

 運動会に関してもうひとつ。最近問題になった組み立て体操のタワーなどの高層化。あれも馬鹿丸出しです。毎年少なからず事故が起きます。なかには脊髄損傷や死者まで出ているのに学校はやめることができません。「地域との連携」と称する、地元の老人やら有力者。他校の目など様々な呪縛があるわけです。

 慈しみ、大事に育てなければならない肝心な子どもが死んでしまったら、一体なんのための行事なんでしょうかね。教育の本末転倒ですよ。

 それが、今の、誇張ではない現実の公立小中学校の姿なのです。

続きます。

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