だから、正確なデッサンって何なの?のこたえ

瞳の鬱(うつ)日記

 こんばんわ。瞳です。つまり、コカ・コーラのわたしのデッサンと、写真の合成実験は写真特有のゆがみによって、ズレるんですが、ある程度の検証はできたでしょ。

 写真のゆがみを考慮する必要があって、そのものズバリにはなりません。それはみとめますが、中心部の一致等などからデッサンの精度が分かります。

 この点、念のため繰り返しますが、画像を一致させるためのPhotoshopでの形状修正等は一切していません。合成検証実験のための拡大・縮小も縦横比を一致させたうえで行います。そのとき、基準となるのは、モチーフの中心です。この作例では、コカ・コーラのCoca-Colaの-であるところのひし形が、ほぼモチーフの中心に当たります。これを基準に中心を合わせます。この時、中心部分の横幅で大きさを合わせます。縦の長さは狂いがでます。

 正確なデッサンとは

 ズバリいいます。ピンホールカメラモデルと呼ばれる一点透視図です。これよく誤解されるのですが、これは、製図での図法における一点透視図とは異なるものです。多くのデッサン技術書では混同されていますが、現実世界では、消失点は1点、2点、3点どころか、無限数存在しているのです。

 つまり、正確なデッサンとは、みなさんご存じのピンホールカメラでえられる画像です。「カメラ・オブスクラ」として、大昔から西洋、東洋問わずにカメラの原型として存在していました。感光紙の無かったころ、手書きで暗室や箱の中で、投影された画像をトレースしました。

 実は、これで得られる画像は、収差がありません。これは、実は、3DCG(コンピューターグラフィックス)の基本原理です。x.y.zで表記される3次元座標軸を2次元平面に展開する基本です。

肉眼とピンホールカメラモデルとの違い。球面は視点を中心とした場合の投影面で、人間は、ものの大きさの違いを球面上の投影面で認識します。視点である瞳孔は、球体(眼球)の表面上になります。

 上の図は、その原理を現しています。左の図がピンホールカメラモデルの原理を現しています。

 特徴は、視点に垂直な平面スクリーンを画像に投影したとすると、平面スクリーンには上下逆さまの平面スクリーンが歪みなく投影されます。(扇みたいのは、光線の束だと思ってください。レーザー光線の束にスモークをかけたものです。)

 一方、ややこしいのは、画面左側の図なんですが、肉眼では、我々は、直線を無意識に曲線として観ています。これは、光線投影図である網膜が球面であるために生ずる現象です。分かり易く言えば、広角レンズでの映像に似ています。

 この肉眼での場合、直線が直線として観えているのは、視中心(視野の中心線)を直線が通る場合のみです。これは、実は人間はふつう意識できません。(方法はあります。30cmくらいの直定規を目の前に水平に視野一杯に持った状態で、視線を動かさず、定規だけを上下に移動させると定規が大きく曲がるのが分かります。この時、定規を視線で追うと、たちまち直線に戻ります。)

 エンタシスとかドリス様式とか呼ばれる古代建築は、無意識にこの原理を応用して柱の中心部を膨らませて建物の大きさなどを強調しています。かの「千と千尋の神隠し」でも、油屋の内部を見上げるシーンなどで、この手法が用いられています。

 また、よく、流れ星や流星などのイラストで、航跡が曲線で描かれていて、星が斜め下に降下しているように描かれているのも、流れ星が一瞬で、視中心で捉えることができず、多くの場合、視野の視中心の上側を通過しているためです。流れ星が隕石だったとしても、その落下航跡は高速で高エネルギーなので直線になります。

 つまり、正確なデッサンと、我々が肉眼で捉えている映像とはカメラ写真とは別の違いがあるのです。

 ここまで、ややこしい方程式は出していません。意味はだんだん分かってくると思います。最初は分からなくても大丈夫です。

 追記なんですが、中学の理科から出てくる光学なんですが、教科書の図には直線で表された光線という概念が用いられます。

 この光線なんですが、分かっているようで分かりにくいです。

 例えば撮影対象からレンズを通る直線。これ、一体何なの?。実際にこんなレーザー光線みたいなのって無いよね。だと思ってしまうんですが、実はあるんですよ。

 これを理解することは、今後のこの記事を理解するうえで重要なので、一応解説します。

 これを説明するには、光を理解します。光とは、粒子と波動の両方の性質をもっているのですが、今場合、光を粒子とみた「光子」という素粒子で考えると、比較的分かり易いです。

 本来、絵を描く場合を考えるとき、現実世界にはモチーフなどの対象物には輪郭線などというものは存在しません。あるのは、線にみえるモチーフと背景との境界です。つまり、山の端(やまのは)と山際(山際)です。(春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明かりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる『枕草子』)にある表現です。

 山の端とは文字通り山の輪郭の端っこ限界部分。一方山際はバックの空の部分。

 しかし光学図などで出てくる光線図は、これを現すものです。つまり、まず最初に光源から無数の光子が発せられます。その無限数の光子の内の一群が、山の端の限界の無限に小さな点に当たって、さらにその光子の一つが視点に向かって反射した航跡だとみれば分かり易いと思います。つまり図であらわされる光線は実在しています。

 この光線一本と、任意のもう一つの対象の端っこの無限に小さな限界点から、同じように反射してくる航跡(光線)との角度が、対象の任意の位置での視角(見えるもの大きさ)となります。

 *例によって、これらは無断転載を禁止します。叔父の正式な学術論文「デジタル的視野からの絵画の考察」からの引用です。

【スポンサーリンク】

このページの先頭へ