新聞崩壊!

こんにちわ。ミーゴローです。

昨日の晩、やけに人や車が多いと思いました。

何と、例のPL花火はゲリラ豪雨の来襲にも関わらず実施されたとのこと。おそらくこれが原因だと思います。

ドキュン車やマイカー、じじばばの軽など盛りだくさんなわけです。おまけに人や自転車も多い事。

 

何か疲れるわ。こういうの。

 

後ろからぐんぐんライトが迫ってきます。ドキュンだとすぐに分かるので先にいかせます。軽トラに改造マフラーのドキュン。

私の前は超低速の軽が走っていました。サンドイッチです。

 

こういうときはドキュンを先に行かせます。するとそのドキュンが前の軽を煽りますので距離を取ります。

これでドカン!というのを何度か目撃しています。危うきに近寄らず

 

いきなり夜道を人が横断します。

闇夜のおっさん。何なん?何してはるの?今頃。さっさと家に帰って野球でも見ながらビールでも飲みなはれ。

 

みんな暇ですわ。とにかく何か変な夜でした。

 

今日も夕方いい具合の夕立、というより豪雨がきました。

ゲリラ豪雨がこの夏も頻発するのでしょう。

 

情報格差

西尾維新原作の物語シリーズ。アニメを偶然BSで観たとき何かいいなと思いました。

確か「化物語」の途中の回からです。全然ストーリーが分かりません。

 

阿良々木暦(あららぎこよみ)が主人公ですか。この文字、なぜか空で書けました。

この世界、3DCGも使って今風のいい出来なのですが、人が居なくていいのです。

主人公や登場人物以外が居ません。

 

でも、無視されているだけで実際にはいるようなのですが描写されていません。それが何ともいいのですよ。

 

それで、まだ観ていない前のシリーズがあるだろうとディスクピアに行きました。

そういえば、最近買い物は全部ネットです。

関西の秋葉原、「日本橋でんでんタウン」にも久しく行っていません。

PCパーツもネットで買ってます。

 

いつのまにか時代は確実に変わっているのです。ふと実感しました。

ニッセンというチラシの通販会社が大赤字だとか日経新聞に載っていました。いまどき紙媒体のみに頼っているのが信じられない。というかまだこの会社あったのか、と思いました。

顧客層を中高年の女性にしぼるなどの対策を立てるとかいっていますが、マーケッティングが甘いです。この会社がつぶれるのはほぼ確実だと思いました。

 

 

 

紙媒体といえば新聞なのですが、大量の紙ごみを毎日量産しているだけの状態です。「押し紙」とかいうのもあるらしいです。

まったく、いまや新聞社というのは悪玉の代名詞となりました。情報源がテレビと新聞だけという人たちは、お金を出して広告を買わされているのです。

「情報格差」どころではなくなりました。老後難民が近い将来巷にあふれることでしょう。

この人たちは、花火に出かける人たちとおそらく被るのだろうと思います。

 

労働の経験

小学生の頃、チラシの折り込みというアルバイトをしたことがあります。

新聞販売店というのは最底辺層の人たちです。この店の主人のおじさんは背広を持っていないといっていました。多分本当のことでしょう。今なら理解できます。

小学生をアルバイトに雇うのですが、極端にいえばその点アフリカやアジアの貧困層と同じ感覚です。

 

200部の新聞に何枚もチラシを束ねて挟み込みます。これで100円くらいだったでしょうか。100部で50円。

その新聞販売店のおばさんは、それでも子ども相手に賃金をごまかしました。200部仕事したのに100部だとかにして子どもをごまかします。いくらなんでも子どもでも気づいていました。これも経験としてデータベースに保管されます。

 

暮れの特別ごつい別冊がつくとき、何十部かその別冊を入れないでおいたことがあります。これは仕返しとかではなくて、単にしんどくなったのです。

よく郵便配達員(アルバイトに限らず)が配達できずに郵便物を破棄したりする事件がありますが、気持ちが分かります。しんどいときはどうしようもなくしんどいのです。

 

私が折り込みの仕事でインチキをしたという経験は、小学生ながら心に何か重いものを一生背負うことになりました。罪の意識なわけですが、販売店に対してよりも子どもながらに配達される家庭の人への罪の意識なわけです。

しかしおそらく、販売店では配達前に折り込まれていない別冊の束を見つけて、対処はしていたとは思います。まあ、いい経験を得たとは思います。

小学生のうちに労働というものを経験しておくのも無駄ではなかったのでしょう。

経験しないと分からない事は多いものです。いろいろ学びます。

 

このアルバイト。あるときドタキャンで辞めました。何の連絡もせず、ある日突然行くのをやめました。この辺り、子どもなわけです。

しかし、新聞販売店にとってはこれでも結構堪えるのです。子どもを労働力としてあてにしていたつけです。

この販売店の主人のおじさんは町で会っても私を全く無視するようになりました。

大人げない行動なのですがまあ、当然だろうなとは子どもながらに思っていました。

 

でもしばらくして、ある日、そのおじさんが家に新聞勧誘に来たのです。

新聞勧誘といっても、当時は今ほど悪質なものではありませんでした。販売店が自分でやっていました。

私を全く無視と決め込んでいたはずなのに、愛想笑いで親に必死に頭を下げています。

社会の現実を観る思いでした。

 

これが昭和の時代です。

今はおそらくもっと過酷なはずです。

新聞配達は近い将来消滅します。すでにシステムが破たんしているのだろうとおもいます。

「押し紙」や「新聞勧誘員」の問題がそれです。

 

変化するものだけが生き残れる。なのでしょうが、それができれば苦労しないのでしょう。

 

きょうもこのブログをお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

 

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