トライアンドエラー

こんにちわ。ミーゴローです。

昨日の晩は土曜日ということなのでしょうが、いつもに増してドキュン車が鬱陶しかったです。

私の地方、雨上がりで湿気がすごくてシールドが曇るしLEDの光軸を上げ気味にしたドキュン車がやたら多くて視界最悪でした。

 

LEDが後ろにくると脅威レーダーがロックオン警報を出す感じです。

これで彼らの心理が分かったのですが、つまり常時パッシング状態で悦に入っているみたいです。

 

これがまた、先に行かせてみると何ともしょぼい車なので情けない気分です。

 

ゴミが多い事。道路に散乱しています。

先行車が大きく迂回しているので、もしや、猫が轢かれているのかと不安になったのですが、ゴミだらけだったので逆にほっとしたりします。

 

明日は選挙です。

ドキュンが減るよい社会にしたいものです。

さて、今年のマン島TTのYoutube動画で何とRC213V-Sが走っているではないですか。

しかし、マイケル・ダンロップ選手のBMW S1000RRにあっさりパスされてしまっていました。

何で?

 

どこかのチームがスーパーバイク仕様に徹底的にチューニングしているのだろうから「あれ?何でモトGPマシンが簡単に抜かれるの。」と思いました。

乗っていたのは今年47歳の大ベテランのブルース・アンスティ選手という人だそうで、ホンダ純正のレースキットを組み込んだだけのマシンだったようです。

レースキットといってもヨーロッパ仕様の159馬力が215馬力になるだけのことですからスーパーバイク仕様のBMW S1000RRには当然かなわないわけです。

 

つまりRC213V-Sというのは、明確なコンセプトがあるわけですね。つまり「公道で乗ることのできるモトGPマシン」ということです。

レースに勝つためのマシンならCBR1000RRをレース仕様にしたスーパーバイクの方が速いわけです。

 

しかし、レースに勝つためのマシン、RC213Vそのものをマン島TTで走らせたらどうなるのでしょう。

 

昔のレーザーディスクでスーパーバイクが750ccでホンダRVF750が最強だった頃のどこかの公道レースのオンボード映像を観た事があります。

レーザーディスクのパッケージには撮影車両はホンダRVF750と書いてあったのですが、エンジン音が500cc、2サイクルの音です。

 

多分NSR500だろうと思います。他のスーパーバイクをごぼう抜きでした。

おそらく、モトGPマシンをマン島で走らせたなら同じようにごぼう抜きになると思います。

 

それでもスーパーバイクは速い。車載映像はまるで早送りの映像のようです。

大画面TVで観ると信じられない世界です。

 

しかし、長く見ていると目が速度に慣れてくるから怖い。高速道路から降りたときのようなもので、この映像を観てすぐに実際に大型バイクに乗るのはやめておいた方がいいです。

とんでもない加速をしてしまいます。

 

 

 

トライ・アンド・エラー

小学校教育などの初等教育においてはエラーレスラーニングが基本です。

つまり、ミスを排除してスムーズに基礎的知識を習得させるのです。

特に算数などでは、考えるというよりは覚えるという要素が強くなります。

 

これには現在議論があり、エラーレスラーニングの対極的存在として「学び合い学習」などが提唱されています。

 

 

文部科学省は、平成20年(2008年)3月、小・中学校の学習指導要領及び幼稚園指導要領を改訂しました。

文部科学省「現行学習指導要領の基本的な考え方」(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/idea/index.htm)によりますと、

児童に「生きる力」として「豊かな人間性」、「健康・体力」、「確かな学力」

の育成を目指すとのことです。

このなかの「確かな学力」とは「基礎的な知識・技能を習得し、それらを活用して、自ら考え、判断し、表現することにより、様々な問題に積極的に対応し、解決する力」

を表しているということです。

 

これの実現のための方法の一つとして「学び合い学習」という方法が提唱されました。

元東京大学教育学部教授・佐藤学氏が推進している方法で、「問題解決型学習」ともいえます。

特徴的なのは子ども同士で話し合って教え合うという方法です。

 

当ブログ、ミーゴローはこの教育法を極めて否定的に捉えています。これは大学生を対象としたものがそもそもの始まりで少なくとも、小学校などの初等教育にこれを用いてはなりません。

 

小学校時代の頭がクリーンな子どもたちには、データを転送するように確かな知識をしっかり教師が伝授するのが正解だと思います。

つまりですね。例えば算数。このなかでも足し算だけを考えてみてもこれを本当に考察したならば大学院以上の哲学になってしまいます。

数字の0を考えてみてください。0は起源を過ぎてからインドで発見されてのです。

0は発明だ、と考える人もいます。でも発明ではなく発見なのです。0自体は紀元前からすでに古代文明で用いられていましたが、インドで数学的に発見されたものなのです。

 

算数、数学自体も自然科学を記述したものであって、人間が作ったものを自然科学に当てはめ応用したものではないといえます。

これも当然議論があるでしょう。つまり、答えの無い哲学なのです。

 

哲学論争を小学校算数でやってはいけません。

2+3=5 をそのまま理解させなければなりません。九九なども問答無用でとにかく暗記させなくては将来が本当に無くなります。

 

子どものクリーンな状態の頭には優良シンプルな基本形を作っておく必要があります。

無用の子ども同士の討論で知識が濁っては大変です。

 

例えば、アルジェリア・ナイジェリア状態と私はいっていますが、子どもの段階でトライ・アンド・エラーをやったら間違った事も一緒に記憶されてしまい正答が分からなくなる危険があります。

 

トライ・アンド・エラーは基本的知識体系ができた段階から行うべきだと思います。

つまり、大人になってからです。引きこもりの人たちにはいつもこのトライ・アンド・エラーといっていますがそれは大人だからです。

 

参考ですが、一度学校を卒業してまた再び勉強しなおそうとした時、意外にですね、小学校レベルの算数問題が悩むのですよ。

大人でも悩むのです。本気で考えると小学校レベルの算数でも哲学になってしまうのです。

 

今日もこのブログをお読みくださり、ありがとうございました。

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